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「さようなら」の後は、  作者: 汐月 羽琉
第三章 崩壊
13/32

期待と不安と、絶望と

 煌びやかな装飾に、華やかな人々。交わされる会話はどれもこれも、自分たちの栄華を自慢するものばかり。

 何が楽しいのだろう。普段の私ならそれにばかり気が取られていたことだろう。

 でも今は、そんなことどうでもいい。

 ――頼むから俺たちみたいにはなるなよ。

 リフレインする、『婚約者』の言葉。そればかりが脳内を支配する。

「ゆかり様」

 呼び声に驚き、勢いよく顔を上げる。

「どうかしましたか? ぼんやりして」

 声の正体は、よく見知った顔。ほっと息をついて笑った。

「いず……」

 高谷グループ次期副代表、かつ、高谷商事代表取締役社長。そんなたいそうな肩書を背負い、だがそれに見劣りしないだけの雰囲気を持った男、高谷たかや和泉いずみ

 ひさ――宮苑久弥と同じように、私の幼なじみの一人。残念ながら父は彼と私が親しくすることを快く思っていないのだけれど。

 宮苑は古くから上條と敵対しているが、最近になって――具体的に言えば高谷の先代の時期から――高谷とも敵対している。彼はそんなグループの本家次男であり、現ナンバーツーであるから。

「ほら、ゆか。しゃっきりして。すでに何人かが怪訝そうに見てるから」

 私にしか聞こえないボリュームで、いずはそっと囁いてきた。はっとして『余所行き』の私を作り上げるとすぐ、いくつかの私に向けられていた冷ややかな視線が逸らされた。

「……ありがとう」

 もし彼が注意してくれなければ、また周りに「上條本家の娘は『上條』に相応しくないような態度しか取れない」という印象を与えてしまうところだった。ぽつりと呟くと、いずはにっこりと笑って首を振った。

「どうしました? ゆかり様らしくもない。パーティー中にぼんやりなんて」

 そして、そう言って首を傾げる。

 堅苦しいことこの上ない口調だが、ヒエラルキーがきっちり決められているこの世界、私が傘下トップの人間でいる限り仕方のないことだ。

 それでもいずは昔から、高谷だから上條だからと垣根を作って関わらない、というスタンスは絶対に取らなかった。

 彼は今よりもっと若い頃、瞬さまと同じようにこの村田の枠組みが大嫌いで反発ばかりしていた。そのせいもあると思う。まあ私が『幼なじみ』と呼んで親しくするのなんて、そんな人たちばかりだけど。

 かく言う私だって、完全に『村田コンツェルン』という世界に染まりきっているわけではない。

 どこかしらで反発し、嫌だと思いながら。それでもここしか居場所がなくて、妥協と言えば聞こえが悪いが、そうやって『村田』の中で生きていた。

 私が親しくする人は皆、荒みきって大なり小なり病んだ目をしている。そうだとすれば、私も同じなのかもしれない。

 いずは特に『そんな目』をしていた。それもこれも、彼が半ばネグレクト状態で育ったことと、家同士の敵対のせいで初めて愛した人と引き裂かれたことが大きいと思う。

 でも、変わった。今はとても柔らかく穏やかな目の色をしていて、少し前までの面影はない。

 彼を変えたきっかけ、それはいとも簡単で。

 心から愛せる人を見つけたのだ。

 自らの秘書である白坂みゆさんとつい4月に結婚し、6月に式を挙げたばかりである。私も出席させてもらったけれど、二人とも本当に幸せそうだった。

 彼女に出会ってから、すぐにでも壊れてしまいそうで危なく儚げな雰囲気はいずから消えた。

「ちょっと、考え事ですわ」

 何でもないように微笑みながらも、彼のその変化が眩しい。

「おや、ゆかり様が考え事とは珍しい」

「……どういう意味ですの?」

「さあて」

 私は頭を使うことが苦手。そしていずもそれを知っていてからかっている。幼なじみながらの軽口の叩き合いにくすくすと笑い合った。

 やっぱりこの空気が好きだ、と思う。

 息のしやすい場所で生きられたなら、どれほどよかっただろう。もし私が、こんな華やかな場所で生きなくてもいい『普通の女の子』だったなら、どれほどよかったのだろう。

 ふ、と息をつけば、何か熱いものが目の端からこぼれ落ちそうになって、深く息を吐きながらこらえた。

 どうして泣きそうになんてなっているのだろう。

 私、こんなに泣き虫だったっけ? 弱かったっけ?

 『本当の私』を見つけ出そうとするたび、それはするりと逃げていく。そして『作り物の自分』さえ怪しくなって、足元が崩れ落ちて、もはや自分が何者として生きていけばいいのか分からない。

 和馬さんが悪いわけではない。彼に頼ることが恐ろしくなってしまっている私が悪い。

 和馬さんは、本当の自分を見つけ出しに行こうよ、と私を導いてくれた。それでも未だに見つけられない、『本当の自分』。

 どう生きたらいいの? 私の居場所って、どこ? いったいどの場所で私は生きたらいいというの?

 ――もしも本当に好きな人間がいるのなら、あんたは逃げろ。

 そう言われたときに浮かんだ顔は、和馬さんで。だけど私には婚約者がいて、どうにもできなくて。

 目の前にいずがいるのに、分かっているのに。そうやってぐるぐるぐるぐる自分の思考の深みに嵌まって、抜け出せなくなっていく。

「……ゆかり様、何やらお加減が悪そうですよ? こちらへ」

 だから、そう言って腕を引かれるまで、彼には全く意識が向かっていなかった。

「えっ……!?」

「お顔色がよろしくないです」

 驚き声を上げる私に、いずは有無を言わさぬ口調で返す。

 反論はもちろんできなくて、連れられるままにパウダールームへと入った。ここは私専用だから、他の誰かが入ってくる心配はない。

「今日はどうしたのー、ゆかチャン。公私混同なんてらしくないよー?」

 ドアを閉めた途端に降ってきた言葉は、『余所行き』用ではない、彼本来のどこか力の抜けたような口調だった。どうせ二人きりだからに違いない。

「……ごめんなさい」

 本当に、らしくない。

 父の名代としてここにきていて、『上條』のために笑顔を振りまかなければ、と思っていたのに。それが私の役目なのに。『上條の娘』であるということを奪ったら、いったい何が私に残るというのだろう。

「謝ることはないよー? 何か謝らなきゃいけないこと、してるってこと?」

 いずの言葉があまりにも的確すぎて、言葉を見失う。

 彼は昔から勘の鋭い人間だ。私が何に迷い、何を考えているのか、気づいていないはずがない。

 そもそも、兄のような存在の彼に、隠し事なんてできるはずがないのだ。

「いず、私……お見合いするの」

「うん、聞いてるよ」

 泣きそうな声だということに気づいたのか、いずの口調が真剣な口調に戻る。その優しさが嬉しくて、更に目頭が熱くなった。

「自分が、何のために存在するのか……上條が他の家との繋がりを得るための道具でしかなくて、それでいいって、それが私なんだって……納得してたはずなのに」

 声が震える、足が、手が震える。

 それを見ても、いずは何も言わない。つまりそれは、答えまで導いて甘やかしてはくれない、ということだ。

 当然である。私はもう、甘やかしてもらえる幼子ではないのだもの。

「嫌だ、って思ってるの……結婚なんか、したくないって、涼さんが嫌なんじゃない、違う。でも……っ」

 どうして?

 どうしてあの人じゃなきゃ駄目なんだろう。

 ねぇどうして、今もなお、あの人の顔が浮かぶんだろう。

「駄目なのに……」

 求めてしまう。想ってしまう。


「あの人が、すきなの……」


 ――もしも本当に好きな人間がいるのなら。

 どれだけ逃れよう、否定しようとしたところで、こんなふうに思考を占拠されている時点で負けなのだ。不意にもたらされた台詞でこんなにも動揺してしまうぐらいには、好きなのだ。

 あの人が、どうにもしようにないくらい。

 普通の女の子であればよかったのにと思うのは、そういう存在であればきっと、婚約者なんていないから。頼るのを恐れているのは、婚約者がいるのにも関わらず和馬さんに頼りたくなる自分が、罪を犯しているような気がして仕方がないから。

 涙がぼろぼろと溢れて頬を伝っていく。『余所行き』の自分を作っているもののひとつであるメイクが、どんどん流れていく。それが、どれだけ繕おうとこれがお前なんだよ、とまるで誰かに嘲笑われているようで、苦しい。

 こんなことを言われて、いずはどう思っているのだろう。怖くて顔を上げられない。

 ああ、こういう弱い自分、大嫌いだ。

 沈黙が流れる。

 聞き耳を立てられているかもしれないという妄想に取りつかれ、軽蔑されそうで誰かに怒られそうで、息も上手くできない。いずしかここにはいないのに。

「……ねぇ、ゆかチャン?」

 やがて、彼はそっと私の顔を上げさせる。

 いずは優しい笑みを浮かべていた。

 こんな状況なのに、ああ彼はこんな笑い方をできるようになったのだなあとか、どうでもいいことを考えていて。私って案外図太いのかもしれない、と思ってみたりもする。

 ただ単に現実逃避がしたかっただけだろうが。これからのことが、何となく予測できていたために。

 現実に、彼の優しい笑みは見かけだけだったのだ。

 次に発せられた言葉は、何より真剣であるだけにとても鋭く、私を刺した。


「キミは、どうしたいの?」


 それは『何となく親のレールの敷かれるままに』で生きてきた私にとって、何より辛い質問だった。

 一方いずはいつだって、敷かれたレールの中でも、生きる目的を自身の力で見出してきた人。

 だから、いずはきっと許せないのだ。いつだって甘えてばっかりの私が。いつだって逃げてばっかりの私が。

「責めてるわけじゃないし、問い質すつもりもないよ。でも僕は知りたい。キミは、どうしたいの。好きなだけじゃ駄目なのは、よく分かってるんデショ? 賢いキミだもの」

 分かっている。痛いぐらいに分かっている。

「……普通の女の子みたいに、生きたいよ」

 ずっと思っていて、でも口にできなくて、心の奥底に隠してきた本音。普通の女の子みたいに、自由に恋愛して、気の合う友達と休み時間に笑い合って、一緒にご飯食べながら恋愛を語り合って。そんなこと、したかった。

 でもできなかった。

「あの人の彼女になれたらどんなに嬉しいかって、思うよ……」

 じっと私を見ている彼の視線が痛くてたまらなかい。

 和馬さんの笑顔をずっと見ていたくて。抱きしめてもらいたくて。そして、抱きしめたくて。

 思う。身が焦がれてしまいそうなほどに。

 だけど。

「でも私は上條も捨てられないの……!」

 馬鹿みたいだ。

 どんなことをしても父は私を道具としてしか見ない。もうこんな年齢なのに親にここまで固執しているなんて、他人にはきっと馬鹿らしいと思われるだろう。現に自分でもそう思うのに――認めてほしい。

 道具だという目が変わることは決してないのだろうけれど、それでも。せめてそんな目のままでいいから、認めてもらいたい。

 ちゃんと私は受け入れたんだよ、って。あなたの役に立てたでしょう? って。


 だから「もう一度だけ」としか望まないから、笑って?


 ずっと捨てられない願いなの。

 もうこれ以上、醜態を晒したくない。そう思って懸命に涙を拭うのに、止まってはくれなかった。

「じゃあゆかチャンは、全部諦めて、ちゃんと婚約者の前に出られるの? その人の前で、ちゃんと笑えるの?」

 淡々と紡がれる言葉はどこまでも冷静だ。

 何だかまるで、自分が肉食獣に今にも食べられそうになっている気分。

 ああもしかして、彼を仕事で相手どる人はいつもこんな気分になっているのだろうか。

「諦め、られるよ……」

 昔から覚悟してきたはずだもの。それぐらい簡単にできるはずだ。いや、できなくてはならない。父が望む私になるためには。

「ふうん……」

 彼のそんな疑ったような言葉が響いた後、世界がぐるりと回った。

 え、と言う暇もなく、驚きと恐怖で目を閉じる。

 だからもう一度開けたときは、本気で息が止まるかと思った。

「い、いず……!?」

 化粧台に寝かされてひんやりとする背中。真上には接近した彼の顔、両肩の傍には彼の両手。

 一番分かりやすい言葉で表現すれば、押し倒されていた。

 頭が大混乱を起こす。

 だって彼は既婚者で、他の人を好きな気持ちを自覚してしまったとはいえど、私にも婚約者という存在があって。

 硬直して言葉が出てこない私を、いずはとても艶っぽい目で見下ろしてくる。長い付き合いだけれど、彼のそんな視線が私に向けられたことなどない。見慣れない彼の一面に、喉がひくりと鳴った。

 つ、と彼の細く長い指が私の首筋をなぞる。彼に対して恋愛感情など一度も抱いたことはないのに、艶めかしい瞳と相まって馴染みのないその感覚にぞくりとした。

「い、ず……?」

 笑ってしまうくらいに掠れて震えている私の声。

「……こういうこと、その婚約者からもされるんだよ?」

 甘い吐息を孕んだ色っぽい声が、耳朶に触れる。色ごとに慣れていない私は、たったそれだけでも心臓が口から飛び出してしまいそうだった。

「いいの? それでも」

 頬にいずの指が触れている。覆い被さるいずの顔が今日見たばかりの涼さんのものと重なって、ぐるぐると私の頭の中を回った。

 同時に浮かぶのは――和馬さんの顔。

 それが分かったらもう、駄目だった。

「や、ぁ……!」

 思わず声が出、彼の胸を押し返す。

 小さな小さな、抵抗だとも思えないような抵抗。それしか私にはできなかった。

 けれど。

「それが、答えなんじゃないのー?」

 言葉と共に、いずの身体が離れていく。

 驚いて目を瞬かせた私に少しだけ苦笑して、いつの間にか目の端に浮かんでいたらしい涙を拭ってくれた。拭い終わると近くの椅子へどさりと腰を下ろす。

 私は戸惑って口をぱくぱくと開閉させるが、くつくつと笑うその表情で、彼には『そういう気』なんて初めからなかったことに気づいた。

 ただ、私に事実を理解させようとしただけ。

「この世界、政略結婚なんて普通だけど。それも変わるよ」

「……え?」

 長い脚を組んでふっと笑う彼の顔は、恐ろしいくらいに美しかった。

「今の総帥は素晴らしい御方だと思うよ。でもあの方では、今のこの状態は、変えられない」

 もしかしたら誰かが聞き耳を立てているかもしれないこんな場所で、しかもほとんどの傘下の本家の人間がいるのに、総帥批判をするなんて。私は焦るが、いずは全く気にしていない。

 聞かれたら大変なのに。それこそ百を超える村田傘下の数である、もちろん傘下も一枚岩ではない。長年の上條と宮苑の確執があり、最近の上條と高谷が反目し合っているように。

 だからもしも敵対派に聞かれたら、いずの立場も危うい。いいように捻じ曲げられ、利用されて、今の立場を失うことだってありえなくはない。

「だって本当のことだから」

 だけど飄々と言ってのける彼は、そんなこと分かっていた。

「え……」

 呆けることしかできない私とは違ったのである。

「変えられないよ。もうここまで長い間あの職に就いていらっしゃって、その間に染み付いてしまったものは、あの方には変えられない。あの方がなさってきたことを、ご自分で否定することだから」

 でもそれももうすぐ変わる、といずは続けた。

「現総帥はそろそろ引退の意を示されている。そうしたら新しい時代が来る。そこを担うのは、僕たち若い世代だよ。道を切り開いていくのも僕たちだ」

 じっと私を見る目に、逸らせなくなる。惹きつけられる。

「僕も今回示したけど。傘下ナンバーツーの高谷で、しかも本家と言っても次男坊の僕じゃ、あんまり効果がない。自由な結婚――その礎を、ゆかりが創ればいいんだよ」

 傘下トップの、上條であるゆかりがやるからこそ意味がある、と呟く彼は、上に立つ覚悟を持った者独特の、人を魅了する目をしていた。少し前に会ったひさも、同じ目をしていたのを思い出す。

 ああ、と納得した。

「……敵わないなあ……」

 苦笑と共に、ぼろり、本音がこぼれた。

 私の覚悟なんて、甘い。

 いずは優しく微笑む。私が思っていることも総て分かった上で。

「そうしたら、ゆかチャンが捨てられない上條も捨てる必要はないデショ?」

 ぽん、と優しく頭を撫でられて、また泣きそうになる。

 彼はいつも、こうして私を導いてくれる。甘やかすことはない。でも、優しさが失われたことは一度だってなかった。

「……いず」

「んー?」

 首を傾げたいずにぎゅっと抱きつく。みゆさんには少し申し訳ないけど、今だけはちょっと許してほしい。

「ありがと。だーいすき。みゆさんと仲良くね」

 いずはそれにくすくすと笑って、また頭をぽんぽんと撫でてくれた。昔、泣いていた私を慰めてくれた時のように。

「色情魔なのに大好きなのー?」

「……う、まだ覚えてたの……?」

「そりゃ、記憶力が取り柄のひとつだからねぇ」

 やっぱりくすくすと笑う彼。明らかに楽しんでいる。

 その言葉を覚えたてだった頃、女の人を連れて歩くいずに、意味も分からず「しきじょーま! しきじょーま!」と言い放っていたことをからかっているのだ。

 いずはこういうからかい好きの一面も持つ。これも昔から変わらない。優しいことを知っているから、気まずくはあっても腹が立ちはしないけれど、私は思い出したくない過去だというのに。

「もう忘れてよ……」

 苦い表情の私をますますからかうように、笑いながら「やーだ、忘れてあげないよー」とドアの方に向かっていく。

「いず?」

 それに目を瞬かせると、いずは悪戯っぽく笑った。

「僕は先に戻らせていただきます。お化粧直しを済ませたら、またおいでください」

 ドアノブに手をかけたまま振り返った彼は、もう『高谷副代表』の顔に戻っていた。

「――『傘下トップの令嬢』として、あの戦いの場に」

 酷く芝居がかった口調。似合うから何も文句を言えないが、本人はこのためにあの笑みを見せたらしい。

 いずはウインクをひとつ残して出ていった。何とも茶目っ気のある態度である。

「……戦いの場、ね」

 とても気障だけど、ぴったりな言い方をするものだ。

「よし」

 頬を自分で軽く張って、気合を入れ直す。ぴしゃり、という音で思考がはっきりした。

 『自分自身』について、もう一度よく考えよう。それこそが『本当の自分』を見つけ出すことのはずだ。

 自分がどうしたいのか。どうあるべきなのか。いつまでもひさ、いずといった優しい幼なじみたちに甘えてばかりはいられないのだ。彼らだってもう、自分なりに自分の道を歩み出している。

 迷うのも間違うのも、人間だからこそだ。仕方がない。

 でも今この場において、私はどう在らなければならない?


 『上條本家の令嬢』だ。


 幼なじみたちに負けてはいられない。

 しっかりとメイクを直し、鏡を真正面から見つめる。

「……行くよ、『上條ゆかり』」

 浮かべた笑みは、私でも驚くぐらいに晴れやかだった。


 ――この時の私は、まだ気づいていなかった。絶望の足音が、確実に自分に向かって近づいていたことを。

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