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「さようなら」の後は、  作者: 汐月 羽琉
第三章 崩壊
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悲しげな笑顔

        ――さようなら の 10分前――



   ● ● ●



 総ての講義が終了した後、門に向かうまでの道のり。すれ違う人たちと、「ごきげんよう」と挨拶を交わす。

 私はそのほとんどの人たちの顔も名前も知らないのに、あちらは私が『上條ゆかり』であることを知っている。気疲れする一因である。

「ふう……」

 思わず漏れ出るため息。

 刻一刻とお見合いの日は近づいてくる。覚悟しているはずなのに、していたはずなのに、どんどんと気分は暗くなっていた。

 作品においてもその傾向が顕著に表れて、「どうしたの?」と先生方に心配される始末だ。

 ピアノのレッスンでも、先生に「明るい曲調なのに何だか暗い」と注意を受けてしまったし。

 自分を表現するものは正直だな、とその時はぼんやり考えていたが、そうそうぼんやりしていられる話でもない。それこそ自分の一生を左右する話なのに。

 もしかすると、現実感がないのだろうか。それとも私は危機管理能力のようなものが薄いのかもしれない。

 今日はパーティーがある。父の名代として、『上條』として、笑顔を振りまかなくてはならない。それにだいぶ気がとられている部分も大きいとも思うけれど。

 だって、放課後にパーティーへ向かわなければならないということは、つまり陶芸教室にも行けないのだ。落ち込むな、という方が無理だった。

 今の気力となっているのは、別れる寸前に和馬さんがくれた言葉。

 ――月並みな言葉だけど、頑張ってきてね。

 ありきたりな言葉でもいい。私が私なりに頑張っている、ということを分かっていてくれる人がいるだけでいい。

 もう一度ため息をつこうとした時だった。


「あんた、上條ゆかり?」


 聞き覚えのない声がかかったのは。

「……え?」

 いつの間にか俯き加減になっていた顔を勢いよく上げる。

 そこには、一人の男の人が立っていた。

 少し癖のある黒髪。かげりを湛えた黒の瞳。そして、きりりとした顔の造り――私が知っている誰かに、どこか面影が重なる気がした。

 だけど、初対面のはず。似ている気がする、というだけで、全くの別人。今脳裏に浮かんでいる人物より背が少し小さい気がするし、あの人はもう少し髪色が明るい。

「え、……と……」

 誰だろう。だけど「どなたですか?」と訊くのも失礼な気がするし、どうにもできなくて言葉に詰まる。

 そんな私をどこか冷めた目でちらりと一瞥してから、男性は再び口を開いた。

「……村田むらたりょう

 リョウ。ムラタ。その名前は。

 頭の中の霧が晴れ、一瞬で目の前の人物の正体を悟る。そして、「とある人物と似ている」と思ったのも、決して間違いではなかったことも。

「――……っあ……」

「初めまして。あんたの『コンヤクシャ』だよ」

 私が何か口を開く前に、まるで遮るがごとく皮肉った片言で彼は言った。

 戸惑って、何も言葉が出てこない。どうしたらいいのだろう。

 それに、どうしてこの人が今ここに? まだ『お見合い』までには日にちがあるはずなのに。

 どうして、どうして、どうして。口にすることのできない疑問たちが一瞬で浮かんでくる。

「安心しろ。俺の親の策略でも、あんたの親の策略でもない」

 私の顔色を読んでか、私の『婚約者』は肩を竦めた。どこまで信用のできる言葉か分からないけど、とりあえずいくらかは安心することができた。

「初めまして……上條ゆかりと申しますわ」

 喉に張り付いていた言葉が、ようやく口から溢れる。

 こんな時まで出てくる猫かぶり。『私という一個人』ではなく、『第一傘下本家の一人娘』でなければならない瞬間だから。『上條』という鬱陶しいほどに華麗なドレスを、私は身に纏わなければならない。

「……はっ。ご丁寧にどーもアリガトウ」

 それが分かっているのか、彼はこんな私を鼻で嗤う。冷めた目は相変わらず。

 あの人も、昔はよくこんな目をしていた。自分の生きている場所が鬱陶しくて仕方なくて、「飛び出してしまいたい」と時たまこぼされた言葉。今でもよく覚えている。

「……総帥と、瞬さまによく面差しが似ていらっしゃいますわね」

 強大な権力を誇る、村田コンツェルン現総帥。彼は私たち傘下を取りまとめ、ある意味では政治家たちよりもこの国を支配している。その一声で、多くの政財界の人たちが動くという。

 コンツェルン内では、海よりも深い慈愛と切り立った山よりも鋭い冷酷さを持ち合わせている御方、という評判だ。

 そしてその孫息子の一人であり、最も次期総帥に近いであろうと言われているのが、瞬さま。私の幼なじみでもあり、村田の体制に馴染めず出奔した経験もある人。説得の末に戻ったようだけど。

 あのお二人は、顔立ちが似ていらっしゃる。

 今目の前にいる『涼さん』も、そんな二人に、そっくりではないけれど、似ていた。

 特に、瞬さまが今よりもっと若い頃によくしていた目を涼さんがしているから、余計にそう思うのかもしれない。

「たいして嬉しくもないけどな」

 ところが、再び鼻で笑いながら、彼はすっぱりと断じた。

「……こんな人目のあるところで……」

 どこで誰が聞いているとも分からない。さすがに不敬罪のようなものはないけれど、間違いなく身内の中では評判が落ちるというのに。この人にとっても私にとっても、それがいいことであるとは思えない。

 だが彼はどうでもいいようで。

「さすがは上條の娘だな。それほどまでに総帥が大事か?」

 そう冷えた口調で言われて、ぐっと息を呑み込む。

 上條の色に染まりたくないと思う反面、上條として溶け込めていることを知れば安心する。相反した感情に目眩がしそうだ。

「あんたは村田の中で生きていきたいんだろ?」

「……それは、当たり前ですわ。私は上條本家の娘ですもの」

 私の返答を聞き、彼はふっと嘲笑った。目を瞬かせる間もなく、肩を竦めて告げる。

「あんたも、そこらの村田の女とおんなじだな」

 そのどこか横柄な物言いには、いくら私が呑気な方であるとはいえむっとする。

「どういう意味ですの?」

 きっと半ば睨むようにして見上げて尋ねる。説明しなかったら許さない。――そういう思いを滲ませて。

 すると、何に驚いたというのか涼さんはわずかに目を見張った。

「……訂正。悪かった」

 両手を挙げ、降参のポーズを取る。

「金と権力にしか興味がない、おしとやかなお嬢様の皮を被ってる女かと思ったんだよ。だけど、訂正。そんな目で俺を見てきたのはあんたで二人目だ」

 それからさっきみたいに肩を竦めるが、恐らくその意味合いはだいぶ違うのだろう。

 私の考えを証明するかのように、表情は先ほどとは真逆。柔らかく笑んでいるのだ。

 今までの態度との明らかな差に目を見張ると、涼さんはポケットから煙草を取り出して咥えている。困惑している私なんて置き去りだ。だいぶマイペースらしい。

「どういう……」

「後で話してやるよ」

 翻弄されっぱなしの私と、のんびりと紫煙を燻らせる涼さん。

 今からこれでは、先が思いやられる。

 婚約して、結婚して、という一生に一度の行事をこの人とこれから経験していくのに、間違いなく私が振り回される方向になりそうだ。

 少しでもこちらに主導権が欲しくて、睨むような目のまま見上げて尋ねる。

「……いったいどうなさったのですの? お見合いまではまだ日があるでしょう」

 だがやっぱり私の眼光など歯牙にもかけず、涼さんは飄々と煙を吐き出して呟く。

「話があってきた」

 今までのどの雰囲気とも違う、寂しげな様相で。

「お話……?」

「ああ。時間があれば」

 ちらりと私を見下ろして言う内容は譲歩するようなものなのに、口調では有無を言わせない。

 そういえば総帥も瞬さまもこのような感じだった。それにあの二人もプライベートではマイペースで、ゴーイングマイウェイ。これらは総て村田一族の特色といったところなのかもしれない、と思ったら、反発するのも馬鹿らしくなった。

「……今日はパーティーがありますので、それまででしたら構いませんわ」

 腕時計で時間を確認して、1時間ほどは取れそうだと判断する。

 ただの婚約者ならまだしも、村田一族の人間のお願いとあっては無下に断れないことでもあるし。傘下の人間の悲しいところだ。

「この近くにカフェとかは?」

「あります。こちらへ」

 満足げに頷いてみせた涼さんを導いていく。この近くには女子校ばかりだから、彼にはあまり馴染みがないのだろう。だからこそ彼がとても目立ったわけだが。

 私が時折足を運ぶカフェに入った。日の光が当たるから、テラス席でも充分あたたかい。それに、程よく外の音も響いているから、ここなら誰かに盗み聞きされる心配も少ないだろう。

「ここで構いませんか?」

「どこでも。話さえできれば」

 投げやりな言い方に若干イライラとしなくもない。どっちが「話がある」と言って押しかけてきたのだ。しかし、乗せられたら負け、と必死で自分を宥める。

 何も注文しないわけにはいかないので、彼はコーヒー、私はミルクティを頼んだ。店員さんはにこやかに注文を受けて去っていき、しばらくしてテーブルに置かれた飲み物は、どちらも芳しい香りを放つ。

 注文を取って以来、ずっと無言。沈黙。話とやらはどうしたのだろうか。こっちだって暇ではないというのに、時間だけが無駄に過ぎていく。

「それで、お話とは?」

 いい加減に痺れを切らし、私の方から話を振った。

 できればさっさと行ってメイクだの着替えだのも済ませたいのだ。男に人には分からないかもしれないけれど、女は色々と支度に時間がかかるものなのに。

「あんた、分かりやすいな」

 涼さんが脈絡なく言って、少し楽しげに笑う。

「……はい?」

 思わずこれ以上ないほど表情を歪めてしまった。しまった、と思った頃には時すでに遅し、彼はますますツボに入ったかのようにお腹を抱えてぷるぷるしている。

 何なの、とまた眉を顰めるも、どうにもしゃべれそうにない相手を問いただしたところでどうにもならないので、大きくため息を吐き出してミルクティを飲み下した。

「あー……笑った。ま、好感が持てる相手でよかった。じゃなかったらただの無駄足になるところだ」

 少し間を置いて、ようやく回復したらしい涼さん。それでも声にはまだ笑いの余韻が残っている。

 怪訝な顔をすれば、満足そうな表情が目に入り、ますます混乱するのみだった。

「……どういう意味ですか」

 さっきから煙に巻くような台詞ばかり。もう少し分かりやすく話してもらいたい。私は決して頭はよくないのだ。

 嫌味とかの回りくどい言い方なら、経験で何となく意味を察すことはできる。しかし、どうにもそうではなさそうな彼の言葉を自分自身の力で解析するのは、とてもじゃないが無理である。

「負けだよ、俺の。……あんたも、あいつとおんなじだ」

 くすりと笑ってからの言葉は、また更にこちらを混乱させる内容だった。

 あいつ? 同じ? またも眉を顰めた私に「そう焦るな」と苦笑をこぼし、両断はコーヒーカップの持ち手に指をかけた。

「俺にはもともと、恋人がいたんだよ。婚約者とやらが生まれた頃からいるのを、承知した上で。愛してた。あいつと結婚したいと心から思うくらい」

 突然の告白に言葉が出てこない私。だが彼の方は最初から何の言葉も期待していないのだろう。そんな反応など気にも留めず、言葉を紡ぎ続ける。

「あいつも、俺の事情を重々承知してた。遠い分家だったけど、あんたと同じ上條の人間だったし、自分にも俺と同じように婚約者がいたんだよ。だから、駆け落ちしようって、そんな約束を次の日に控えてたときだった」

 彼のコーヒーは、どんどんと冷めて、ただの黒い液体となっていく。しかし、手持ち無沙汰そうにゆらゆらとカップを揺らして波立たせているばかりで、それを飲もうはしない。

 もしかしたら、その水面にその『彼女』の面影を見ているのだろうか?

「あいつはあいつの親に、俺は俺の親に、それぞれ閉じ込められた。俺たちの約束がどっかから漏れてたらしいな。そして両方の親の取り決めがされて、俺たちも言いくるめられて、破局。あいつとはもう1年くらい会ってない」

 言葉を失ったままでいる私。語るのをやめた涼さん。必然、やってくるのは沈黙。

「上條の女って、あいつやあんたみたいのが多いとも思えないのにな。何の巡り合わせか、俺は上條の女に関しては女運がいいらしい」

「……私みたいな女って……いったいどんな女だとおっしゃいますの?」

 呟くようにようやく絞り出した質問に対し、涼さんは静かに笑む。初めて対面した時と同じ、翳ったような瞳で。

「感情表現が豊か。この世界に染まってるのに、染まりたくないってどこかで足掻いでる。希望を捨てたつもりで、捨ててない目」

 おんなじなんだよ、だから守りたかったんだ、と彼もまた呟いた。

「俺はもう、この世界に嫌気が差してる。でももう、抗うのも面倒臭い。あんたならおれは文句も言わない。だけどもし、」

 じっとまっすぐに向けられた視線。翳っているはずなのに、わずかに湛えた光は真摯だ。これから彼の紡ぎ出す台詞は心からのものであろうと察する。


「もしも本当に好きな人間がいるのなら、あんたは逃げろ。早く。取り返しがつかなくなるその前に」


 何を言っているの、と訊くこともできなくて、またも私は言葉を見失った。

「俺は分家だけど、瞬さまの再従弟はとこだ。それなりの権力はある。上條の代表を完全に黙らせることはできなくとも、それなりの対処はできるから」

 頼むから俺たちみたいにはなるなよ――そう言い残して、私のミルクティの分までも含んだ御代を置いて、彼は去った。

 何も言えず、動けない私を置いて。

 大好きなミルクティ。手の付けられることのなかったコーヒー。そのふたつは確かに見えているはずなのに、見えない。

「そんなこと、言われたって……私にはそんな人……いないもの」

 視界がぼやけ、掠れた声で呟く。


 それなのに。ねえ、どうして?

 どうして、どうして、



和馬さんの顔が浮かんで消えないのだろう?

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