別世界
誰かが倒れていた。巨大なマンションの前で、日が暮れた後。
その周りに人々は集まり、警察が現場を調べている。
周囲の人々の言葉に、僕は聞き耳を立てていた。
「かわいそうに……」「誰がこんな酷いことを……」「物騒な世の中になったわねぇ」「あんな小さな子を……」「まだ子供じゃないか……」
大体こんな感じ。さて、裏はどうだろう。僕はまた聞き耳を立てる。
「自分じゃなくてよかった」「どうでもいいから中に入らせろよ」「マンションの悪い噂でも立ったらどうしてくれるのよ」「さっさと片付けろよ」「うわ、気持ち悪……」
大体こんな感じ。まあ極論なんだけど、人間には裏表があるもんだ。それがこれよりちょっと曖昧なだけ。
その事実を受け入れるか、否定するか。それだけでも、生き方は変わるのかもしれない。
*
目が覚めたのは午前五時。
「あー、やな夢見たな」
散らかっている記憶の中に、薄らと消えかかる新しいものを見つける。
人が死んでいて、そこに人が集まってくるという内容のガラクタ。
ちょいちょい見る夢だ。原因が何なのかも知っている。
額に置かれていた右手をどかして、身体を起こす。そっか、昨日はソファーで寝てたんだった。
水を飲もうと、フラフラと台所に向かう。水道水を少し飲んで、顔を洗う。
新しく取り替えたタオルで顔を一拭きして、両手でパン、と叩く。
「よし、と」
朝食を用意しようと、冷蔵庫の中身を開ける。大したものはできないけど、簡単な料理くらいはできる。
空っぽだった。
「買い出し行かなきゃなぁ」
時間的に、どこも開いているわけがないのだけれど。
*
午前九時。場所はスーパーマーケット。とりあえず腐りにくいものと、普段使うものをカゴに入れていく。
家には書き残しを置いておいたので、喜中さんは適当にしてくれていると思う。
「これくらいか」
なくなりかけてたオレンジジュースをカゴに入れて、レジを済ませる。朝早いおかげか、あまり待たずに終えることができた。
荷物を袋に詰めて、スーパーから出る。
「ん?」
気のせいか、来た時と道が変わっている気がする。でもまだ街を把握できていないので、よく分からない。
「まあいいや」
真っ直ぐ歩けば自宅にたどり着く。それだけは覚えていたので、躊躇いなく道を進んでいく。
今日の天気は曇り。風は冷たく、肌寒く感じられた。
道の脇では子供達が騒ぎながら走っていき、それを保護者らしき人が静止する。
公園のベンチではカップルがベタベタしていて、その前では砂浜で遊ぶ子供達。
騒がしい休日。こういうのも悪くないのかもしれない。そう思っている僕の横を、小さな子供達が通り過ぎていった。
変に子供が多くないか? 休日だったらこんなものなのかな。
それほど気にすることでもないので、歩を進めていく。近づいたせいか、電線にとまっていたカラスが一斉に飛び立った。
気にしない。ほどほどの距離を歩き始めたところで、遠い場所に雷が落ちる。
雨が降りそうなので、足早に歩き始める。ところが、歩いても歩いてもマンションにたどり着けない。
そのことに気付いた時に、僕は足を止める。
すぐ横を、賑やかな子供達が通り過ぎていった。
「あれ? さっきの」
周りを見回してみると、公園があった。ベンチでは、カップルがベタベタしている。
砂浜では、城を作り上げている子供達。
同じところをグルグル回っている? いや、ずっと真っ直ぐ進んでたはず。
だったらあの公園はなんだ。
「やあやあコウさん」
公園の子供達を見ていると、正面から声が投げかけられた。顔を身体の前へ向ける。
「……」
察した。
「おいおい、そんな冷たい目で俺を見ないでくれよ。これは事故だ」
事故を起こした割には、面白いものを見つけた子供のような表情をしている。
ため息を一つ、ゆっくりと吐いた。
「で、もう一人は?」
「もう一人?」
「足音が二人分聞こえてたんだけど?」
「相変わらず聴覚はバケモンだな」
「誰のせいだよ」
「求めたのは誰だ? ん?」
「求めたものが手に入ってないんだけど」
「ねえ」
アキラとのムカつくやり取りの中、幼い声が聞こえた。発生源はアキラのすぐ隣。アキラと手を繋いでいて、こちらを見ている。
「ごめん、そこにいたんだね」
茶色のフードを被った、小さな子供だった。中性的な顔立ちで、性別がわかりづらい。瞳が青く、肌は白い。
サイズがあっていないのか、袖の中に手は隠れている。
顔は無表情。
「ぼくのこと、わかるの?」
おそるおそる、口に出す。僕にちゃんと聞こえているか、確認するように。
一人称から考えると、男の子かな。
「大丈夫だよ」
目線を同じ高さにまで下げて、ポン、と頭に手を置く。すると、顔を伏せてしまったが、表情は緩んだように見えた。
「やっぱりお前なら気付けるか、こいつの存在に」
やけに意味深長なアキラの言葉が、気にかかった。
「またなんかやらかしたの? 命は弄ぶものじゃないよ」
男の子の頭を撫でながら言う。
「命を生み出したんじゃない。空間が歪んだんだよ」
「それまたど派手な」
長い話の予感。
「それで、みすぼらしい姿のこいつが来たってわけだ」
「へー」
間の過程すっ飛ばしたなぁ。
「別世界の孤児なのかどうか、そこのところは曖昧だ。さっき見つけたばかりでな」
全部曖昧じゃないか。
「で、この子は結局何なの? 最初、この子がいることすら気付かなかったんだけど」
僕の質問に、額を押さえて「んー」と唸るアキラ。僕は撫でていた手を頭から離し、立ち上がる。
すると、男の子が物足りなそうな目でこちらを見上げてきた。かわいい。
「元々、この世界にいない存在っておうのは理解できるよな?」
「あ、うん」
かわいさに見とれて、つい反応が遅れてしまった。子供ってかわいいよね。
「だから、なんというか。まぁ、認識しずらいんだよ。こっちの世界では」
説明しづらそうに、なんとか言葉を紡ぎ出すアキラ。
「はぁ」
「慣れたら普通に気づけるようになれるから、あんまり気にすんな。常人でも触れれば気付ける。音でもお前の耳なら気付けるさ」
「はぁ。じゃあ超人でもなんでもなく、普通の人間ってこと?」
「いや、それは」
何か言おうとして、アキラは口を噤む。あっていないこともないらしい。
「雨も降りそうだし、そろそろ帰らせてくれない?」
いい加減このループから抜け出したい。うんざりした気分が、顔に出ていないだろうか。
「悪かったよ。相変わらずだな、お前は」
手で頭を掻きながら、カラカラと笑う。出ていたらしい。
「かえる……?」
男の子が、寂しそうに呟く。
そんな反応に、アキラがすぐフォローを入れる。
「心配するな。今日からお前の家はこいつん家だ」
「待て」
「ほんと?」
曇りのない純粋な目で、上目遣いで僕を見つめる男の子。む、無理だなんて言えない……。
「う、うん。本当だよ」
にっこりと笑って言ってあげる。別に嫌なことはないんだけど、学校行ってる間どうしたらいいんだ。勿論その間世話なんてできない。
「空間の歪みも戻ったから、すぐ帰れるだろ。じゃあな」
「あ……」
押し付けるだけ押し付けて帰っていった。世話できないんだったら余計なことするなと。
「はやく、かえろ?」
ぐいぐいと服を引っ張られる。キラキラした目が眩しい。
「はいはい。ところで君の名前は?」
「なまえ?」
意味を分かっていないのか、首を傾げられた。
「そうそう。君が呼ばれていた名前だよ」
「よばれてた? いちななろくはち?」
「いちななろくはち?」
今度は僕がオウム返ししてしまう。男の子は、こくんと頷く。
一七六八。少し考えれば、それが何を意味するか理解できた。どんな境遇にいたのかも。
「うーん、じゃあ今日から君の名前は一七六八じゃなくて時雨、時雨だ」
「しぐれ?」
「そうだよ」
時が無限に繰り返されてて、雨が降りそうだからと単純な名前。完全に季節外れな名前だけど。こんなのでいいのか不安になる。
「……うん!」
覚えたのかどうかは分からないけど、元気良く答えるこの子かわいい。つい頬が緩んでしまう。
「ほら、手貸して」
時雨の手を握り、ゆっくりと歩き出す。
本人は気に入ってるみたいだし、これでいいんだよね?