化学
「ほら、仲良くなれただろ?」
数十分ほど経って、ビニール袋を持ったアキラが戻ってきた。
互いに本読んでただけだから、仲良くなったかは微妙なところ。
「……で、何買ってきたの?」
アキラの言葉には答えず、質問を質問で返す。
苦笑いを顔に浮かべながら、ヤレヤレ、と両手を上げる。
「適当な菓子類と、材料」
多分、変な薬の材料。
「あぁ、コンビニでも売ってるんだね。変なことしたら怒るよ?」
「だーいじょうぶだって。俺が今までにそんなこと一度でもしたか?」
「次からは突っ込まない」
アキラのほうを向いて、固まっている喜中さん。
さっきの口ぶりからしても、人見知りする性格なんだろう。
「自己紹介がまだだったな、俺は佐藤明。君は?」
「喜中柚子……です。よ、よろしくおねがいします!」
何を?
「ハハ、緊張しなくても大丈夫だ。そうだ、ちょっと賢くなる特効薬があるんだけど」
カチコチの彼女を見て、流れる動作で近付く。そしてズボンのポケットから薄らピンク色のパックを取り出した。
「変なことしたら殴るよ?」
「だーいじょうぶだって。危険なものじゃ」
「仕舞え」
ポケットから取り出したパックを、アキラは素直に仕舞う。
「油断も隙もあったもんじゃないな……」
副作用が半永久的に続くものもあるから怖い。
初対面にそんなものを使うことはさすがにないだろうけど、用心しなければ。
「あの、今のって」
「気にしなくていいよ。それから、アレから薬とか貰っても、飲んじゃダメだよ」
「アレとは酷い言われようだな」
さすがにこの子に押し付けようとは思わない。さっさと生贄を探さないと。
「そういやアキラ。その中医療品とかあるの? この子怪我しちゃったんだけど」
「ん、どこだ?」
「右手全体」
早速屈んで、何の抵抗もなく手に触れるアキラ。ピクリと身体が跳ねる喜中さん。痛みか緊張か、どっちなのかは分からない。
「ふむ。軽い火傷だな。中指と薬指の間が妙に腫れているが」
「あー、まあそんな時もあるんじゃない?」
マグカップをずっと持ってた時に、指の間にホットな牛乳が溜まってたせいかな。
「じゃ、一応手全体に包帯巻いておくか。さっき調合した薬でいいな?」
「さっき調合したの使って大丈夫なの……」
「危険なものは使ってないし、大丈夫だろ」
薬品の扱いはアキラに任せるしかない。ちょっと不安だ。
袋から包帯と、280mlの小さなペットボトルを取り出す。中の液体は透明だ。何で包帯とか持ってるんだろう。
「ハサミ貸してくれ」
「はいはい」
僕が取りに行ってる間に包帯をテーブルの上に敷き、ペットボトルの蓋を開けていた。
「サンキュ」
包帯の根元を切り、大胆にペットボトルをひっくり返す。中身は当然落下し、包帯にかかっていく。
不思議と中身は散らばらず、全て包帯に吸い込まれていく。
万遍なく二秒ほどかけたところで、ペットボトルを仕舞う。液体がかかったはずの包帯は、一切濡れていなかった。
「魔法みたいだなぁ」
「化学だけどな」
包帯を喜中さんの手に巻き付けていく。あれで大丈夫なんだろうか。
「はい。五時間外さなけりゃ治るだろ」
「あ、ありがとう……」
彼女は小さな声でお礼を伝える。
「いいってもんよ。他にも色んな薬あるから使ってみるか?」
「やめろ」
ニヤリと笑った表情が、凶悪に見えた。
「冗談だよ、実験体は一人で充分だ」
「相変わらずだね」
早く生贄を探さねば。
「で、コウ。今日はお前に話があったんだが……もう遅いからな。帰るよ」
「思えば全然話せなかったね」
「そういう時もあるさ」
時刻は七時半。意外と長い時間が経っていた。帰ってきたのは五時くらいだから、二時間か。
「お、そうだ」
リビングのドアに手をかけた時、思い出したようだ。アキラは手のビニール袋に手を入れ、ガサガサと中身を漁る。
「あったあった。ほらよ」
「おっと」
一つのものを手に取ると、それを僕に投げる。うまく取れずに角が頭に当たる。
「折角一人暮らし始めたんだから、日記でも付けてみれば? ま、特に意味はないけどな」
「いった……」
クスリと、小さな笑い声が聞こえた。
「じゃ、また明日なー」
「あぁ……うん?」
遠くでガチャリと音が鳴る。明日は休みなんだけど。
取りそこねたものを拾う。何の変哲もない、どこにでもある、ただのノートだった。
「日記と言われてもなぁ……」
日常が変化ないから、書いても無駄な気はする。
「あ、そうだ。喜中さん?」
「はい?」
さっきから無言で空気と化している喜中さん。声をかけると、普通に返事が返ってきた。話は聞いていたようだ。
「鍵、大丈夫?」
「え……あ!」
忘れていたらしい。
「お邪魔しました!」
椅子を倒す勢いで立ち上がり、何も持たずにリビングから出ていこうとする。
「ちょっと待って! もう夜だから!」
時刻は早くも遅くもない時刻。
女子校生が夜に外を歩くっていうのは結構危ないと思う。
アキラも、最近ズレてきたとか言ってたし。何がズレてきたのかは知らない。
「大丈夫!」
僕の言葉にあまり危機感を感じないようで、リビングのドアを開ける。
「こっちは心配なんだって!」
久しぶりに声を上げると、ピタッ、と動きが止まった。
「ごめん……要らないお世話だった?」
様子を伺いながら、聞く。今日知り合ったばかりの他人に、こんなこと言われる筋合いはない。
心配してるなんて、軽く言っちゃダメだったのかもしれない。
「そんなことないけど……」
顔をドアに向けたまま、小さく呟かれる。怒ってはないらしい。
「よかった。それなら、今夜はもううちで止まって行けば? どうせ明日は休みだし」
「それは……」
「寝室のベッドは使ってもらっていいよ。僕はこっちのソファーで寝るから」
毛布は三、四枚持ってたはず。一枚持ってこればここでも楽に寝られる。
「うーん」
正直なところ、僕自身も一緒の部屋で過ごしたくはない。緊張するし、変に気は遣うし。
それは、相手にとっても同じだと思う。
けれど、部屋を別々にすればいいだけの話。
「うん、分かった。ありがとう」
こちらを向いて、笑顔を見せる。この時、初めて彼女の笑顔を見た。
本物なのか偽物なのかなんて気にしなくて、ただ嬉しかった。