似た者
自分の家なのに重い気分で中に入ると、リビングの椅子に、ちょこんと少女が座っていた。
当然、入ってきた僕と目が合う。
「あ……えーっと、ホットミルクでいい?」
慣れない笑顔を顔に張り付けながら、とりあえず聞く。
口を半開きにさせたまま、頷かれる。
「じゃ、じゃあちょっと待っててね」
はは、とそそくさに台所に移動する僕。
なんなんだこの状況!
アキラはコンビニに買いものに行くし、あの子はボーッとしてるし、僕はマグカップに牛乳入れてるし!
レンジで牛乳パネルをタッチして、聞こえないくらいのため息を一つ。
ため息多くなったよなぁ、とまたため息。
しばらく待って、温めが終了した電子音が鳴り、レンジから牛乳を取り出す。
「はい」
さっきから部屋を見渡してる少女に、とりあえず真っ白なカップに入った牛乳を手渡す。
警戒心は全くないようで、温められた牛乳にすぐ口を付ける。
熱かったようで、口からカップを遠ざけると、勢いよく中身がテーブルに溢れた。
「だ、大丈夫!? すぐに布巾持ってくるから!」
やけどしたなら、すぐに手を冷やさないといけない。台所にある、側面がくっつくタイプの布巾かけから、摘みとる。
急いで水に濡らす。
「だいじょ、う……」
リビングに移動すると、声が尻すぼみに消えていった。なぜなら、少女が泣いていたから。
熱い牛乳のかかった手を拭きもせず、マグカップを傾けたまま、もう片方の手で目を拭っていた。
マグカップの牛乳は溢れ、少女の手で止まる。
熱いはずなのに離しもせず、静かに泣いていた。
「早くそれ離して!」
少女の右手からマグカップを奪い取り、付近で牛乳を拭く。
すぐにぬるくなってきてしまうので、取り替えに行く。
その前にテーブルの端から牛乳が垂れないようにさっと拭き取る。
「ごめん……なさい。こぼして……」
むせび泣きながら謝る彼女。
「そんなのいいから。手、大丈夫?」
テーブルに布巾を放置したまま、台所にかかっているタオルを濡らす。
そして急いで真っ赤になった手に巻き付け、押さえる。
「ごめん、熱かったね」
もうちょっと冷ましてから出せばよかった。こうした失敗を繰り返すから、いつまで経っても僕は……。
「…………」
僕に返事をすることなく、ただ泣き続ける。
かける言葉も思いつかず、ただ僕は彼女の手を握っていた。
牛乳を零しただけで泣くなんて、相当熱かったのかな。いや、それならすぐにカップから手を離したはず。
なら、失敗したらすぐに落ち込んでしまう性格とか、初対面で緊張したとか? 初対面というかナンパというか。
まさか、連れ込まれたことが怖くて泣いた?
それが一番妥当だし、そもそも抵抗しない理由はただ怯えていただけだと説明がつく。
「落ち着いた?」
なんて考え事をしているうちに、段々と落ち着きを取り戻した彼女。
僕の言葉にこくりと頷いた。
「そう。よかった」
タオルをどけると、まだ肌は赤かった。だけどこれ以上冷ましてもしょうがないだろうし、タオルはそのまま台所へ持っていく。
そして、次にテーブルに残った牛乳を拭いて、最後にマグカップを手に持った。
どうしよう。どのタイミングで謝ろう。
「あの……」
少女が微かに発した小さな声に、冷や汗が頬を流れた。
何言われるか分からないけど、なんか怖い。
「ごめんなさい……私、失敗ばっかりで、泣いて、しまって……」
今にも消え入りそうな、か細い声だ。
伝えたいことがちゃんと話せてない感じだ。
「え? 零したせいで泣いてたの? 僕に悪いと思って?」
カップの中に水を溜めて、牛乳がこびりつかないようにしておく。
「……え? あ……」
首が取れる勢いで首を下げ、テーブルに頭をぶつけた。すごい勢いで。
「き、気にしなくていいよ……」
笑っちゃいけない。
台所に置きっぱなしだった牛乳を二個目のマグカップに注ぎ、笑いが落ち着いてから、彼女に横目をやる。
泣いたせいで丸っこく、潤んだ目が腫れ、年齢に対して幼い顔は、真っ赤になっていた。
「他人の僕が口出しできることじゃないかもしれないけど、あんまり無理しないほうがいいよ」
僕がそう言うと、彼女は俯いてしまう。
そしてポツポツ、と独り言のように呟かれる。
「無茶するしかなくて……一人で暮らし始めた以上、全部責任負わなきゃいけないから……」
「……」
最後のカップにオレンジジュースを入れ、彼女の前に置く。
「これよかったら。まだ自己紹介まだだったんだよね。僕は那谷幸多、君は?」
「……喜中柚子」
「そっか。よろしくね、喜中さん」
目を伏せたままだけど、答えてくれた。
喜中……うちのクラスにいたような、いなかったような。名前表なんてなかったからなぁ。
「あ、ごめん! 僕の友達が声かけちゃって、嫌だったでしょ?」
まず最初に言うべき言葉をここまで持ち越してしまう辺り、自分の会話能力の低さを思い知らされる。
「え! べ、別に嫌なんて思ってない!」
今までで一番大きな声で、意外なことを言われる。
「わ、私、友達ができないくて。高校入ったらできると思ってた。うまく友達作るんだって。でも、結果は今までとあまり変わらなくて」
オレンジジュースを一口飲んでから、言葉は紡がれる。
「友達が……ずっと欲しくて」
「そっか」
誰かに似ている。そう思った。
「ほ、ほんとは一週間前も同じ学校って分かってたから声かけたんだよ! でも、い、言うことが思いつかなくて!」
椅子から立ち上がり、両手でテーブルをバン、と叩く。
「分かったよ。分かったから落ち着いて」
あまりの必死さについ笑みが溢れてしまう。
自然と出た笑顔に、自分で驚いた。こんなの、久しぶりで。
そんな僕を見て、彼女は恥ずかしそうに席に座り直す。
「えっと、人間関係で悩むことなんてあるの? 見た目はバッチリだし、スポーツとかできそうなのに」
喜中の風貌は、背は小さいが、余計な肉がついていなくて、スッキリしているといった感じ。
後ろでひとまとめに括っている髪を見ると、スポーツをしているんだろう。
単に邪魔なだけなのかもしれないけれど。
単純に言ってしまうと、見た目は子供。高校生と言われたら、
なんとなくそうかもしれない
ってやっと思うレベル。
「見た目でいいことなんてない、昔から……」
表情に陰りが入る。小さい頃から、酷い扱いを受けてきたのかもしれない。
「まあ、うん」
また俯いてしまった喜中の目に映るように、身を乗り出して手を出す。
「これから、よろしく?」
何がよろしくなのかはイマイチ分からないけど、喜中の顔は一転して明るみを帯びていった。
「うん、よろしく!」
僕の目を見て、満面の笑みでそう言う。
表情豊かな子なんだね。
で、アキラはいつ戻って来るんだろう。