ハイテンション
「くくく……ついに決着の時がきたようだな」
「グッ……その子を離せ!」
可愛らしい笑い方をする少女に、僕は叫んだ。
肩をくすぐる程度の漆黒の髪、つり上がった勝気な目には、赤い光が宿っている。
口の端を上げ、僕を机の上から見下ろす様は、まさしく魔王そのものだ。
出るところは出ている身体の中心には、女子のものとは思えないほどにたくましい手で抱えられている時雨がいた。
僕は左腕を押さえながら、必死に頼んだ。
「頼む……頼むよ。大事な子なんだ!」
だが少女は綺麗に整った顔を意地悪く歪めながら、僕に絶望を叩きつけた。
「ククククク……アハハハハハハ! バカめ、泣けば許されるとでも思ったのか! この小娘は我がいただいていくとしよう。美味しく食べてやる、嬉しく思うがいい!」
そんな言葉をいい終えると、再度、大きな声で笑う。狂気。確かに僕はそれを感じ取った。
「クソ……僕に力があったなら……!」
手に力を込め、僕は思い切りピカピカの床を殴りつけた。痛い。割りかし痛い。
「お前ら何やってんの?」
絶望した時にこそ、ヒーローは現れるものだ。そうだ、忘れていた、この男の存在を……。
「助けてくれ、アキーラ! 暴君、エレナに姫君が囚われてしまった!」
「口調安定させろよ」
「……」
ハァ、と深刻そうにため息を吐くアキラ。なぜだろう、とても憂鬱そうだ。
「俺がボケる暇がないだろうが……!」
目をどこかへ逸らし、怒りを孕んだ口調で、小さく呟くアキラ。最近素が出てきたね。
「さてアキラくん、用事ができたんでアタシはこれで」
「時雨を連れて、一体どこへ行こうと?」
音すら立てずに教室を出ていこうとした少女に、首だけ動かして僕は聞いた。
少女が冷や汗を垂らして立ち止まる。いや、立ち止まるというよりかは固まった。
「バレた?」
「バレないとでも? ねぇ、誰のせいでこうなったかわかってる? ねぇ」
「お前、素出てんぞ」
顔に笑顔を張り付けて少女を煽っていると、アキラの冷静な声が飛んできた。おっと。
簡単に説明しよう。
ことの発端はあの少女、桜真衣が原因だった。
教室をうろうろしていた時雨を目で捉えたのか、いきなり飛びついた。授業中にも関わらず。正気の沙汰ではない。
当然、教師は激怒。真衣は教室の後ろに立たされた。教室中は異常なことが起こったはずなのに、妙に落ち着いていた。「またアレか」なんて声が聞こえただけだ。日常茶飯事らしい。
僕はさほど興味があったわけでもない。でも、時雨に気付けるってことに、少し興味が湧いた。
チラリと目を向けると、真衣は何か思いついたように、二ヒヒと口元を隠して笑った。
「先生! 原因は那谷くんにあります! 那谷くんも一緒に立たせてください!」
いきなり手を上げると、そんなことを言い出した。時雨がこちらに近寄って来たから関係者だと気付かれたんだろう。
先生に問われたが、僕は首を振った。すると真衣はなお追いすがり、結果、授業を妨害した責任として、教室の床拭きを命じられた。
何故か僕も指名されたので、人手が足りないとアキラを巻き込んでおいた。
同級生に同情の眼差しを向けられながら、時間は経過。
そして放課後、素直に掃除していたら、熱心に頑張る時雨を変態的視線で眺める真衣の姿があった。
そして急に時雨をガシっと捕まえ、教卓の上で立ち上がり
「我こそは、偉大なる魔王である!」
と宣言したわけだ。それで、いつの間にかこうなってた。途中、時雨は飽きて、真衣の腕の中で眠ってしまっていた。
「あっはっは。冗談ではないか那谷くん」
「マイ、寄越せ、今すぐに」
「まさかの名前呼び捨て!?」
驚愕を顔に浮かべるマイに、僕は真顔で、早足で近付いていく。
「えーとー、はい」
素直に差し出された手の中で、薄らと目を開けた。
「……コウ? あまいのまだ?」
むにゃむにゃと意識が覚醒しないままの時雨は、ふわぁっと欠伸をする。
そういえば朝、甘いもの買ってあげるとか言ったような気がする。泣き声がピタリと止まったんだっけ。
「ごめん、もうちょっとだからね」
「うん」
「マナ、下ろしてあげて」
「はい」
時雨を、ゆっくりと地面に下ろす。足が身体を支えていることを確認してから、マナは手を離した。
「さ、さて、さっさと終わらせちゃいますか! アタシも甘いもの食べに行きたいし!」
両腕をグルグル回しながら、再び教室の中へ戻っていくマイ。
ふと気付いたら、心を許してしまっていて、なんだか不思議な気分だった。
*
目を細めながら空を仰ぐと、もう太陽が沈みかけていた。
すっかりオレンジ色に染まった空の下で、僕らは自宅に向かっていた。
手にはビニール袋があり、中にはドーナッツが入っている。近くの駅に売られていたものを買ってきた。
「やー、今日は珍しい出会いをしたねー」
腕を頭の後ろで組みながら、マイは満足そうにそう言った。腕の中には時雨がいて、僕の持っているビニール袋をじっと見つめている。
家に帰ってからという約束は守ってくれるらしかった。今にも飛びつきそうになっているけれど。
アキラは、掃除が終わるとさっさと帰ってしまった。
だから、高校生の男女が夕焼けの中で、二人で歩いている。端から見たら、恋人同士と勘違いする雰囲気だ。
「んー、コウくんは知ってるかな?」
マイが言った言葉に目線だけ向けようとして、逸らした。手元の時雨が僕に熱烈的な視線を送ってきたからだ。
早く、ドーナッツを寄越せ、と。
「あー……」
そんな時雨の愛らしさについ渡したくなる衝動に駆られるが、自分で言い出した約束だ、破ってワガママな子になっても困る。
僕はもう一度空を仰いだ。時雨を視界に入れないように。
すると、マイがクスクスと笑った。
「ん? どうかしたの?」
「いーや、何でもない」
妙に楽しげに言う。
「じゃ、アタシはこっちの道だから。またね」
手をブンブンと元気良く振るマイと別れて数分後。僕達は自分のマンションにたどり着いた。いつもの倍疲れた気がする。
「時雨、食べたゴミはちゃんと捨てておいてね」
「うん!」
袋から取り出した箱を渡すと、時雨は部屋の中へと走っていった。
「まだまだ元気だなぁ」
僕はドアを閉めると、隣の部屋の前に行く。
一呼吸を置いて、ゆっくりインターホンを押す。
そしてしばらく待機。もしかしたらまだ寝ているのかもしれない。
「はい……どちら様ですか?」
もう少し待つと、寝巻き姿の喜中さんが出てきた。真っ赤な顔で、息遣いが荒い。
彼女は僕を見ると、表情が少し険しくなった……ように見えた。
「こんばんは。迷惑だった?」
僕はそう聞くと、喜中さんは弱々しく首を振る。
「そんなことないよ……そろそろ辛かったところ」
目を閉じて、ふぅと息を吐く。
「何か僕にできることある? 出来る範囲ならなんでもするけど」
「え?」
僕の言葉に、喜中さんは戸惑いの色を浮かべる。
「必要ない?」
曖昧な笑みを、僕は浮かべる。それっきり会話は途切れ、場に妙な雰囲気が生まれる。
「えーと、じゃあ晩御飯、お願いします」
焦れたように、喜中さんが口を開いた。顔には、きっと僕を気遣った、微妙な笑顔を浮かべている。
「うん、任せて」
……失敗したなぁ。




