学校
僕の眠りを妨げる教育機関なんて消えてしまえばいい。
そんな理不尽な考えを抱きつつ、部屋に鳴り響く電子音の音源を掴み取る。
スマートフォンを適当にタッチすると、あんなに煩かった音はピタリと止まった。だが、僕の睡魔は消える気配がない。
あぁ、二度寝したい。フカフカなベッドの中でずっといたいぃ。
……サボろう。布団に手をかけ、頭から深くかぶる。
フワフワしていて、天国のような空間。人間にとっての一番の快楽は睡眠だ、間違いなく。
そうして僕の意識は徐々になくなっていき、また深い闇へと
「コウ!」
「……!」
身体の上に何かが飛びかかられ、息が詰まる。体重は軽くても、飛びかかられたらそりゃ痛い。
僅かに瞼を持ち上げると、熊の着ぐるみ型パジャマを被った男の子が見えた。
僕は横向きに寝っ転がり、起き上がろうとはしない。サボるんだ、自分で決めた考えを今更曲げるな。意識を強く保て。
「コウ! きょうどこかでかけるんでしょ! はやくいこうよ!」
幼い子供の、女の子のような甲高い声が、僕の耳へと突き刺さる。昨日遅くまでパソコンを弄っていたこともあって、頭がぐらつく。
この子、こんなに元気だったっけ……。
「おきて! はやくいこうよ!」
多大なダメージを受け、微動だにしない僕に対し、男の子はなおも追撃を仕掛けてきた。
それをなんとか耳に手を押し付けてやり過ごす。
「……コウ?」
僕の様子を疑問に思ったのか、騒ぐのを止めた。耳に当てていた手をどけると、トタトタと小刻みな足音が聞こえる。
急に布団が引っ張られ、冷たい空気が僕の肌に直撃した。
声を上げたら負けだ、身体を気付かれない速度で丸め、必死に耐える。
「ねー、コウー」
声の聞こえる場所から大体の位置は掴めるが、詳しいところは分からない。
慎重に、もう一度薄く目を開ける。
すると、僕の目には中性的な子供の顔がドアップで映し出された。子供に中性的も何もない気もするけど、言うなら女の子と言われても気づかないような。
昨日フードを被って見えなかった髪は薄く緑がかった黒色だった。
僕に飛びかかった男の子――時雨は口を半開きにして、じっと僕を見ていた。破滅的な可愛さだ。写真撮りたい。
「あ、やっぱりおきてた! はやくいこうよ!」
僕がこの子の顔をドアップで見たということは当然、同じふうにこの子にも僕の顔も映っている。目を開けて気付かないほうがおかしい。
笑顔でそう叫びながら、僕の肩を揺らしてくる。
「お、起きてないよ! コウは寝てるよ!」
我に返った僕は布団を引っ張り上げて、背を向けるように寝相を変える。
「わっ」
ビックリして時雨はその場から後ずさったようだ。こうしていれば、いずれは諦めてくれるだろう。
「コウー、コウ? コウー」
返事をしたくなるのを、グッと堪える。
「コウ……ぐす……」
いつまでもそうしていると、時雨の声が止まった。震えて今にも泣き出しそうな声で。
が、我慢だ。ここでこの子が泣いてしまおうと、このベッドから出る苦しみのことを考えれば幾分かマシなはずだ! そもそも、こんなことで泣く子じゃ……。
「ふええぇぇぇぇぇん!」
「分かった! 起きるから! 今起きたから!」
布団から飛び出すと、時雨の、鮮やかな青色の双眸から大粒の雫が絶えず落ちていった。号泣し始めた時雨をあやすのに一番手間がかかった、本日午前七時のこと。
*
「……辛い。学校が消えればいいのに。永久的に、痕跡すら無くして、新たな時代の幕開けに」
「何言ってんだお前。今日は俺がツッコミ役か?」
ブツブツと呟いていた僕に、アキラは物珍しい目でこちらを覗き込んでくる。
「最近俺もあんまりふざけてないから、ふざけたいんだぞ? お?」
「何言ってんの……近い。下がれ」
机に顎を乗せたまま、さっき言われたセリフに少しアレンジをして返す。聞く気はないようだ。
言わずもがな、会話の相手はアキラ。残念ながら、この学校で唯一の親友だ。
「それにしても、朝からお疲れだな。いつもだったらサボってるだろ」
僕は顔だけ動かして、誰のせいかを伝える。
「あぁ、あいつがいたか」
顔を上げて動かした先の人物を捉え、アキラは納得したようだった。
「名前なかったみたいだから、時雨って名前付けちゃったんだけど、よかった?」
「別に名前なんて何でもいいだろ。余程呼びづらい名前でもなきゃ」
「冷めてるなぁ」
「お前が言うなよ」
窓を触ってキラキラと目を輝かしている時雨。そんな子供に誰も気付かずに談笑しているクラス。
なぜか、胸に冷たいものを感じた。
「なんで連れてきたんだよ」
顔だけ時雨のほうを向けていたら、アキラがそんなことを聞いてきた。
「え? あぁ、しょうがないじゃん。一人で置いとくわけにもいかないし」
「そりゃそうだが……授業中どうすんだよ」
「……」
そこまで考えてなかった。というか考える暇がなかった。
僕の無言に、アキラはハァとため息を吐く。
「まあ、空間自体が捻れてるからお前があいつと話しても誰も気付かないだろ
う。でもあいつが動き回ると面倒だぞ。接触したら認識できるわけだし」
「あぁ。しぐ……」
近くに呼び寄せようとした時、時雨が誰かにぶつかって転ぶのが見えた。
「っと……子供?」
慌てて時雨の元に駆けつける。遠くから名前を呼んで変人扱いっていうのを避けて、無言で。
時雨から離れすぎていると、空間の捻れの外に出るらしく、時雨と関わっていてもしっかり認識されるらしい。
幸い、怪我はないようだった。軽くぶつかっただけだし、当然といえば当然だ。
「おいおい、学校に子供連れてくんなよ。悪かったがよ」
ぶつかった相手は、背の高い男子生徒だった。頭を金髪に染めて、耳にピアスを付けている。まだ四月の中旬なのに、既に若干破けている学ランを羽織っている。
鼻が高く、細長い目の瞳は黄色だ。不良という二文字が似合いそうだった。
「ごめんごめん。次から気をつけるよ」
「ったく……」
男子生徒はそれ以上僕を責め立てることなく、さっさと教室の中へと入っていく。
周りが訝しげな視線を向けてきたが、僕が見た瞬間、視線を逸らして談笑に戻る。
何もいないのに、突然走ってぶつかったと見られているんだろう。ため息を吐きながら、時雨の手を引いて席に戻る。
いつの間にかアキラは自分の席に座っていた。
「ごめんなさい」
僕が席に座ると、時雨は申し訳なさそうにペコリと頭を下げた。意外としっかりしてるなぁ。
「いいよ。次からは気を付けてね」
ポンポンと頭を叩くと、時雨は顔を上げた。
「え……?」
小さく声を漏らしながら、目を見開いて僕を見る。この一連の動作に、疑問を持ったらしい。
そんな様子に、僕は首をかしげた。
「よくこんな短時間でそんなに懐いたな。まだ一日経ってないぞ」
そんな時雨の様子には気付かなかったようで、今のやりとりを見て、机に頬づえをついたアキラが言う。
「人懐っこいんじゃない? 元々」
考えを据え置き、頭に置いた手で撫でてやる。時雨はくすぐったそうに身を捩った。抱きしめたい。
「ふむ……ん? お前の恋人はどうしたんだ?」
「恋人?」
アキラが思い出したように尋ねてくる。記憶を思い返しても、僕の恋人らしき人はいない。
「あー……喜中? だったか。名前を覚えるのは苦手でな」
グダーっと机に突っ伏しながら、だるそうに言う。
「同じクラスだっけ? それすらも危ういんだけど」
「同じクラスじゃなきゃ声かけねぇよ。寝ぼけてるんじゃないのか?」
僕の今更感溢れる言葉に、アキラは呆れた様子で言う。それくらいの常識はあったのか、見直した。
「……その奇妙なものを見る目をやめろ」
心底鬱陶しそうにアキラは、僕の視線を手で遮る。
「それで、まだ来てないと」
「席は空いたままだな」
ふーん、と返事をすると、予鈴が鳴った。バラけて雑談していた生徒達が、自分の席に戻っていく。
その光景を何気なく眺めていると、アキラが言った。
「今日、あいつの家訪ねてみたらどうだ?」
多分、特に考えなしに言ったんだと思う。それに僕も、同じように答える。
「考えておくよ」




