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私的哲学

書物について

作者: 羅知火 夜鷹

これは、あくまでも私の考えであり、それ以上でも以下でもありません。意見の押し付けをするつもりはありません。

私は本が好きだ。本を読むことで、その中の世界の一人に自分が慣れるような思いを

抱く。

だから、読書が好きだ。自分がその中に記された夢のような素晴らしい世界の住人に

なれているような気がするから。


自分の好きなことをする。それはとても素敵なことだ。

私の場合は、本を読むことがそれにあたる。



読書とは、誰かに強制されたものではない。

小中高校などでは、朝に読書の時間を設けられているところも多いだろうが、それで

も、そこで読む本は書物であれば基本なんでもいい。

ゆえに、自分の好きな物を読む。それでいいのだ。

それが、『読書』。

読んで字の如く、『書物』を『読む』ことなのだから。



だがしかし、自分が好きなものではないから、といってそれを読まない、というのは

聊か本への冒涜のようにも思える。

ライトノベルだから読まない、とか。

挿絵がないから読まない、とか。

そのような本はこの世に大量に存在し、第一に書物の起源をたどればそれはただ文章

だけが連なる巻物にまでさかのぼれるだろう。


ライトノベルからハードカバーや文庫になっている物は多く存在する。

また逆も然りで、ハードカバーや文庫からライトノベルになっている物もとて多く存

在する。

また、その間で文章が改変され、改定された部分とて存在するだろう。

「〜だから」、という偏見だけで、その種類の本を読まない、というのは、本が可哀

想だと私は思う。

改定や改変の部分を楽しむことも、また読書の醍醐味だと私は思っているからだ。



書物は、そこに存在する限り読み手を欲し続けているのだと思う。

書き手がせっかく世に生み出した、唯一無二の物語。類似こそ多くあれど、まったく

の同一は存在しない。あれば、それは単なる盗作だ。

好評不評は兎も角として、読み手に読んでもらえて初めて、その物語は息をするのだ

と思う。


どんな評価であれ、それがその物語に与えられた、評価した人間からの価値だ。

価値とは人其々異なるのだから、世間が不評しているからといって、個人にとっても

不評だとは限らない。

逆もまた然り。世間に好評だからといって、個人にとっても好評だとは限らないの

だ。

当たり前のことだが。




書物に限らず、人其々の、個人の評価は重要だと思う。

何事も、やはり自分の物差しで測ってみないといけないのだと思う。

他人の評価だけが、全てではないのだから。

最終的な判断は、自分の評価でつけるのだから。






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