◆1月4日「死刑!ってこまわり君が言ってたなぁ(=゜ω゜)ノ」
おはようございます。
本日の埼玉県ふじみ野市方面は、
ちょいと雲が有るんですが、おおむね晴天の清々しい朝を迎えておりますよ。
お正月三が日は如何でしたか?
神夏は見事に寝こける三日間を過ごしてしまいましたよ。
実は初詣にも行っちゃぁいない。
無信心・無宗教を貫く身としては、こうなる事は
目に見えてたんですが、お正月くらいは何とかしろよと
自分で自分に突っ込んでみたりしておりますよ。
ま、平和に暮らせたから良しとしようじゃぁ有りませんか。
今年は土日もお休みでまだまだお正月気分ですが、
一年に一度の事ですのでのんびり過ごしてくださいましね。
日本人、働きすぎですからたまにはまとめて休まないとですね。
今日も元気に参りましょう♪♪
さて、
1879年の今日1月4日は平安時代から脈々と続いてきた
刑罰の一つ『梟首刑』要するに
さらし首が廃止になった日なんですよ。
1879年と申しますと明治12年、
意外と最近まで行われてたんですねぇさらし首って。
江戸時代に庶民に科せられた死刑は6種類有って、
両手両足を牛に括りつけて一斉に走らせてバラバラに引きちぎる「牛裂き」
罪人を首だけ残して地中に埋めてその首をのこぎりで引き切る「鋸引き」
それに時代劇でお馴染の「打ち首」この時に
切り落とした首をさらしも似にする事を「獄門」と呼んだそうです、
後は火刑と磔なんかが有った様ですが、
昔の死罪は、ただ単に殺すだけじゃなくて、それを見ている人に対する
精神的なダメージも重視されてて
前述の「鋸引き」なんかはわざと切れ味が悪い竹製の鋸で
くびちょんぱにしたんだそうですよ。
その刑が執行されてお亡くなりになった亡骸は、
刀の試し切りに使われたり、
お葬式を出す事も許されなかったんだそうです。
悪い事するとお前もこんな目に会うんだぞという見せしめ重視の
刑罰が多かったそうで、人間、こんなにも残酷になれるものかと、
心が冷え冷えしてしまいます。
一応、法律というものが有って、
それに則って刑罰が決まる訳ですが、
現代社会に生きる私達の目から見ると、
何もそこまでって思う刑罰も有る訳ですが、
封建主義の世界では恐怖で人を統治する以外、
手段は無かったんでしょうねぇ。
で、
某北のお国が只今、この状況の真っただ中で
「粛清」の名の元に親類縁者だろうが
権力者だろうが独裁者の権力維持と気分でこの方法が横行してるわけですよ。
若い領主様なんだし、外国に留学してた経験も有るんだから、
もう少し、寛容と言うか広い目で国や世界を見つめても
よさそうな気がするんですけどねぇ・・・
周りがそれを許さないんでしょうか。
★
死刑制度の是非に関する議論や意見交換が
活発になりつつありますね。
現政権は、定期的に死刑の執行を行っていくと堂々と宣言しておりますし、
その逆に民間では如何なものかという意見もあれば、
それだけの罪を犯したのだから
死を持って償うのは当然という意見も御座います。
神夏の意見としては、はっきり言って考え中・・・
否定もできないし肯定も出来ないのですよ。
罪を犯した人も更生して正しい道を歩む可能性もある半面、
当事者側の感情も蔑に出来ない。
あちらを立てればこちらが立たず、
アメリカ見たく終身刑制度を導入すればって言う意見も有りますが、
それじゃ当事者の思いが晴れない、
そんな気がしてなりませぬ。
一番良いのは罪を犯す前に何か対策が取れれば良いのですが、
昔の四人組なんちゅう制度が復活しそうでこれまた怖い。
頼むから思い止まってくれって思うし、
どんなに頑張っても人間必ず死ぬんだから、
放っとけと思うんですが、人間の感情はそれすら許さないわけですよ。
勿論、その気持ちは分かります。
2014年の頭から暗い話になりましたが、
罪を憎んで人を憎まず。
この精神が大事なんじゃないかなって思います。
もっとも、そんなこと言えるのは
悟りを開いた坊さん位の物かも知れませんが、
プライドを持って生きていければなって思います。
でも、やっぱし難しいなぁ・・・
そんな事件が今年は起こらない事を心から希望致します。
ではまた明日(⌒∇⌒)ノ“”マタネー!!
死刑が執行された事をニュースで報道するのは、有る意味「獄門」と言っても宜しいんでしょうかねぇ……死刑制度が見せしめの為に有るとしたら、この制度について考え直す必要は有るのかもしれませんが、これ以外の究極の刑罰が見つからない以上、当分こう言う事をして行く必要は有るんでしょうね。一番良いのは死刑になる様な罪は犯すな、そこに尽きる気がします♪♪