〜罠〜
次の日の朝にギルは出て行った。寂しがるユイに国内にはいる、と言い残して。
「国内にいるならウチに泊まってればいいのにな。なんの仕事なんだろ?」
国内にいるとは言ったが、出て行ってから姿は全く見ない。
「護衛とかじゃないかしら。元々旅の人だから引き止める事もできないわ」
ジャンの独り言に仕事を終えたユイが答える。
やはりどこかまだ寂しそうだ。ユイにとって、ジャンが覚えている限りではこれが初恋である。
__つーか姉貴、22になるまで恋した事ないってどんだけこの町の男どもはダメなんだよ。
もしかしたら姉貴はこれが恋だという事に気付いていないかもしれない。
え、そんな馬鹿な、という事実に気が付いてジャンは青くなりかけた。
__二人とも鈍いとか…ってか姉貴猛アピールしてたよな?アレ無意識かよ!?
「うーん…」
ジャンは座っていたテーブルに伸びた。
「どうしたの?お腹空いた?」
姉が訊いてくる。
__全く姉貴は…
余計に頭を抱えたくなる。
「そういえば、シモン達明々後日お城に行くのよね?」
「そうだよ。俺は反対なんだが」
「そうね。みんな一度ここに集まるんでしよ?」
ユイがジャンの前の席に腰をおろした。手に持っていた台拭きをテーブルに置く。
「いや、今回はシモンのとこに集合だそうだ。それ以外はいつも通り一応メンバー全員に知らせて、行く決心した奴だけ集合する」
「何人くらいになりそうなの?」
「…だいたい10人ちょっとだろうな」
「あら、思ったより少ないわね」
「ああ。みんな今回はなんか嫌な予感がしてるんだ。やめといた方がいいってね」
「そうなの?でももう決まってしまった事は仕方ないわね。嫌な予感が当たらないように祈りましょう」
「うん。じゃあ姉貴、俺明日も早くからバイトだからもう寝るな」
ジャンはそういうと席を立った。
「ええ。毎日お疲れ様。おやすみなさい」
笑顔がちょっと疲れているように見えたが、手を振ってくれた。
-☆-☆-☆-
三日後の夕方、バイト先から帰ると酒場にメンバーが何人か集まっていた。普段は幹部だけなのに、今日は他のメンバーも多い。
「どうしたんだ?皆で集まって」
ジャンが訊くと、近くのテーブルに座っていたオッドが返事をした。
「まだ帰ってきてないんだよ、今日抗議に行った奴ら」
それはおかしな事だ。抗議に出て行ったのは午前中。もうとっくに帰ってきていていい時間なのに。
「いくらなんでも遅すぎだろ…」
__嫌な予感がする。
「ちょっと見てくる!」
ジャンは踵を返して酒場を出ようとした。
ガチャッ
ノブに手をかけようとしたところで、突然戸が勝手に開いた。
「誰か手を貸してくれ!」
戸口に立っていたのはガスだった。血塗れで血みどろの男を担いでいる。
「心配になって城の前まで行ったんだ。そしたらこいつが投げ捨てられてて!」
急いで入ってきて椅子を並べて作った簡易ベッドに男を寝かせる。
「ジャック!」
誰かが悲鳴を上げた。
「こいつ今日抗議に行った奴らの一人だ。城で何が!?」
騒ぎを聞きつけて二階から降りてきたユイが小さく悲鳴を上げ、酒場のカウンターに飛び込んだ。救急箱を取り出す。
「他のメンバーは知らん。こいつしかいなかった」
椅子に座り込んだガスが言う。
「殺…された…‥」
ジャックが声を上げた。
「は?」
「皆、殺された…雇われ‥傭兵……殺し‥た」
顔を血や涙でぐちゃぐちゃにして途切れ途切れ言う。
「ジャック、今はあまり喋らないで!」
止血をしながらユイが叫ぶ。
「怪我人は!?」
戸をバンッと音を立てて男が入ってきた。この町の医者だ。
医者はジャックを見るなり連れてきた助手や周りに指示を出し始めた。
「ジャック、悪いがこれだけ答えてもらえるか?」
いきなり慌ただしくなったなかでジャンはジャックに訊いた。
「その傭兵の名前わかるか?」
ジャンの問いにユイがハッと顔をあげる。
「…ひ、ぞめ‥…」
「ひぞめ?」
__ひぞめ?ひぞめ…緋染!?
「“緋染の一匹狼”か!!?」
「なに!あの伝説の!!?」
周りが一気に騒がしくなる。
「“緋染”がこの町に来てるのか」
医者が手を動かしながら口を開いた。
「知ってるのか?」
「ああ。終わってから話そう」
後で話そうと言われてしまったので、ジャンは仕方なく医者の邪魔にならないように引っ込んだ。
周りは小声で“緋染”だって…!?という囁きが広がっていく。
しばらくしてジャックの傷を縫っていた医者が顔を上げた。フーッと息を吐き、血塗れた手を拭う。
「ジャックはもう大丈夫だ。俺は元傭兵で3年前まで出稼ぎに出てた。その時見て、話しもしたんだ。…ありゃ鬼神だぞ。無表情で眉一つ動かさずに一個小隊くらいなら一人で簡単に片す」
一個小隊というと、だいたい100人規模の兵団なはずだ。この前は千騎斬りをやったというからそのくらいならできないわけはないだろうが…普通に人間技ではない。どんだけ強いんだ。
医者は一旦言葉を切ったが誰も何も言わないので話しを続けた。
「ただ愛想は全くなくてな。声をかけたのがスタイル抜群の美女でも、全く反応なしだった。だがまあ、ジャックの傷の切り口でわかる。ありゃ達人級の仕業だ。そこらの平凡な奴にできるもんじゃない。それにこれは不思議なことなんだが、怪我自体は酷く見えるて実際には見た目より軽傷だ。ジャックは一ヶ月くらいで復帰できるだろう」
医者の診断結果に皆少し安堵した。
「それはよかったが…つまり俺達のやろうとしてることは絶望的ってことだな」
「だとしても諦めるわけにはいかない」
「その通りだ!」
強敵が現れてしまったが諦めるわけにはいかない、とレジスタンス達は決意を新たにした。
「皆!新情報だっ」
再び戸がバンッと音を立てて開き、男が飛び込んできた。
「ダラスが城から出るってよ!」
-☆-☆-☆-
「ジャン!あなた本気なの!?」
誰もいない酒場にユイの声が響く。
「ダラスの暗殺に参加するなんて!」
「姉貴!声でけえよ。決めたんだ」
姉が僅かに怯んだのがわかった。
昨晩から姉はどこか調子がおかしい。
昨晩、国王が外出するという情報が入った。持ってきたのは普段から多くの情報を持ち寄る男で、メンバーから信頼もされている。
国王の外出は今夜だ。いつもより急な話しではあるが機会には間違いなかった。
「姉貴は来るなよ?危ないから」
ジャンは言い残すといつもの警棒を提げ、その他に短剣を服の中に忍ばせてもうすぐ夕暮れ時に突入する通りへ足を向けた。
通りを5つほど行き過ぎ、目的の建物に辿り着く。
人目を確かめてから中に入った。
中はもう閉店したらしいが食堂のようになっていた。置かれたテーブルにちらほらとメンバーがついている。
「来たか。ちょうど時間だ。作戦を説明する」
オッドが中央のテーブルから言った。
「ダラスは西門から出る。これはいつも見張っていてわかった事実だ。西で大丈夫だろう。そして出てくるヤツをこことここで待ち伏せる」
オッドは取り出した地図の二カ所を指で突ついた。この建物の表通りの、建物の陰だ。
「ヤツが出てきたら静かに取り囲み、ヤツらの気を引く。そしてここの上に潜んだ射手が矢を浴びせる。こっちが本命だ。“緋染”がついていても突然飛んで来る矢は防げまい」
地図のちょうどこの建物の辺りを人差し指でトントンと叩く。
「射手は3人くらいいればいいだろう。ここに弓矢がある。持って行ってくれ。さあ、配置につくぞ」
集まったメンバーの中から腕に自信のあるのが3人、弓矢を持って二階へ上がっていく。
ジャンはどちらかというと苦手なので、戸口から様子を窺ってから外に出た。
薄暗い通りを歩き、オッドが指定した物陰へと身を潜める。
短剣の柄に手をかけ、待つこと数分、王とその護衛と思しき一行が通りの向こうに姿を表した。
護衛は3人,真ん中のがダラスだろう。お忍びのお出かけに相応しくフードを目深に被っている。
ダラスの右側を銀髪の傭兵が歩いてくる。あいつが“緋染”か?
向こうの物陰でオッドが合図を送っている。
ジャンは持参した帽子を目深に被って物陰から歩み出た。何気なく歩き、御一行の前ち立ち塞がるように足を止める。
ジャンの後ろについて来た仲間がぞろぞろと通りに展開した。
ジャンは“緋染”の方に視線を向け__
「っ!!!?」
ガツンといいそうな衝撃を脳内に受けた。そのくらいショックだった。
感情を映さない顔に、奔る2本の古傷、紅玉と銀狼の毛のイヤーフック。
髪は銀色で瞳は紅いが、紛れもなくギルだった。
__なんて顔してんだ…
ウチに泊まっていた時の無表情が無表情でないくらい表情が抜け落ちている。
__お前が“緋染”だったのか?
「お前達、何の真似だ?通りに立ち塞がって、通れないだろう」
ダラスの前を歩いていた護衛が手を振ってこちらを追い払おうとする。
「通れないようにしてんだよ」
ジャンは気を取り直してそう返すと服の下に隠し持っていた短剣を抜き、構える。
横に並んだメンバーも次々と各自で持ってきた武器を取り出す。
__今だ。今だ、射て!
ジャンが表情に出さずそう思った時、ギルが動いた。スッと右手を前に上げたのだ。
「なっ!?」
ジャンは思わず声をあげてしまった。もちろん驚きでだ。周りの数名も息を呑む。
伸ばしたギルの手には矢が一本掴まれていた。鏃がダラス寸前で止まっている。ダラスも目を見開いていた。場が凍りつく。
それも一瞬の事で、ギルはすぐさま掴んだ矢を投げ捨てると刀を抜き、次々降ってくる矢を叩き落とし始めた。あろう事か飛んで来る方向に駆けながら。しかも足が速い。
そしてダンッと地を蹴って降り注ぐ矢の中、仲間の射手がいる二階に跳び上がった。
斉射が止み、悲鳴が上がる。
僅か数秒後、ダラスの横にギルが降り立った。手にした刀が血で真っ赤に染まっている。
「おのれぇえっ」
予想していたとはいえあまりの出来事に呆然と固まっていたレジスタンス達は誰かが上げた怒声で我に帰った。
何人かは再び怒声を上げ斬りかかっていく。
「待てっ!」
オッドの制止も届かない。
ギルが制止するように刀を上げた。血が滴り落ちる。
それを見て飛び出した連中は足を止めた。
「まあ待て。それより先に自分達の背後を確認して見たらどうだ?」
ギルの刀に護られるように立つダラスがニヤニヤと笑いながらジャン達の背後を指差した。
誰か背後を向いたのか、情けない悲鳴が上がる。
ジャンも背後を見て全身の血の気が引いた。
__罠だったのか…!
制服を着た憲兵達がぞろぞろと並ぶ。脇道もしっかりと固められている。数人が近くの建物に逃げ込もうとしたが、到達する前に取り押さえられた。
ジリジリと寄ってくる憲兵に対抗するも、やはり訓練された兵士には違いない。だんだんとメンバーが捕まっていった。
ジャンは憲兵に引っ張られた腕を振りほどき、ついでに殴りながらギルの方を見た。
__…いない。どこだ?
キョロキョロと辺りを見回したが姿が見えない。
「…どこ行ったんだ、ギル」
呟いた途端、腕が背後に捻り上げられた。喉元で血塗れた刃が光る。
「ジャン…」
耳にギルの声が入ってきた。
「…ギル!?」
振り向こうとしたが、いつどこをどう押さえられたのか全く身体が動かない。首を押さえられ、だんだん視界が暗くなっていく。
「これだけは言っておく。お前の仲間は誰も殺してない」
最後に酸素を失った脳が認識したのはそんな言葉だった。