兆し
兆し:物事の起ころうとする光候。前兆。
「白い梅木が赤く染まった」
「それは、誰の血で」
「彼の者に仇なす者の血で」
「彼の者はお怒りだ」
「ああ、恐ろしい。恐ろしい」
はらりはらりと、地に落ちた花は赤く染まりながら笑った。
いつも通りの朝だった。
目覚まし時計の音に起こされて、眠たい目を擦りながら朝食を用意して、忘れ物がないか学校の鞄の中を確認して、制服を着てから用意した朝食を食べる。
自分が病気になったわけでもないし、怪我をしたわけでもない。
むしろ、まともに寝ることができないテスト週間も終わり、昨日より体調がよかった。
朝食を食べながら、近くに置いてあったリモコンを手にとってテレビをつける。
車の衝突事故や震災、強盗、いたずら、etc……。
今日も朝から悪いニュースを私たちに教えてくれるテレビに、平和になる日はくるのかな、と暢気に心の中で問いかけながら朝食を食べ続けた。
テレビから流れてくるニュースを聞きながら朝食を食べ終わって、キッチンに食器を運んでから充電中の携帯のことを思い出す。
食器を洗うのを後回しにして、先に部屋にある携帯を確認しに行く。
親からも友達からも悪いニュースは届いていなかった。
何時もならそんなこと気にもしないのに、どうしてか今日は気になってしかたなかった。
特に何かがあったわけでもない、本当に何時も通りの朝のはずなのに何かがおかしいという思いが心の中に染み付いて消えない。
誰かに見られているかのような思いを抱いてしまう心も、何時もは気にしない音にまでびくびくしてしまう体も、白に過剰反応してしまう目も、誰かの言葉が聞こえてくるように感じる耳も、全部、夢見が悪かっただけだと誤魔化して心の中から消し去った。
友人が迎えに来てくれるまでの時間に食器を洗うかと思ったが、今日は面倒に思えて、携帯を片手に時間を潰すことにした。
携帯ゲームを操作しながら、時々時計を見る。
時間を気にしているせいか、時が流れるのが遅く感じた。
時計の針が七時半をさした頃、漸く家のチャイムがなる。
鞄を手に玄関まで走って玄関の扉を開けると、パンッという破裂音に目を見開く。
何が起きたのか理解する前に、柚木が笑いながら言った。
「誕生日、おめでとう!」
その言葉に、咄嗟に「ありがとう」と返事をしてから、柚木が持っていたクラッカーに視線を落とす。
誕生日のたびにクラッカーやびっくり箱を用意して、私を脅かす柚木の行動は何年たってもなれない。
昔、お世話になっていたお姉さんの妹なのにどうしてこんな風に育ったのだろう、と言う疑問を抱いているということは柚木には内緒だ。
そんなことを考えている間に、クラッカーをポケットにしまった柚木は学校の鞄の中から細長い箱を取り出して、私に差し出して笑う。
「はい、これ。誕生日プレゼント兼お土産」
恐る恐るその包み紙で包まれていない箱を受け取り、開けてみる。
中に入っていたのは梅の花の簪だった。
その簪を見た瞬間に、どくどくと激しく動き出した心臓。
何か大事なことをを忘れている気がする。
そんな疑問を気のせいだと誤魔化しながら、小さな声で「ありがとう」と柚木に告げた。
柚木は私がお礼を言ったのことに対して満足そうに笑う。
その笑みはお姉さんに似ていると思った。
そう思って彼女の顔を見ていると恥ずかしそうに顔を赤らめる。
それを誤魔化すように柚木は、私が受け取った簪を指差しながら説明し始めた。
「可愛いでしょ? この前、家族で旅行に行った時に絶対、さちに似合うと思って買ってきたのだ」
確かに、箱の中に入っている簪は可愛いと思う。
だけど、何故か簪を見ていると何かを忘れている気がして嫌だった。
何を忘れているのかは分からない。
「大事にするね」
柚木に告げた言葉に偽りはない。
だけど、簪をつける日はきっとこないだろう。
そっと玄関の廊下にそれを置いて、視線をそらす。
簪を見ていると不安と恐怖と少しの懐かしさに泣きそうになってしまいそうだった。
それに気づいていない柚木は嬉しそうに笑いながら言った。
「じゃあ、今日も張り切って学校に行きましょうか!」
柚木が明るく言った言葉に頷きながら、私は玄関の扉を閉める。
中から誰かの笑い声が聞こえた気がした。