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屋敷があった夜だけ

作者: 長谷川誠
掲載日:2026/04/27

 屋敷は、毎晩そこにあるわけじゃなかった。

 ある夜には確かにあって、ない夜には、初めから何もなかったように消えている。

 それに気づいたのは、小学校5年生の頃だった。

 友達が1人もいなかった僕は、夜になると家を抜け出して、近所の空き地の前まで行くのが習慣だった。昼間はただの更地で、雑草が伸び放題の、誰も寄りつかない場所だ。

 でも、夜になると——ふとそこに屋敷が現れることがあった。

 古びた木造の屋敷で、窓は暗く、灯りは一つもなかった。それでも何故か、屋敷の中へ入れるような気がして、僕は最初の夜、門をくぐった。

 玄関は開いていた。

「来てくれたのね。」

 廊下の奥から声がした。

 小柄な老婆が立っていて、白い髪を後ろでまとめ、僕を見ると嬉しそうに笑った。

「ほら、こっちにおいで。遊びましょう。」

 その日から、僕はその屋敷に通うようになった。

 屋敷があった夜だけ。

 老婆との遊びは、いつもどこかおかしかった。

 トランプをすれば、めくったカードの場所をすぐに忘れ、さっき自分が見たばかりのカードをまためくって「あら、さっき見たかしら」と首を傾げる。

 しりとりもした。でも、「りんご」の次に「さくら」と言ったりして、ルールが途中で崩れる。僕が指摘すると、「そうだったわね。」と言って、笑って、最初からやり直す。

 そんなことを、何度も、繰り返した。

 それでも僕は、その時間が嫌じゃなかった。

 学校では、誰とも話さなかったし、話しかけても、上手く会話が続かず、結局、黙り込んでしまう。

 でも、ここでは違った。

 老婆は、僕のことを見て、話しかけてくれる。

 ——ただし、その名前は、毎回、いつも、違っていた。

「タケシくん、今日は元気?」

「僕、タケシじゃないよ」

「あら、そうだったかしら。じゃあ……ユウタくん?」

 最後まで、僕は正しい名前で呼ばれることはなかった。

 屋敷は、規則的には現れなかった。

 3日間続けて現れることもあれば、1週間まったく現れないこともある。現れない夜には、どれだけ探しても、そこには空き地しかなかった。

 でも、ある夜には、ちゃんとそこにあった。

 そして気づけば、屋敷が現れるのは、決まって僕が1人でいる夜だった。

 小学校6年生の夏の日。僕に友達ができた。

 きっかけは些細なことだった。同じ班になった人に話しかけられて、それに答えた。それだけで、少しずつ会話が増えて、放課後に一緒に帰るようになった。

 気づけば、僕は夜に外へ出なくなっていた。

 屋敷のことも、思い出さなくなっていた。

 久しぶりに思い出したのは、秋の終わりの頃だった。

 なんとなく気になって、夜に空き地まで行ってみた。

 すると、あの屋敷があった。

 でも、前よりもずっと古びて見えた。壁は剥がれ、窓はひび割れ、今にも崩れそうだった。

 屋敷の中に入ると、老婆はすぐに僕に気づいた。

「あら……誰だったかしら。」

 その一言で、僕の胸の奥が少しだけ冷えた。

「僕だよ。」

 名前を言おうとしたが言わなかった。何故なら、どうせ覚えられていないからだ。

「そう、そう……来てくれたのね。」

 老婆は笑った。でも、その笑い方は前よりも曖昧で、どこか焦点が合っていなかった。

 その日も、トランプをした。

 でも、カードを配ることすら、うまくできていなかった。

 途中で手を止めて、僕の顔をじっと見て——

「あなたは……誰だったかしら」

 と、もう一度聞いた。

 僕は、答えなかった。

 その夜を最後に、屋敷は現れなくなった。

 1年後。

 中学生になった僕は、部活の帰りに、あの場所を通った。

 そこは相変わらず、更地のままだった。

 近くで、誰かの話し声が聞こえた。

「最近、亡くなったばあさんがいたろ」

「ああ」

「だいぶボケててさ。誰もいないのに、一人で喋ったり遊んだりしてたって話だ」

 その言葉で、すべてがつながった。

 トランプの場所を何度も忘れたこと。

 同じ話を何度も繰り返したこと。

 しりとりのルールを間違えたこと。

 そして、僕の名前を1度も覚えなかったこと。

 全部、遊びじゃなかった。

 ただの、ボケた老人の行動だった。

 それでも——

 あの人は、誰もいない部屋で、

 誰かと遊ぶ夢を見ていたらしい。

 屋敷があった夜だけ、

 その夢のなかに、僕がいた。(終)


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