第9話 「読者は間違わない。読者はいつも正直なだけ」
炎上を乗り越えて三日。
数字は、加速を続けていた。
日間ランキング:22位
累計PV:28,000
ブックマーク:420
評価ポイント:2,180
TOP30の壁をあっさり突破し、週間ランキングにも名前が定着し始めた。
一週間前には52位だった作品が、今は22位にいる。
放課後の図書館、開かずの間。
詩織はコメント欄の称賛を読んで、久しぶりに穏やかな顔をしていた。
パクリ疑惑の傷はまだ完全には癒えていないが、新しい読者からの「面白い」が、少しずつ上書きしてくれている。
——だから、今から言うことは、彼女を再び傷つける。
「文月さん。手術の時間よ」
詩織の手が止まった。
「……手術?」
「患者は、あんたの小説の主人公。『図書室の地縛霊』こと、七瀬結衣」
私はタブレットを差し出した。
画面には、感想欄から抽出したキーワード分析が表示されている。
「コメントの感情分析をかけた。ヒーロー(生徒会長)への好感度と、ヒロイン(七瀬)への好感度を比較して」
生徒会長への反応:
『かっこいい』『ヤンデレ最高』『もっと溺愛して』
七瀬への反応:
『うじうじしすぎ』『いつデレるの』『生徒会長が可哀想』
「……え」
詩織の顔が曇った。
「読者はイケメン生徒会長の溺愛を楽しみに来てるの。なのに受け皿であるヒロインが、いつまでも警戒して拒絶してる。読者のストレスが溜まってきてるのよ」
「当たり前でしょ!」
詩織が椅子から立ち上がった。
「いきなり監禁されて『好き』と言われても、恐怖を感じるのが普通でしょ? 心を開くまでには時間がかかるの。心理的な葛藤と変遷があるから、最終的なデレが生きるんじゃない」
「その葛藤が、読者のストレスになってる」
「それは——読者が間違ってるのよ」
「読者は間違わない。読者はいつも正直なだけ」
二人の間に、冷たい空気が流れた。
私は立ち上がり、ホワイトボード代わりのノートに書いた。
「Web小説のヒロインに求められる役割は、二つ。読者が自己投影できる器であること。そして、読者の欲望——溺愛されたい、特別扱いされたい——を代行してくれること」
「……つまり、バカになれってこと?」
「バカじゃない。素直になるだけ」
「同じよ。あの子から思考力を奪って、生徒会長に都合のいい人形にしろって言ってるんでしょ」
詩織の声が震えている。
怒りだ。パクリ疑惑の時とは違う、もっと根源的な怒り。
「あの子は私の分身なの。誰にも理解されなくて、孤独で、でもプライドだけは高くて——私が初めて書いた、本気のキャラクターよ。それを『チョロイン』に整形しろなんて——」
「分身じゃない。商品よ」
言った瞬間、自分の言葉が自分に刺さった。
——商品。
二年前、私も同じことを言われた。
投稿サイトのコメント欄で。「お前の主人公は読者の気持ちを考えてない」「もっと都合のいいキャラにしろ」と。
あの時、私は——。
「……リオさん?」
詩織の声で我に返った。
「……何でもない。とにかく、このままだと読者のヘイトがヒロインに集中して、作品全体の評価が下がるわ。対策が必要」
「対策って、具体的に何をしろって言うの?」
私は一瞬、迷った。
「チョロインに全面改修」と指示するつもりだった。
商業的にはそれが正解だ。データが示している。
でも——。
「……折衷案を出すわ」
「え?」
私は自分の言葉に少し驚きながら、ノートに書き始めた。
「ヒロインの人格は変えない。葛藤も残す。ただし、その葛藤の《見せ方》を変える」
変更前:ヒロインが内面で長く苦悩する→読者が「うじうじ」と感じる
変更後:ヒロインが苦悩する→だけど身体が正直に反応する→ギャップ萌え
「頭では拒絶してるのに、心臓が勝手にドキドキする。『嫌い嫌い』と言いながら耳が、顔が赤くなる。——あんたの書きたい『葛藤』を残しつつ、読者が求める『デレの予兆』を同時に見せるの」
詩織が、私の顔を見つめた。
「……全部変えるんじゃないの?」
「全部は変えない。あんたの毒——人間を描く力——を殺したら、この作品は他のテンプレと差別化できなくなる。それは商業的にも損よ」
半分は本音で、半分は——。
半分は、二年前の自分に言ってやりたかった言葉だった。
「ただし」
私は指を一本立てた。
「デレの予兆は、毎話必ず一箇所入れる。ほんの一行でいい。ヒロインの心の壁にひびが入る描写を。それだけで、読者は『次の話でデレるかも』と期待して、ブクマを外さない」
詩織は黙って考えていた。
長い沈黙。
「……毎話一箇所だけ?」
「一箇所だけ。あとはあんたの好きに書いていい」
「あの子の人格は変えなくていい?」
「変えない。思考力も奪わない。ただ、身体の反応だけ——顔が赤くなる、心臓が跳ねる、声が上ずる——そういうフィジカルな反応を足すだけ。できる?」
詩織は眼鏡を外し、レンズを服の裾で拭いた。
考える時の癖だ。
「……それなら、書ける。かも」
「書けるわ。あんたなら」
詩織が眼鏡をかけ直した。
まだ完全には納得していない顔。でも、拒絶の壁は下がっている。
「やってみる。でも、リオさん」
「何?」
「もし——もしあの子が、私の手を離れて、数字のための人形になっていくように感じたら。その時は言って。私が気づけないかもしれないから」
その言葉に、私は少しだけ胸が痛んだ。
「……わかったわよ。必ず教える。約束する」
また一つ、約束が増えた。
『1位を取ったら本当に書きたい結末を書いていい』。
『あの子が人形になりかけたら必ず教える』。
どちらも、いつか必ず試される約束だ。
◆
詩織がキーボードに向かった。
第16話。生徒会長がヒロインに、自分の過去を打ち明けるシーン。
原案では、ヒロインは冷静に聞いて、距離を詰めることを拒否する予定だった。
詩織は、その場面を書き直し始めた。
キーボードの音が、いつもとは違う。
荒々しくもなく、迷いがちでもなく——丁寧で、慎重で、一文字一文字に意識を込めているような音。
三十分後。
「……できた。見て」
私は画面を覗き込んだ。
生徒会長が過去を語る。幼い頃の孤独。誰にも頼れなかった日々。
ヒロインは黙って聞いている。表情は変わらない。壁は崩していない。
でも——。
最後の一行。
『私は何も言えなかった。ただ、指先が——自分の意思とは関係なく、彼の袖に触れていた。』
たった一文。
頭は拒絶している。でも指先だけが、無意識に相手に触れる。
「……これ」
「ダメ?」
「ダメじゃない。最高よ」
私は思わず息を吐いた。
「頭では拒否してるのに、身体が先に動いてる。この一文だけで、読者は『あ、この子、もう堕ちかけてる』ってわかる。でもヒロイン自身はまだ気づいてない。——このギャップが、たまらないのよ」
「……ほんと?」
「ほんと。チョロインに改造するより、こっちの方が百倍破壊力がある」
詩織の顔に、久しぶりに本物の笑顔が浮かんだ。
「よかった……あの子を殺さなくて」
「殺してたら、私が怒ってたわよ」
「え? リオさんが提案したんじゃない」
「最初はね。でも、あんたが抵抗してくれてよかった」
詩織が不思議そうな顔をした。
私は自分の言葉に蓋をするように、タブレットに目を落とした。
——あの時、私に抵抗してくれる人がいたら、私はまだ書いていただろうか。
「何でもない。投稿するわよ」
◆
第16話を投稿した。
結果は、私の予想を超えていた。
投稿から三時間後の感想欄。
『最後の一行で心臓止まった。指先が触れるだけなのに何この破壊力』
『ヒロインがデレないからこそ、この一瞬の隙が尊い。作者わかってる』
『今までうじうじヒロインだと思っててごめん。これは丁寧に描いてたんだ』
評価の潮目が、変わった。
「うじうじ」が「丁寧な心理描写」に再評価されている。
そして——。
翌日のランキング。
日間ランキング:16位
22位から一気に6ランク上昇。
第16話の単話PVは過去最高を記録し、ブクマの増加率も跳ね上がっていた。
「十六位……」
翌日の放課後。詩織が画面を見つめて呟いた。
「あの一行で、こんなに」
「あの一行だから、こんなに、よ」
私はタブレットをしまいながら言った。
「テンプレの甘さは、誰にでも書ける。でも、あの『指先が無意識に触れる』一文は、あんたにしか書けない。それが最大の武器なのよ」
詩織は小さく頷いた。
その横顔には、数日前までの虚無はなかった。
代わりにあるのは、静かな自信。
自分の毒が——正しく届いている、という手応え。
「リオさん」
「何?」
「ありがとう。折衷案にしてくれて」
「……礼はいらないわよ。数字が出れば何でもいいの」
「嘘。リオさんも、あの子を殺したくなかったんでしょ」
私は答えなかった。
答える代わりに、タブレットのランキングページを開いた。
「さて。16位まで来た。TOP10入りが見えてきたわよ」
「うん」
「でも、ここから上は世界が違う。TOP10の作品は、なろうのトップページに固定表示される。閲覧数が桁違いに増える代わりに、注目も圧力も桁違いに増える」
「覚悟はできてる」
「いい返事ね。——あと、もう一つ」
私はスマホを取り出し、一通のメッセージを見せた。
「昨夜、これが来た」
詩織が画面を覗き込む。
差出人:春日井アキラ
メッセージ本文:
『はじめまして。「夜明けを待つ少女たち」の作者、春日井です。あなたの作品、読ませていただきました。最近のなろうでは珍しい文体で、とても興味深いです。もしよければ、一度お話しませんか? お互いの創作について情報交換できれば幸いです』
詩織の目が見開かれた。
「『夜明けを待つ少女たち』って……1位の、作者?」
「そう。現在のランキング1位。書籍化済み、コミカライズ進行中。累計ポイント10万超え。——なろうの頂点に立っている人間からの、接触」
「情報交換って……何を話したいんだろう」
「さあね。友好的に見えるけど、この世界で1位が新人に声をかける理由は、大きく二つしかない」
私は指を二本立てた。
「一つは、本当に作品を気に入った場合」
「もう一つは?」
「潜在的な脅威を、近くに置いて監視したい場合」
詩織が息を呑んだ。
「どっちだと思う?」
「わからない。だから——会って確かめる」
私はスマホをポケットにしまった。
「来週の日曜日。都内のカフェで面会をセッティングする。私も同席するわ」
「……怖い」
「怖くて当然よ。でもね」
私は窓の外を見た。
夕日が沈みかけている。
「1位になりたいなら、いつかは1位と向き合わなきゃいけない。避けて通れる道じゃないわ」
詩織は両手を握りしめた。
「……わかった。会う」
「いい子ね」
「子供扱いしないでよ」
詩織がむくれた顔をする。
でもその目には、もう怯えはなかった。
16位。
頂上が、少しずつ近づいている。
そして頂上には——すでに、誰かが立っている。
その人物が味方なのか、敵なのか。
それを見極めることが、次の戦いだ。




