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第6話 「えげつないでしょ。でも、これがランキングを獲る方法よ」



 ★1コメントから一夜明けた放課後。

 図書館の空気は、昨日よりも幾分かマシになっていた。


 理由は明確だ。

 昨夜のうちに私が打った手が、効いている。


「感想欄、ログインユーザー限定に変更したわ。あと、昨日の★5コメントに感想返しを書いておいた。詩織名義で」


「……え、勝手に?」


「勝手にじゃないわよ。下書きは送ったでしょ。既読ついてたから承認とみなしたの」


 詩織がスマホを確認する。確かに、昨夜私が送った感想返しの文面に、詩織は「……いいよ」と一言だけ返していた。泣きながら打ったのだろう。


「結果を見なさい」


 私はタブレットの画面を見せた。


 今朝の数字。


  累計PV:1,847

  ブックマーク:21

  評価ポイント:48


 昨日から、ブクマが7件増えている。

 ★1がついた後にこの伸びは、かなり健全だ。感想欄の上部を★5の返信で埋めたことで、新規読者が最初に目にするのは好意的なやりとりになっている。ネガティブ・スパイラルは回避できた。


「……増えてる」


 詩織が、ほっとしたように息を吐いた。


「言ったでしょ。一件の★1で全部は壊れない。数字を見なさい。数字は感情に振り回されないから」


 詩織は頷いた。

 その目には、昨日の怯えはもうなかった。完全に消えたわけではないだろうけど、少なくとも前を向いている。


 よし。ここから本題だ。


「文月さん。今の数字、悪くないけど、一つ致命的な問題がある」


「……何?」


「ブクマは増えてる。でも、更新通知を受け取った読者のうち、最新話を読んでいるのは半分以下よ」


 アクセス解析の画面を開く。


 ブクマ登録者21人に対して、最新話(第7話)のPVは9。

 つまり、21人中12人が——ブクマはしたけど最新話を読んでいない。


「棚に入れたまま放置されてるの。いわゆる『積み本』状態。ブクマはあるのにアクティブ読者が少ない。これだと評価ポイントが伸びない」


「どうすれば読んでくれるの……?」


「簡単よ。読まずにいられなくすればいい」


  ◆


 私はホワイトボードに、崖っぷちで指一本でぶら下がっている人間の絵を描いた。


「これ、何かわかる?」


「……サスペンスドラマのラストシーン?」


「正解。英語では『クリフハンガー』。崖にぶら下がってる人。つまり——各話の最後で、読者の心を崖から突き落とす技術よ」


 私はホワイトボードに書き加えた。


【クリフハンガー=各話ラストで「未解決の緊張」を残す】


「今のあんたの原稿、各話のラストがどうなってるか覚えてる?」


「えっと……第5話は『七瀬は安堵の息を吐いた』、第6話は『穏やかな夜が更けていく』……」


「全部、安心して終わってるのよ。読者は満足して、ブラウザを閉じて、寝る。翌日には忘れてる。——それが『積み本』の正体」


 詩織が「あっ」という顔をした。


「いい? 各話のラストは、読者を安心させちゃダメなの。不安にさせる。焦らす。モヤモヤさせる。『ここで終わるな!』と叫ばせる。そうすれば、更新通知が来た瞬間に飛びついてくれる」


「具体的には……どうすれば」


「パターンは三つ」


 私はホワイトボードに並べた。


  一、絶体絶命で切る(主人公がピンチのまま終わる)

  二、爆弾発言で切る(衝撃の告白・秘密の暴露のまま終わる)

  三、寸止めで切る(感情が最高潮に達する直前で止める)


「一と二は王道。三が一番難しいけど、一番効く。読者の感情が頂点に達する——その一歩手前で、ブツッと切る。すると読者の脳内に『未完了の緊張』が残る。心理学で言うツァイガルニク効果ね。人間は完了したタスクより、中断されたタスクの方を強く記憶する」


「ツァイ……何?」


「覚えなくていい。要するに——焦らしよ」


「焦らし……」


 詩織はピンと来ていない顔をしている。


 言葉で言っても伝わらないか。

 なら、身体で教えるしかない。


「文月さん。ちょっと立って」


「え? うん」


 詩織が素直に立ち上がる。

 私は彼女に近づき——その背中を、本棚に押し付けた。


「っ!? な、なに——」


「静かに」


 ドン。

 私の手が、彼女の頭の横の本棚を叩いた。


 詩織がビクリと震える。

 眼鏡の奥の瞳が、大きく見開かれた。


「り、リオさん……?」


「クリフハンガーの実演よ。黙って感じなさい」


 私は彼女の顔を覗き込み、ゆっくりと距離を詰めていく。


 十センチ。


 五センチ。


 三センチ。


 互いの吐息がかかる距離。

 詩織の呼吸が荒くなるのが、肌で感じられる。

 彼女は目を瞑った。期待と恐怖が入り混じった顔で、唇を——わずかに、開いた。


 心臓の音が聞こえる。

 彼女の鼓動か、それとも。


 このまま触れたら、何かが決定的に変わる。

 その境界線ギリギリまで踏み込んで——。


 私は、パッと身を引いた。


「——はい、ここまで」


「……え?」


 詩織が目を開ける。

 そこには、呆然とした虚無と、行き場を失った熱が漂っていた。

 顔は真っ赤。涙目。


「な——なんで——今——」


「どう?」


 私は一歩下がって、腕を組んだ。


「イライラした?」


「っ……! 最悪! 意味わかんない! 何がしたいのよ!」


「でも、気になったでしょ?」


「……っ」


「『この後どうなるの?』『なんで止めるの?』『続きは?』——今のそのモヤモヤ。喉の奥がチリチリする感じ。それがクリフハンガーよ。読者をこの状態にして、『次話はこちら』って引っ張るの」


 詩織は口をパクパクさせた。

 やがて、悔しそうに本棚を背中でずるずると滑り落ちた。


「……悪魔」


「ありがとう。で、今の感覚、覚えた?」


「……覚えたわよ。一生忘れられない。この恨み」


「恨みでいい。その熱を原稿にぶつけなさい」


  ◆


 詩織が椅子に戻った。

 キーボードを叩く音が、さっきまでとは別物だった。

 重くて鈍かった打鍵が、激しく、荒々しくなっている。

 怒りにも似た情熱。


「第6話のラスト。主人公が生徒会長に想いを伝えようとした瞬間——教室のドアが開いて、裏切った元友人が立っている。何も言わずに、目が合っただけで終わる」


「いいわね。視線だけで引く。上品だけど残酷」


「第7話のラスト。生徒会長が主人公に『お前に言わなきゃいけないことがある』と言って——場面が切り替わって、翌朝の教室になる」


「最高。読者が発狂するわ」


 詩織の指が走る。

 さっきの体験——焦らされた怒りと、満たされなかった熱——を、そのまま物語の構造に変換している。


 感情を、即座にテキストに変換する。

 この子の脳は、コンパイラみたいだ。体験を入力すれば、コードが出力される。


「ねえ、リオさん」


 画面を見つめたまま、詩織がぽつりと言った。


「さっきの続き……いつかしてくれるの?」


 私の指が止まった。


「……さあね。ランキング1位を取ったら考えてあげる」


「また先延ばし」


「先延ばしこそがクリフハンガーの本質でしょ。実践してるのよ、感謝しなさい」


「……性格悪い」


 詩織は小さく笑った。

 怒っているのか、楽しんでいるのか、自分でもわかっていない顔だ。


 私は自分のタブレットに目を落とした。

 耳が少し熱い。

 焦らしたつもりが、焦らされたのは私の方だったかもしれない。


 ——余計なことを考えるな。今は数字だ。


  ◆


 修正された原稿を、その夜の十八時〇二分に投稿した。

 第7話。ラスト一行は、詩織が渾身の怒りで仕上げた寸止めクリフハンガー。


 結果は、翌朝に出た。


 第7話の単話PV:412

 ——過去最高。


 そして、感想欄。


 『うわあああここで終わるな!!!!』

 『更新はよ。マジで。息できない』

 『この作者は人の心がないのか(褒め言葉)』


 五件の感想。全て、悲鳴。


「……すごい。みんな、苦しんでる」


 翌日の放課後。

 詩織が、感想欄を見ながら恍惚とした表情を浮かべていた。


「私の書いた物語の続きを求めて、のたうち回ってるわ……」


「いいS顔してるわよ、文月さん」


「S……?」


「読者を焦らして悦に入る。最高のエンターテイナーの素質よ」


 詩織は「えへへ」と照れ臭そうに笑った。

 数日前まで「誰にも読まれない」と絶望していた少女が、今は読者の悲鳴を心地よさそうに聴いている。


 承認の快感は、人を変える。

 良い方向にも、危険な方向にも。


「さて」


 私はタブレットを開き、スプレッドシートを表示した。


「そろそろ、本気の話をするわよ」


「本気?」


「日間ランキング」


 その言葉に、詩織の表情が引き締まった。


「今の数字を整理する。累計PV:2,600。ブクマ:28。評価ポイント:64」


 私はホワイトボードに書き出した。


「なろうのランキング集計ポイントは、★の数×2ポイント+ブックマーク×2ポイント。日間ランキングは一日三回更新されて、その時点から遡って二十四時間以内に獲得したポイントで順位が決まる」


「うん……」


「今のジャンルで日間100位に入るボーダーは、だいたい60ポイント前後。つまり、二十四時間以内にブクマ15件+★5評価3件、くらいの勢いが必要」


「今のペースだと……」


「一日のブクマ増加は4〜5件。評価は1〜2件。合計で16〜20ポイント。ボーダーの三分の一しかない」


 詩織の顔が曇る。


「……足りないの」


「足りない。普通にやっていたら」


 私は「普通に」を強調した。


「でも——ブーストをかける方法がある」


「ブースト?」


「一日に複数話を投稿して、更新一覧に何度も浮上する。さらに、クリフハンガーで各話を終わらせることで、一気読みした読者がその場でブクマと評価を入れるよう誘導する」


 私はスプレッドシートの新しいシートを開いた。


  【日間ランキング突入作戦】


  決行日:今週土曜日

  投稿話数:第8話〜第12話(5話一挙投稿)

  投稿時刻:7:02 / 9:02 / 12:02 / 15:02 / 18:02

  各話末尾:全てクリフハンガーで統一

  あとがき:第12話のみ「クレクレ」を配置


「土曜日に五話一挙投稿。各話を二〜三時間おきに出して、更新一覧を一日中占拠する。しかも全話がクリフハンガーで終わるから、読者は読み始めたら止められない。最後の第12話のあとがきで、さりげなく★評価とブクマをお願いする」


「……えげつない」


「えげつないでしょ。でも、これがランキングを獲る方法よ」


 詩織は画面を見つめていた。

 恐怖と興奮が入り混じった顔。

 崖の上に立って、下を覗き込んでいる人間の顔だ。


「……やる」


 詩織が言った。


「やるわ。五話分の原稿、土曜までに書く。全部クリフハンガーで終わらせる」


「三日で五話。一日約二話。一話三千字として、一日六千字。書ける?」


「書ける。さっきのリオさんの寸止めの恨みも込めて、書く」


「いい返事ね」


 私たちは顔を見合わせて、笑った。


 共犯者の笑みだ。

 数字という名の山を、二人で登り始めている。


 でも——私は知っている。

 山の頂上に何があるのか、詩織はまだ知らない。

 ランキングに乗った瞬間、世界が変わる。読者の数が桁違いに増え、注目が集まり、期待が膨れ上がる。

 その期待は、いつか必ず——刃になる。


 今はまだ、登っている時が一番楽しい。


「土曜日ね。覚悟しておきなさい」


「こっちの台詞よ。五話分のクリフハンガー、全部リオさんへの復讐だから」


「望むところよ」


 放課後の図書室に、二人の笑い声が響いた。

 埃っぽい空気が、少しだけ明るくなった気がした。

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