第5話 「今まで、誰にも届かなかった。二年間、ずっと一人で書いて、誰にも読まれなくて」
一日二回更新を始めて、四日が経った。
数字は、着実に動いていた。
累計PV:1,203
ブックマーク:14
評価ポイント:26
ゼロだった作品が、千を超えた。
一週間前には世界に存在しなかった物語が、今は千人以上の網膜を通過している。
「すごい……すごいすごいすごい……」
放課後の開かずの間。
詩織はタブレットのアクセス解析画面に張り付いて、五分おきに更新ボタンを押していた。
カチッ。PV:1,203。
カチッ。PV:1,207。
カチッ。PV:1,211。
数字が、リアルタイムで動く。
一回の更新ごとに三人、四人と増えていく。それは、今この瞬間にも誰かがスマホを開いて、詩織の文章を読んでいるという証拠だ。
「リオさん、また増えた。千二百十一人よ」
「聞こえてるわよ。さっきから実況中継やめなさい」
「でも——」
「でもじゃない。更新ボタンを押す指は今すぐ止めて、その指で第8話の原稿を書きなさい」
私は自分のタブレットでランキングの動向を分析しながら、釘を刺した。
正直に言えば、悪くない滑り出しだ。
PV千超え、ブクマ14。投稿から一週間の新作としては、十分に「芽が出た」と言える水準。
ただし——日間ランキングにはまだ遠い。
スプレッドシートの数字を睨む。
今のジャンルで日間ランキング100位に入るには、一日あたり約60ポイントが必要だ。評価★5が一人で10ポイント、ブックマークが一件2ポイント。現在のペースでは、一日あたりの新規ブクマは3〜4件、評価は1〜2件。合計で16ポイント前後。
足りない。あと四倍は加速する必要がある。
「……リオさん、また難しい顔してる」
「してないわよ」
「してる。眉間のシワが三本になってる」
「うるさい。原稿書きなさい」
◆
その日の夕方。
第7話の予約投稿が自動で実行された十八時〇二分。
私はいつも通り、タブレットで詩織のアカウントをモニタリングしていた。
十八時十五分。新着一覧からの流入が始まる。
十八時三十分。PVが今日だけで200を超えた。過去最高の初速だ。
そして——。
十八時四十二分。
通知が鳴った。
『あなたの作品に感想が投稿されました』
初めての感想。
ブックマークでも評価でもない、文字で書かれた読者の声。
「詩織」
私は声をかけた。彼女はまだ隣の席で第8話の原稿と格闘している。
「感想が来た」
詩織の手が止まった。
「……感想?」
「そう。コメントよ。初めての」
詩織の顔が、一瞬で強張った。
「……何て書いてあるの?」
「まだ見てない。私が先に確認する」
これは事前に決めていた手順だ。第4話の投稿時に約束した通り、感想は必ず私がフィルタリングしてから詩織に見せる。
私はタブレットの画面をタップした。
感想欄が開く。
投稿者のユーザー名。星の数。そして——本文。
★★★★★
『一気読みしました。最初はタイトルに釣られただけだったけど、読み始めたら止まらなくなった。特に第3話、友人が裏切るシーンの描写が凄すぎて、電車の中で泣きそうになりました。こんな文章書ける人がなろうにいるんだ……。続き楽しみにしてます』
★5。最高評価。
そして——この感想の解像度。
「タイトルに釣られた」「第3話の裏切りシーン」「電車の中で」。
作戦通りだ。
タイトルで釣り、テンプレ構造で引き込み、詩織の毒で刺す。三段階のファネルが、設計通りに機能している。
「……安全よ。見ていい」
私は画面を詩織に向けた。
詩織が、感想を読む。
一行目。二行目。三行目。
彼女の唇が、微かに震え始めた。
「……泣きそうになった、って」
「そう書いてあるわね」
「私の文章で……知らない誰かが、電車の中で……」
詩織の声が途切れた。
眼鏡の奥の目が潤んでいる。
「こんな文章書ける人が、って」
「……」
「私の言葉が、届いたの……?」
大粒の涙が、詩織の頬を伝った。
ポタリ。
キーボードの隙間に、雫が落ちる。
「ちょっと、泣くことないでしょ。キーボードが壊れるわ」
「だって……だって……!」
詩織は眼鏡を外し、両手で顔を覆った。
「今まで、誰にも届かなかった。二年間、ずっと一人で書いて、誰にも読まれなくて。私の言葉なんてゴミなんだって——」
「ゴミじゃなかったでしょ。証明されたわよ、今」
「うん……うん……」
嗚咽が漏れる。
偏屈で頑固な文学少女が、たった一件の感想で、こんなにも無防備な子供になる。
私はティッシュ箱を差し出しながら、不思議な感覚に捉われていた。
胸の奥が、チクリと痛い。
——私にも、こういう瞬間があった。
中学二年生。初めて投稿した小説に、初めてコメントがついた夜。
画面の向こうの知らない誰かが、「面白かった」と書いてくれた。
あの時の——。
「リオさん?」
詩織の声で、我に返った。
「……何よ」
「リオさんも、目が赤い」
「は? 赤くないわよ。花粉症よ」
「今、三月じゃないけど」
「通年性のやつよ。うるさいわね」
私は顔を背け、タブレットの画面に視線を戻した。
◆
その後、一時間。
私たちは初めての感想の余韻に浸りながら、第8話の原稿を詰めていた。
空気は穏やかだった。
詩織の筆は軽く、私のフィードバックも自然と柔らかくなっていた。
PVは今日だけで三百を超え、ブックマークも二件追加された。
順調だった。
——順調すぎた。
十九時二十八分。
通知音が鳴った。
『あなたの作品に感想が投稿されました』
二件目の感想。
私は反射的にタブレットを手に取り、詩織より先に画面を確認した。
投稿者名。星の数。本文。
★☆☆☆☆
——星1。
私の指が、一瞬止まった。
本文を読む。
『タイトルで期待して読んだけどガッカリ。全然ラブコメじゃない。文章が回りくどいし暗い。主人公にイライラする。陰キャの自分語り読まされても困る。タイトル詐欺では?』
一行読むごとに、胃の底が冷えていく。
タイトル詐欺。暗い。イライラする。
——知ってる。この手の言葉を、私は知っている。
二年前、自分の作品に並んだのと同じ文字列だ。
「リオさん? また感想来た?」
詩織の声が、背後から聞こえた。
「見せて」
「ダメ」
即答した。声が硬い。自分でもわかるほどに。
「……え?」
「これはノイズよ。見る価値もない」
私はタブレットの画面を伏せた。
けれど——遅かった。
詩織は自分のノートパソコンで、すでに感想欄を開いていた。
「あ」
彼女の声が、小さく漏れた。
画面に、★1の黄色いアイコンと、あの文面が表示されている。
「……タイトル詐欺」
詩織が、その言葉を読み上げた。
「文章が回りくどい。暗い。陰キャの自分語り……」
「見るなって言ったでしょ!」
私はノートパソコンの画面をバタンと閉じた。
けれど、もう遅い。
詩織の目から光が消えかけている。
「……嫌われてる」
「嫌われてない。一人の意見よ。★5をくれた人もいるでしょ」
「でも——」
「いい? 聞きなさい」
私は詩織の肩を掴んだ。正面から、その目を見る。
「Web小説に限らず、どんなコンテンツでも批判は来る。千人に読まれれば、必ず数人は否定する。それは確率の問題であって、あんたの価値とは何の関係もない」
「でも、タイトル詐欺って——」
「それは、タイトルが優秀だった証拠よ。クリックさせる力があったということ。中身が期待と違っただけ。それは相性の問題であって、あんたの文章の問題じゃない」
論理で武装した言葉を並べる。
けれど、傷ついた人間に論理は届かない。それもわかっている。
詩織は黙っていた。
肩が、微かに震えている。
「……さっきの人は、泣きそうになったって言ってくれた」
詩織がぽつりと言った。
「でもこの人は、イライラしたって言ってる。同じ文章を読んで、片方は泣いて、片方は怒ってる。……どっちが本当なの?」
「どっちも本当よ」
私は即答した。
「百人が読めば百通りの反応がある。全員を満足させることは、絶対にできない。だから——」
私は一拍置いて、言った。
「だから、数字で判断するの。一人の怒りより、十四人のブックマークを信じなさい。十四人が『続きを読みたい』と思って、あんたの小説を棚に入れた。その事実は、★1のコメント一件では消えない」
詩織が顔を上げた。
「……十四人」
「そう。十四人が、あんたの味方よ。顔も名前も知らない、でも確かにそこにいる、十四人の読者」
しばらく、沈黙が続いた。
図書室の窓から差し込む夕日が、もうほとんど消えかけている。
埃が舞う薄暗い部屋の中で、パソコンの画面だけが白く光っていた。
「……一つだけ、聞いていい?」
詩織が言った。
「何?」
「リオさんも、こういうこと言われたことある?」
心臓が跳ねた。
「……何の話よ?」
「さっき、画面を見た瞬間、リオさんの顔が変わった。怒ってるんじゃなくて——思い出してるような顔だった」
この子は、こういう時だけ鋭い。
文学少女の観察眼を、よりによって私に向けるな。
「……昔の話よ。今は関係ない」
「関係なくないと思う。だって、リオさんがこんなに必死にフィルターしてくれるのは——」
「その話は終わり」
私は声を硬くして遮った。
詩織は何かを言いかけて、やめた。
代わりに、小さく頷いた。
「……わかった。聞かない。でも、いつか教えて」
「いつかね」
たぶん、ずっと先の話だ。
あるいは——永遠に。
◆
詩織を帰した後、私は一人で図書室に残った。
ノートパソコンを開き、あの★1コメントをもう一度読む。
『タイトル詐欺では?』
この手の批判への対処法は、データが教えてくれる。
一つ。感想欄の管理を厳密にする。★1の感想がついた直後にブックマークが減る現象——「ネガティブ・スパイラル」は実在する。新規読者が感想欄を見て、批判コメントを目にした瞬間、ブクマせずに離脱する。
対策は明確だ。
作品の感想欄の設定を「ログインユーザーのみ」に変更する。これだけで、匿名の荒らしは半減する。
さらに——感想返しを戦略的に行う。★5の感想には丁寧に返信し、感想欄の上部を好意的なコメントで埋める。新規読者が最初に目にするのは、常に称賛であるように。
私はスプレッドシートに対策を書き込んだ。
施策:感想欄のログイン制限+感想返し戦略
目的:ネガティブ・スパイラルの防止
備考:詩織の感想返しは私が下書きを用意する
数字は感情を裏切らない。
けれど感情が数字を壊すことはある。
詩織のメンタルを守ること。それが、今の最優先タスクだ。
パソコンを閉じようとした時、ふと——あの非表示にしているアプリのアイコンが目に入った。
二年前の作品。
あの時、私についた最後のコメントも、似たような言葉だった。
『面白くない。才能ない。やめたら?』
私はスマホの画面を暗転させ、鞄に放り込んだ。
あの日、私は筆を折った。
そして——代わりに、スプレッドシートを開いた。
書けなくなったから、数字の側に回った。
それが、「マーケター」神楽坂リオの正体だ。
……でも。
今日、詩織が泣いていた時。
初めてのコメントを読んで、声を上げて泣いていた時。
私の中で、二年間凍っていた何かが、ほんの少しだけ溶けた気がした。
気のせいだ、たぶん。
私は図書室の電気を消し、重い引き戸を閉めた。
明日も、更新がある。
PVを、ブクマを、評価ポイントを積み上げなければならない。
日間ランキングまで、あとどれだけの数字が要るのか。
計算しながら、暗い廊下を歩く。
けれどその夜、ベッドの中で最後に思い出したのは、数字ではなくて——
詩織が泣きながら言った、「私の言葉が、届いたの」という、震える声だった。
ここまで読んでくださった方へ。
作中で詩織が「ゼロと一は全然違う」と言いましたが、
作者にとっても同じです。
ブックマークや★の一つ一つが、
「ここにいるよ」という声に聞こえています。
もしこの物語の続きが気になったら、
ブックマークで「棚に入れて」もらえると嬉しいです。
★での応援も、書き続ける力になります。




