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第3話 「ストレス→転機→カタルシス。これがWeb小説の黄金律よ」


 数字は嘘をつかない。

 そして、残酷な真実ほど美しいグラフを描く。


「す、すごい……本当に読まれてる……」


 放課後の図書館。

 詩織はタブレットの画面に張り付くようにして、アクセス解析を凝視していた。眼鏡のレンズが、画面の光を反射して白く輝く。


 あの予約投稿から二十四時間。

 PVは47から、さらに伸びていた。


  PV:89


 ゼロだった三日間が嘘のように、グラフの線は確実に跳ね上がっている。

 八十九人。タイトルとキャッチコピーを変えただけで、八十九人がこの物語の扉を開いた。


「言ったでしょ。看板さえ整えれば、客は入ってくるの」

「八十九人も……私の言葉を、読んでくれたのね……」


 詩織の声が震えている。

 無理もない。三日間誰にも読まれなかった文章が、パッケージを変えただけで人の目に触れた。それは小さな奇跡であり——同時に、残酷な証明げんじつだ。中身ではなく看板で人は動く、という。


「喜ぶのは早いわ」


 私は冷や水を浴びせるように、画面をスクロールさせた。


 『エピソード別ユニークユーザー数』。

 その項目を開く。


  第1話:89

  第2話:5


「……え?」


 詩織が固まった。


「離脱率、九十四パーセント」


 私は淡々と読み上げた。


「八十九人が第1話を開いた。でもそのうち五人しか第2話に進んでいない。残り八十四人は——」


 私はタブレットの画面を、シュッとスワイプする動作をした。


「こうやって、消えたの。ブラウザバック。戻るボタン。一秒で、あんたの物語から去った」


 詩織の顔から血の気が引いていく。


「看板に釣られて店に入った。一口食べて『違う』と判断して出ていった。——それが九十四パーセントの意味よ」


 天国から地獄。

 この落差が、数字で可視化される。それがWebの世界だ。


「ど、どうして……一生懸命書いたのに……」


「構造が腐ってるからよ」


  ◆


 私は詩織の大学ノートを手に取った。


 彼女が手書きで描いた今後の展開案——プロット。

 細かい文字でびっしりと埋められたそれは、まるで設計図のように緻密で、そして致命的に《売れない》構造をしていた。


「文月さん。このプロット、要約するとこうよね」


 私はホワイトボードに書き出した。


  一、主人公がいじめられる

  二、さらにいじめられる

  三、唯一の理解者だった友人が死ぬ

  四、絶望して主人公も死ぬ


「……何これ。四段落ちの絶望コースじゃない」


「違う! 悲劇よ!」


 詩織が食ってかかる。その瞳に、狂信的な光が宿っていた。


「救いのない結末こそが、読者の心に深い爪痕を残す。それがカタルシスなの!」


「爪痕なんていらないの」


 私はホワイトボードを消した。

 そして、新しい図式を描く。


  【ストレス】→【転機】→【カタルシス】


「これがWeb小説の黄金律よ。説明するわ」


 私はマジックのキャップを外し、それぞれの下に補足を書き加えた。


【ストレス】主人公が不当な扱いを受ける(追放・裏切り・蔑み)

【転機】特別な力・理解者・環境の変化を手に入れる

【カタルシス】元凶を見返す。読者がスカッとする


「読者がWeb小説に求めているのは、二つだけ。ストレス解消と、優越感。この二つを最短ルートで提供するのが、プロットの仕事」


「そんなの……ただのパズルじゃない。私の書きたいことが一つもない」


「そうよ。パズルなの」


 私は彼女の目を真っ直ぐ見て言った。


「物語は数式で組み立てられる。少なくとも、ランキングに乗る物語は」


 詩織が唇を噛む。

 けれど、私は手を止めない。


 彼女のノートを開き、『友人が死ぬ』と書かれた箇所に、赤ペンで大きく×印をつけた。


「友人は殺さない。代わりに、主人公を裏切らせてライバルにしなさい」


「——っ! 美咲ちゃんはそんな子じゃない!」


「誰よ美咲ちゃんって」


「私の——登場人物よ! 二年かけて作り上げた、大事な子なの!」


 詩織がノートを奪い返そうとする。

 私はそれを頭上に掲げて回避した。


「いいから裏切らせるの。読者のヘイトを集めるタンク役が必要なのよ。味方だと思っていたキャラが敵に回る——これが、離脱率を下げる最強のフックになる」


「嫌よ! 登場人物は私の子供同然なの! そんな酷いことさせられない!」


「じゃあ、PVは諦める?」


 詩織の動きが止まった。


「八十九人の読者を、全員がっかりさせて追い返すの? あの人たちは、主人公が幸せになる結末を待ってる。あんたの自己満足な心中に付き合わされるためにクリックしたんじゃない」


 沈黙。


 私はわかっていた。この言葉が、彼女に一番刺さることを。

 詩織は自分のプライドよりも、「読者に失望される」ことの方が怖い。


「……わかった」


 力なく、詩織が手を下ろした。


「書き直す」


「よし」


「でも——最後だけは譲れない」


 詩織が、まだ折れていない目で私を見た。


「主人公は、人間としての尊厳を守るために、孤独を選ぶべきだわ。最後の一行だけは、私の言葉で書かせて」


「ダメ。イケメン生徒会長と両想いのハッピーエンドにしなさい」


「なんでよ! テーマがブレる!」


「ブレない。テーマなんて後付けでいい。主人公に目に見える報酬を与えるの。恋人、地位、承認。読者が『この主人公になりたい』と思える結末。それが『ざまぁ』の完成形」


 私は譲らなかった。

 ここで妥協すれば、作品は「ただの暗い話」に戻る。


「文月さん。あんたは物語の神様かもしれないけど、今は工場のライン工になりなさい」


 ノートの切れ端に、新しいプロットの骨組みを書いて渡す。


  1. 主人公、図書室を追い出される(ストレス)

  2. 生徒会長に拾われる(転機)

  3. 隠れた才能が開花、友人の裏切りが発覚(加速)

  4. 元凶を実力で圧倒し、生徒会長と結ばれる(カタルシス)


「この通りに組み立てて。パズルのピースを嵌めるみたいに」


「……鬼畜」


「褒め言葉ね」


  ◆


 詩織はパソコンに向かった。

 キーボードを叩く音が、重い。


 カチャ。カチャ。


 一文字打っては止まり、三文字打っては消す。

 自分の生み出したキャラクターを、自分の手で整形する苦しみ。魂を削る音が、静かな図書館に響いていた。


 三十分が経った。

 一時間が経った。


 窓の外で、部活帰りの生徒たちの声が遠く聞こえる。西日が傾き、埃っぽい図書室がオレンジ色に染まっていく。


 私はその間、口を挟まなかった。

 タブレットでランキングの動向を分析しながら、横目で詩織の背中を見ていた。


 キーボードを叩く速度が、少しずつ変わっていく。

 最初は一文字ずつ、恐る恐る。

 やがて、二文字、三文字と連なり始める。

 そして——。


 カタカタカタカタカタカタッ——


 堰を切ったように、詩織の指が走り出した。

 怒りなのか、悔しさなのか、それとも別の何かなのか。

 彼女の中で、何かが弾けた。


「……書けた」


 一時間半後。

 詩織が振り返った。その顔は疲労で蒼白だったが、目だけが異様に光っていた。


「見て」


 画面を覗き込む。


 友人は裏切っていた。主人公は覚醒し、圧倒的な才能で周囲を黙らせ、生徒会長に見出される。

 テンプレ通りの、教科書のような構造。


 ——ただし。


「……あんた」


 私は思わず声を漏らした。


 文章が、異常だった。


 テンプレの構造に従いながら、一文一文の手触りが全く違う。

 友人が裏切るシーン。ただの「ざまぁ」の前振りになるはずのその場面を、詩織は主人公の内面描写で丸ごと塗り替えていた。


 裏切られた瞬間の、息ができなくなるような圧迫感。

 信じていたものが崩壊する時の、世界がスローモーションになる感覚。

 怒りですらなく、ただ——静かに、何かが死んでいく音。


 テンプレの皮を被った、正真正銘の文学がそこにあった。


「……やるじゃない」


 私は正直に言った。


「命令通りの構造。でも、あんたの毒はちゃんと残ってる。むしろ——」


 テンプレという制約があることで、詩織の毒がより鋭利に濃縮されている。

 自由に書いていた時よりも、檻の中の方が獣は凶暴になるということか。


「これなら、読者はテンプレだと思って読み始めて、気づいた時にはあんたの毒に侵されてる。最高のトロイの木馬よ」


「……褒めてるの?」


「最大級にね」


 詩織は何も言わず、ただ小さく息を吐いた。

 その横顔に、達成感とも屈辱ともつかない複雑な色が浮かんでいた。


「ねえ、リオさん」


「何?」


「私、いつか……本当に書きたい結末を、書いてもいい?」


 その声は、静かだった。

 懇願ではなく、確認。いつか必ず使う権利を、今のうちに予約しておくような響き。


 私は一瞬だけ、答えるのを躊躇った。


 彼女の「本当に書きたい結末」。

 それは十中八九、読者を裏切る劇薬だ。数字を暴落させる爆弾。マーケターとしては断固拒否すべき案件。


 けれど。


「……ランキング1位を取ったらね」


「え?」


「トップに立てば、何をしても許される。王様の特権よ。——だから今は、王冠を奪うことだけ考えなさい」


 方便だった。先延ばしにするための嘘。

 その日が来ることはないと、私は高を括っていた。


 けれど詩織は、その約束をしっかりと胸に刻んだようだった。


「わかった」


 彼女は静かに言った。


「1位を取る。——そして、全員殺す」


「物騒なこと言わないの」


 私は苦笑した。

 だが背筋を走った寒気を、うまく消すことができなかった。


  ◆


 その夜。

 私は改稿された原稿を、自室のパソコンに取り込んでいた。


 やることは明確だ。

 詩織の書いた新しい第2話を投稿し、離脱率が改善するかを検証する。


 投稿時刻は明日の朝七時〇二分。予約設定済み。

 同時に、第3話の予稿も十八時〇二分にセット。一日二回更新で、「更新された連載小説」一覧への露出を最大化する。


 スプレッドシートの【Project:カタツムリ】に、新しい行を追加する。


  施策:プロット構造をテンプレ型に改修

  仮説:離脱率が94%→50%以下に改善する

  検証日:明日


 数字は、仮説と検証の繰り返しで動かすもの。

 感情ではなく、ロジックで。


 ——のはずなのに。


 さっきの詩織の文章が、頭から離れなかった。


 友人に裏切られた主人公が、教室の片隅で息を殺すシーン。

 テンプレの鋳型に流し込まれたはずの文章が、鋳型を内側から軋ませていた。


 あんな文章は、データでは生まれない。


「……余計なことを考えるな」


 私は首を振り、パソコンを閉じた。


 翌日。

 結果は、朝の電車の中で確認した。


 改稿後の第2話。公開から十二時間。


  第1話→第2話の継続率:38%


 九十四パーセントの離脱が、六十二パーセントに改善。

 三人に一人以上が、第2話まで読んでいる。


 悪くない。だが——まだ足りない。


 私はスマホを握りしめながら、次の一手を考えた。


 タイトルは直した。プロットも直した。

 次に手を入れるべきは、あらすじだ。


 タイトルで目を引き、あらすじで「読む価値がある」と確信させ、第1話で掴む。

 この三段階のファネルが完成して初めて、ブックマークと評価が動き始める。


 まだ日間ランキングには遠い。

 けれど、数字は確実に動いている。


 私は詩織にメッセージを送った。


 【リオ】離脱率、94%→62%に改善。あんたのプロット改稿が効いた。

 【リオ】でもまだ足りない。次はあらすじを書き直す。今日の放課後、開かずの間。

 【リオ】あと、覚悟しておきなさい。あらすじは、タイトル以上に恥ずかしいことを書かせるから。


 返信は、すぐに来た。


 【詩織】……覚悟はできてる。もう恥も外聞も捨てたから。

 【詩織】でも一つだけ聞いていい?

 【詩織】リオさんは、どうしてそこまでPVにこだわるの?


 私の指が、止まった。


 どうして。

 その質問に、私はまだ答えられない。


 【リオ】放課後に話すわ。


 嘘だ。放課後にも話す気はない。

 私がPVに執着する理由——それだけは、まだ誰にも明かすわけにはいかなかった。


 電車が学校の最寄り駅に着く。

 ホームに降りながら、私は自分のスマホの画面を一瞬だけ見た。


 ホーム画面の片隅に、一つだけ非表示にしているアプリがある。

 かつて私自身が使っていた、小説投稿サイトのアプリ。


 もう二年以上、開いていない。


 私はスマホをポケットにしまい、改札に向かって歩き出した。

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