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第2話 「タイトルは作品の顔よ? それを安っぽい宣伝文句にするなんて」


 あんたの小説を殺してあげる。

 そして、もっと強い形で蘇らせる。


 ——とは言ったものの。


「却下」


 私の無慈悲な宣告が、静まり返った図書館に響いた。

 文月詩織が恐る恐る差し出したノートの切れ端を、私は指先で弾く。


「どうして……! 『青の葬列』、綺麗でしょ? 主人公の孤独を表すメタファーとして——」

「完璧ね。あんたの脳内では」

「うぐっ……」


 詩織が呻く。眼鏡が少しずり落ちていた。


 私たちは今、彼女の小説の「改装工事」に着手している。

 最初の工程は、看板の架け替え——タイトルの変更だ。


「いい? 文月さん。あんたは根本的に勘違いしてる」


 私はタブレットの画面を見せた。

 表示しているのは、投稿サイトの新着一覧ページ。ずらりと並ぶタイトルの群れ。一画面に二十作品。スクロールすれば百、二百と続いていく。


「Web小説の読者は、本屋で背表紙を眺めてるのとは訳が違うの。スマホの画面を秒速でスクロールしてる。一作品あたりの判断時間は〇・五秒。その一瞬で『自分に関係ある』と思わせなきゃ——」


 私はタブレットの画面を、彼女の目の前でシュッとスクロールさせた。

 二十タイトルが一秒で流れ去る。


「——こうやって、消えるの。中身がシェイクスピアだろうと関係ない」


 詩織が息を呑んだ。


 私は彼女の考えたタイトル案三つを指差す。


 『青の葬列』

 『螺旋の檻』

 『無垢なる冒涜』


 どれもこれも、詩的で、美しくて、そして致命的に《検索されない》。


「このタイトルで検索する人間が日本に何人いると思う?」

「……わからない」

「ゼロよ。キーワードが入ってないもの」

「キーワード……?」


「読者が検索窓に打ち込む《欲望》のことよ。『溺愛』『追放』『ざまぁ』『最強』『婚約破棄』。この検索クエリに引っかからないタイトルは、Webの海では酸素がないのと同じ」


 私は美術準備室から借りてきたホワイトボードに、マジックで大きく書いた。


  【タイトル(看板) > 本文(中身)】


「これが絶対の公式。逆はない」


「……言葉への冒涜だわ」


 詩織が唇を噛む。


「タイトルは作品の顔よ? それを安っぽい宣伝文句にするなんて——」

「冒涜? 笑わせないで」


 私は一歩踏み込んだ。


「あんたこそ、読者を冒涜してるのよ」


「……え?」


「読者はね、忙しいの」


 私はホワイトボードに、もう一行書き加えた。


【読者の可処分時間:通学電車15分、昼休み10分、就寝前20分】


「この貴重な隙間時間を、意味のわからないタイトルの作品に賭けてくれるほど、世界は優しくない。中身を保証してあげることが作者の誠意でしょ」


 詩織が黙った。

 反論できない時の彼女の癖——眼鏡のブリッジを中指で押し上げる動作が出た。


 よし。ここから本題。


「じゃあ教えてあげる。なろうで生き残るタイトルの三原則」


 私はホワイトボードを新しい面に変え、箇条書きにした。


  一、三十文字以上は無いと思え

  二、主人公の「現在地」がわかること

  三、読者の欲望か劣等感を刺激すること


「一。三十文字。これはスマホの検索一覧で、タイトルが途中で切れない最大文字数。一文字でも超えたら『…』で消える。消えた部分は存在しないのと同じ」


「二。主人公の現在地。『追放された』『見捨てられた』『陰キャの』——読者は主人公の境遇を見て、自分を重ねるかどうかを判断する。ここが曖昧だと感情移入の入口がない」


「三。欲望か劣等感。『実は最強だった』『溺愛される』『ざまぁ展開』——読んだ先にある《報酬》を予告するの。映画の予告編と同じ。クライマックスを先に見せる」


 詩織は食い入るようにホワイトボードを見つめていた。

 反発しながらも、理屈が通っていることは理解している顔だ。


「この三つを満たさないタイトルは、検索結果の海に沈んで二度と浮かんでこない。あんたの『硝子の心臓が砕ける音を聞け』は——」


 私は首を横に振った。


「詩的すぎて、何の話かわからない。つまり、存在しないのと同じ」


 昨日、彼女に突きつけた言葉をもう一度繰り返す。

 詩織の目に、悔しさが滲んだ。


「……じゃあ、どうすればいいの?」

「それを今から書くのよ、あんたの手で」


  ◆


 私は詩織のパソコンのキーボードを指で叩いた。タターン、と乾いた音。


「書きなさい。あんたの小説の要素を分解して。主人公は?」


「……地味で、図書委員で、クラスでは透明人間みたいな女の子。でも本当は——」


「はいストップ。『でも本当は』の後に何がある?」


「……誰よりも鋭い感性を持っていて、それを持て余してる」


「それ。『実は才能がある』。で、その才能を見出すのは?」


「……生徒会長の、男の子」


「シンデレラストーリーね」


「そ、そうかもしれないけど——」


「古い。Web風に翻訳しなさい。これは『追放』からの『溺愛』よ」


 詩織の指が、おずおずとキーボードに触れた。


 『クラスの空気だった私……』


「弱い。もっと卑下して。『誰にも気づかれない図書室の地縛霊』くらい落としなさい」


 『図書室の地縛霊だった私が、学園一の皇子様に……』


「そこで止めない。皇子様にどうされるの? 何が起きる話なの? 読者の欲望を刺激して」


「ううう……っ!」


 詩織は顔を真っ赤にして、悲鳴のような声を上げながらキーを叩いた。


 画面に、おぞましいほど長くて、説明的で、そして——《売れ線》の文字列が現れる。


 『図書室の地縛霊と呼ばれた陰キャな私ですが、学園一のイケメン生徒会長に弱みを握られ、毎日のように「好き」と囁かれる拷問を受けています』


「……っ、……ふ、うぅ……」


 書き終えた瞬間、詩織は机に突っ伏した。

 耳まで真っ赤だ。人前で裸にされたような反応。


 私はその背中を見下ろす。


「合格。七十五点」


「最悪……死にたい……こんなの私の作品じゃない……」


「そうよ、作品じゃない。これはあんたの作品の《パッケージ》よ」


 私は椅子に腰を下ろし、静かに言った。


「中身の毒は変えない。文学のまま。ただ、その毒を届けるための包装紙を、読者の手が伸びる色に変えただけ」


 詩織が顔を上げた。涙の跡がある。


「……本当に、中身は変えないの?」


「変えない。あんたの毒は、このサイトで唯一の武器よ。パッケージだけ変えて、中身まで殺したら意味がない」


 その言葉に、詩織の表情が少しだけ緩んだ。

 ほんの少しだけ。


 ——けれど、私は容赦しない。


「さあ、次は『キャッチコピー』よ」


「まだやるの!?」


「当たり前でしょ。検索一覧でタイトルの下に表示されるこの一行が、クリック率を左右する最後のトリガーなんだから。三十五文字以内で、読者の指を止めなさい」


 詩織は死んだ魚のような目で私を見た。

 けれど、その指はもうキーボードから離れない。


「ヒントをあげる。さっき書いた『拷問』って言葉、いいフックだったわ。あんたの中にある暗さを、もっと出して」


「……わかったわよ。やればいいんでしょ」


 ヤケクソ気味に、詩織が打ち込んだ。


 『逃げ場なし。胸キュン過多の監禁ラブコメディ。』


「……あら」


 私は少し目を見開いた。


 監禁。

 その単語のチョイスに、彼女の本質が滲み出ている。ラブコメの皮を被っているが、底にあるのは執着と狂気。

 市販の風邪薬に混ぜた劇薬。


「採用。上出来よ、文月さん」


「……もう好きにして」


 詩織は椅子に深くもたれかかり、天井を仰いだ。


 私は彼女の代わりにマウスを操作し、設定画面の「変更を保存」をクリックした。


 画面がリロードされる。


 『硝子の心臓が砕ける音を聞け』という美しい墓標が消え——あの長文タイトルが、投稿サイトの海に放たれた。


「あああ……!」


「泣かないの。これはビジネスよ」


 ポケットからハンカチを出して投げる。

 詩織はそれをひったくり、眼鏡の下の涙を乱暴に拭った。


「……リオさんの、鬼」


「悪魔と呼んで。数字の悪魔よ」


 私はニヤリと笑った。


 実は、私だって昔は——。

 ……いや。やめよう。過去のデータは参照しない。今は目の前の変数を最適化するだけだ。


「今日はここまで。明日の朝七時に予約投稿を設定したわ。通学時間のスマホ読者を狙い撃つ」


「……本当にこれで読まれるの?」


「なるわよ。保証する」


「もしダメだったら?」


 私は一瞬、言葉に詰まった。

 けれどすぐに笑みを作る。


「その時は、あんたの好きな太宰の全集、一冊丸暗記して朗読してあげる」


「……何それ。罰ゲームになってないじゃない」


 詩織が小さく笑った。

 自嘲気味だけど、人間らしい笑顔。

 この図書室の幽霊が笑うのを、私は初めて見た。


  ◆


 翌朝、七時〇二分。


 通学の電車内で、私はスマホを握りしめていた。

 指先が、少し汗ばんでいる。


 予約投稿は三十分前に自動実行されたはずだ。新しいタイトルとキャッチコピーを纏った詩織の小説が、なろうの新着一覧に並んでいる。


 タイトルを変えただけで、本当に数字は動くのか。

 理屈ではわかっている。データも揃っている。

 それでも。結果を見る瞬間だけは、心臓が嫌な音を立てる。


 管理画面を開く。

 更新ボタンを押す。


 画面が切り替わった。


  PV:——47


 四十七。

 三日間ゼロだった数字が、たった半時間で四十七。


 私は思わず、混んだ車内で小さくガッツポーズをした。


 隣の乗客が怪訝な顔でこちらを見たが、知ったことじゃない。


 すぐに詩織にメッセージを送る。


 【リオ】PV47。タイトル変えただけで0→47。これが「看板の力」よ。

 【リオ】でもこれはまだ序の口。次はあらすじとタグを最適化する。放課後、開かずの間に来なさい。


 既読がついた。

 返信は、しばらく来なかった。


 やがて——。


 【詩織】47人が、読んでくれたの?


 たった一行。

 その一行に、震えるような感情が詰まっているのが、テキストの向こう側から伝わってきた。


 【リオ】そうよ。47人が、あんたの毒を飲んだ。


 【詩織】……もう少しだけ、続けてみてもいい?


 私はスマホの画面を見つめて、口元が緩むのを抑えられなかった。


 ——かかった。


 数字は麻薬だ。

 一度でも「読まれた」快感を知った人間は、もう引き返せない。


 私は返信を打った。


 【リオ】いいわよ。ただし今日からが本番。次は、あらすじの書き方を叩き直す。


 電車が駅に着く。

 ホームに降りながら、私はもう頭の中で次の「処方箋」を組み立て始めていた。


 PV47。

 悪くない初速だ。けれど、この数字では日間ランキングの足元にも及ばない。


 ランキングに乗るには、PVだけじゃなく、ブックマークと評価ポイントが要る。

 読者に「続きが読みたい」と思わせ、ブックマークを押させ、星をつけさせる——そのための次の一手は。


 あらすじ。

 読者がタイトルの次に見る、最後の関門。


 そしてそれは、文月詩織にとって、昨日以上の地獄になるはず。

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