第17話 「読んでくれてる。ちゃんと、最後まで」
二十時〇二分。
私の手記が、なろうに投稿された。
タイトル:【作者より】この物語の裏側について——プロデューサーの告白
開かずの間で、詩織と並んで画面を見つめていた。
投稿予約が実行された瞬間、何かが始まる予感が腹の底にあった。
五分。反応なし。
十分。コメント1件。
『? 作者とプロデューサーは別人? どういうこと?』
ここから、波が来た。
二十時十五分。コメント8件。
『え、タイトルの付け方って全部計算だったの……?』
『投稿時間も、クリフハンガーも、全部マーケティング? マジ?』
『読んでて鳥肌立った。俺たちはずっとプロデューサーの手のひらに転がされてたのか』
『「私は一人の天才を壊しかけた」って冒頭、重すぎる……』
私の手記は、二千字しかない。
でもその二千字が、読者の世界をひっくり返し始めていた。
タイトルの30文字ルール。投稿時間の最適化。検索クエリに合わせたタグ設計。クリフハンガーの配置。感想欄の管理。クレクレの設計。
一ヶ月半のマーケティングの全手口を、私は自分の言葉で告白した。
そして最後に——「この後に投稿される最終話を、最後まで読んでほしい。ブックマークを外してもいい。★1をつけてもいい。でも——最後まで読んでほしい」と書いた。
反応は、真っ二つに割れた。
『騙されてた気分。全部計算だったなんてショック』
『いや待て、面白かったのは事実だろ。計算だろうが何だろうが』
『むしろこの手記自体がマーケティングの一環では?(疑心暗鬼)』
『「言葉は数字じゃない」って書いてる人が、数字で1位を取った矛盾がすごい。でもその矛盾を自覚してるから刺さる』
そして——二十時三十二分。
詩織の最終話が、投稿された。
タイトル:【最終話】猛毒のレシピ
◆
反応の第一波は、沈黙だった。
三分。コメントゼロ。
五分。コメントゼロ。
普段なら投稿から一分以内にコメントがつく作品が、五分間の沈黙。
「……読んでるんだ」
詩織が呟いた。
「一万五千字。普通の読書速度で十五分。——今、何万人もの人間が、あんたの毒を飲んでいる最中よ」
そして、十五分後——堰が切れた。
コメントが、一気に流れ込んできた。
『は? 意味わからん。急にジャンル変わった?』
『ハッピーエンドどこ行った? 金返せ(無料だけど)』
『主人公が生徒会長を選ばないとか詐欺だろ』
『胸キュンを返せ、この詐欺師!!!!』
罵倒。阿鼻叫喚。
昨日まで「尊い」「可愛い」と賛美していた読者たちが、甘い結末を裏切られて暴徒と化している。
「想定内よ」
私は冷静に言った。
でも、隣の詩織の手が微かに震えているのが見えた。
覚悟していても、これだけの悪意を浴びるのは——痛い。
「大丈夫?」
「大丈夫。……続き、見せて」
コメント欄をスクロールしていくと、罵倒の奔流の中に——異質な声が混じり始めた。
第一波から三十分後。
一気読みを終えた読者の感想が、到着し始める。
『……やばい。救いがないのに、美しくて泣ける。何これ』
『最後の一行で全部持っていかれた。「一人で立つ地面は、こんなにも冷たくて、こんなにも広かった」——この一文だけで泣いた』
『俺はハッピーエンドが読みたかった。でも、この結末が正しいのはわかる。悔しいけど、わかってしまう』
『プロデューサーの手記と最終話をセットで読んだ。全部計算で作られた作品が、最後に計算を壊して終わる。これ、小説の構造自体が物語になってる。天才か? 狂人か?』
二つの流れが、コメント欄で衝突していた。
拒絶と覚醒。怒りと畏怖。
「選別が始まってるわ」
私はアクセス解析を開いた。
PVは——昨日の半分に落ちている。
ブックマークは——一晩で200件以上外された。
でも。
**平均滞在時間:13分22秒**
通常の四倍。
去った読者は去った。でも、残った読者は——離れられなくなっている。
何度も読み返し、考察し、コメントを書いている。
「数を捨てて、密度を取った」
私は画面を見つめながら言った。
「六千人のブクマのうち、二百人が外れた。でも、残った五千八百人の中に——この作品を一生忘れない人間が、何百人かいる。その『忘れられない』は、数字には換算できない」
詩織は画面を見つめていた。
罵倒も、賞賛も、同じ温度で受け止めている顔。
以前なら★1一つで泣き崩れていた少女が、今は何千ものコメントの嵐の中で、静かに立っている。
「……リオさん」
「何?」
「読んでくれてる。ちゃんと、最後まで」
「あんたの実力よ」
「違う。リオさんの手記が先にあったから、覚悟して読んでくれたんだ。——ありがとう」
◆
深夜零時。
ランキング更新。
日間ランキング:14位
1位から、一夜で14位に転落。
ブックマークの大量離脱と、新規評価の急減が直撃した。
「落ちたわね」
「うん」
「後悔してる?」
「してない。——リオさんは?」
「……してないわ。不思議なくらい」
それは本当だった。
一ヶ月半かけて積み上げた1位の座が崩壊しているのに、不思議と——胸が軽かった。
数字の鎖が、外れた感覚。
◆
翌朝。
登校中の電車内で、高田から電話がかかってきた。
出た。
「神楽坂さん」
高田の声は、昨夜のコメント欄とは対照的に——静かだった。
「昨夜の投稿、見ました」
「はい」
「率直に言います。あの内容は、書籍化のコンセプトとは根本的に異なります」
「わかっています」
「契約書には、Web版の内容と書籍版の整合性を保つ条項があります。あの最終話をこのまま残す場合、書籍版のプロットも大幅に変更する必要がある。それは、現時点のスケジュールでは不可能です」
冷静だった。怒鳴るかと思ったが、高田はプロだった。
感情ではなく、事実を並べてくる。
「つまり——」
「つまり、二つの選択肢があります」
高田が言った。
「一つ目。最終話を削除し、テンプレ通りのハッピーエンドに差し替える。書籍化は予定通り進行します」
「二つ目は?」
「二つ目。最終話をこのまま残す。その場合、書籍化の契約は——白紙に戻させていただきます」
沈黙。
電車の走行音が、やけに大きく聞こえた。
「……高田さん」
「はい」
「一つだけ聞いていいですか」
「どうぞ」
「あの最終話、読みましたか。最後まで」
少しの間。
「……読みました」
「どう思いましたか。編集者としてではなく、一人の読者として」
長い沈黙。
電車がトンネルに入った。周囲が暗くなる。
「……個人的な感想は、業務上お答えする立場にありません」
「そうですか」
「ただ——」
高田が、少しだけ声を落とした。
「あの雨のシーンの最後の一行は、今年読んだ文章の中で一番良かったと思います。個人的に」
私は——少しだけ、笑った。
「ありがとうございます。文月に伝えます」
「返答は、週末までにいただけますか」
「はい。相談して、お返事します」
電話を切った。
トンネルを抜けた。
朝日が車窓から差し込んできた。
週末まで。
最終話を残すか、消すか。
書籍化を取るか、捨てるか。
答えは——もう、決まっていた。
でも、それを詩織と一緒に言葉にするのは、今夜の放課後にしよう。
電車が駅に着いた。
ホームに降りて、空を見上げた。
雲一つない、青い空だった。
スマホの通知は鳴り続けている。
コメント欄の戦争は、まだ終わっていない。
でも——空は青い。
数字が崩壊した朝の空は、こんなにも広くて、澄んでいて。
1位だった時には見えなかった色をしていた。
詩織が書いた最後の一行が、頭に浮かんだ。
『一人で立つ地面は、こんなにも冷たくて、こんなにも広かった。』
——ああ。こういう気持ちか。
私は改札を通り、学校に向かって歩き始めた。
前半パートをここまで読んでくださった方、
本当にありがとうございます。
作中でリオは読者に向けてこう書きました。
「ブックマークを外してもいい。★1をつけてもいい。
でも——最後まで読んでほしい」
私からも同じことをお伝えさせてください。
この物語には、まだ続きがあります。
明後日から後半パートが始まります。
ここまでの旅を見届けてくださった方——
もしよければ、★とブックマークで
「最後まで読むよ」と教えていただけませんか。
その一つが、後半を書く力になります。




