第10話 「テンプレ小説の中にこんなものを仕込むなんて、反則もいいところ」
春日井アキラ。
私は自室のデスクで、その名前を検索結果の中に見つめていた。
なろう累計ランキング1位。代表作『夜明けを待つ少女たち』。累計ポイント12万超。書籍化済み、コミカライズ進行中、アニメ化企画も動いているとの噂。
Xのフォロワーは8万人。投稿は穏やかで知的、新人作家への応援コメントを定期的に行い、「人格者」として広く知られている。
——完璧すぎる。
私は春日井の作品ページを開いた。
『夜明けを待つ少女たち』。王道のハイファンタジー。
文章は平易で読みやすく、展開は手堅い。ストレスフリーで、毎朝七時に更新され、読者の期待を裏切らない。
よく手入れされた公園のように清潔で、誰にも不快感を与えず、誰からも愛される作品。
そして——退屈だった。
致命的に上手くて、致命的に毒がない。
こういう作品が1位に立つこと自体が、今のなろうの市場構造を象徴している。
私はタブレットに戻り、昨夜届いたメッセージをもう一度読んだ。
『はじめまして。「夜明けを待つ少女たち」の作者、春日井です。あなたの作品、読ませていただきました。最近のなろうでは珍しい文体で、とても興味深いです。もしよければ、一度お話しませんか? お互いの創作について情報交換できれば幸いです』
丁寧で、友好的で、一見すると好意しか感じられないメッセージ。
だからこそ、危険だ。
◆
翌日の放課後。開かずの間。
「春日井先生からのメッセージ、何回読んでも信じられない……」
詩織は画面を見つめながら、頬を紅潮させていた。
「あの春日井アキラに『文体が興味深い』って言われたのよ? 私、なろうに投稿する前から先生の作品読んでたのに……まさか本人から連絡が来るなんて」
「浮かれすぎ。冷静になりなさい」
「だって——」
「いい? このメッセージの裏を読むわよ」
私はタブレットの画面を詩織に見せた。
春日井のメッセージを、一文ずつ分解した分析メモ。
「『読ませていただきました』——ここまではいい。読んだのは事実でしょう。問題は次」
「『最近のなろうでは珍しい文体で、とても興味深い』——褒めてるようで、微妙な距離感がある。『面白い』とは言ってない。『興味深い』。研究対象を見るような言葉選びよ」
「考えすぎじゃない?」
「かもしれない。でも続きを見て。『もしよければ、一度お話しませんか? お互いの創作について情報交換できれば』——ここ」
私は画面をタップした。
「『情報交換』。対等なフレーズに見えるけど、1位が16位に使う言葉としてはわざとらしい。累計12万ポイントの人間が、2千ポイントの新人から何を『交換』するの?」
詩織の顔から、少しだけ紅潮が引いた。
「……言われてみれば、確かに」
「可能性は三つ」
私は指を立てた。
「一つ目。本当に純粋な好意。作品を気に入って、後輩を応援したい。——あり得る。彼の過去の言動と矛盾しない」
「そうだね」
「二つ目。潜在的な脅威の監視。急浮上した新人を近くに置いて、動向を把握したい。——これもあり得る。ビジネスとして考えれば合理的」
「うーん。……あと、一つは?」
「三つ目。——取り込み」
「取り込み?」
「私たちを彼の『陣営』に引き入れて、無害化すること。『先輩が教えてあげる』という形で、私たちの尖った部分を丸くさせる。お作法を教え、業界の常識を植え付け、気づいた時には——彼の劣化コピーが完成してる」
詩織が息を呑んだ。
「……そんなこと、するかな? 春日井先生が」
「意図的にやるとは限らないわよ。善意でも結果は同じ。1位の人間が『こうした方がいい』と言えば、新人は従うでしょ。それが正しいかどうかに関係なく」
沈黙。
詩織は窓の外を見た。
夕日が傾きかけている。
「……じゃあ、どうする? 無視する?」
「無視は最悪手。1位を無下にあしらった、無視したと広まったら、私たちの印象が悪くなる。春日井のファンも敵に回す」
「じゃあ受ける?」
「受ける。——ただし、こちらの条件の下で、ね」
◆
私は返信の文面を書いた。
何度も書き直した。
慇懃無礼にしたい衝動を、何度も抑えた。
感情で動いてはいけない。
パクリ疑惑の時にも活きた教訓だ。冷静な対処が、最も強い。
最終的な文面。
『春日井アキラ様
ご連絡ありがとうございます。お忙しい中、拙作をお読みいただき光栄です。
先生の「夜明けを待つ少女たち」は、なろうに投稿する以前から愛読しておりました。
情報交換のお申し出、喜んでお受けいたします。
つきましては、来週の日曜日にどこかでお会いできればと存じます。
担当編集の神楽坂も同席させていただければ幸いです。
よろしくお願いいたします。
(憂鬱なカタツムリ/文月詩織)』
「……普通だ」
詩織が拍子抜けした顔で言った。
「普通よ。普通が一番強いの」
「宣戦布告とか、しないの?」
「しない。敵意を見せるのは、相手に情報を与えるのと同じ。今は笑顔で近づいて、相手の出方を観察する。——それがマーケティングよ」
「……リオさん、たまに怖い」
「怖いのはこれからよ。見て」
私は返信の文面を指差した。
「ポイントは二つ。一つ目、『担当編集の神楽坂も同席』。これで、詩織が一人じゃないことを示す。個人を説得するのと、チームを相手にするのでは、相手の出方が変わる」
「でも、リオさんは編集者じゃないでしょ」
「嘘は言ってないわ。『担当編集』とは書いてあるけど、プロの編集者とは書いてない。解釈の余地を残してるの。創作の話をするのに作家と同席してもおかしくない人間、という意味」
「……グレーゾーンね」
「二つ目。この返信は徹底的に丁寧で、好意的。攻撃性ゼロ。これを見た春日井は『素直な新人だな』と思う。油断する。油断してくれた方が、こちらは動きやすい」
詩織は私を見つめた。
「リオさんって……本当に高校生?」
「高校生よ。ちょっとデータに詳しいだけの」
「嘘。絶対中身おじさんでしょ? それとも人生何回目? 前世でよっぽど悲しい目にあったのね」
「失礼ね」
私は返信の送信ボタンを押した。
カチッ。
送信完了。
1位との線が、繋がった。
◆
返信を送った後、私たちは通常業務に戻った。
つまり——更新だ。
「春日井アキラのことは日曜日まで忘れなさい。今夜やるべきことは一つ。第17話の投稿よ」
「うん。もう書き上げてある」
「見せて」
詩織が原稿を開いた。
第17話。生徒会長とヒロインが、初めて学校の外で会うシーン。
日曜日の図書館。偶然の遭遇を装って、生徒会長がヒロインの隣に座る。
詩織の文章が、またしても異常な密度を放っていた。
二人の間にあるテーブル。その上に置かれた二冊の本。
同じ棚から取った本が、偶然同じ作家のものだった——という、ただそれだけの出来事を、詩織は三百字かけて描いている。
そしてその三百字の中に、「この二人は似た者同士だ」という事実が、一度も直接言葉にされることなく、静かに浸透してくる。
「……あんた」
「何?」
「これ、第16話の『指先が触れる』を超えてる」
「……ほんと?」
「ほんとよ。第16話では身体が先に動いた。第17話では、モノ——二冊の本——が二人の距離を語ってる。人間の感情を、物質で描写してる。これは純文学の技法よ。テンプレ小説の中にこんなものを仕込むなんて、反則もいいところ」
詩織の耳が赤くなった。
「……リオさんに反則って言われると、ちょっと嬉しい」
「褒めてるのよ。素直に受け取りなさい」
第17話を投稿した。
十八時〇二分。いつも通りのゴールデンタイム。
反応は、今回も速かった。
投稿から一時間後の感想欄。
『図書館のシーン、同じ作家の本を手に取ってるの気づいた時鳥肌立った』
『なろうでこんな繊細な描写読めると思わなかった。文学作品みたい』
『二冊の本の距離が二人の心の距離を表してるの天才すぎる。考察班集合』
そして——。
『この作品、春日井アキラ先生が読んだらしいですね。先生の作品とは全然違うタイプだけど、どっちも好き』
春日井からのDMのことが、すでに噂として広まっている。
おそらく春日井側から、意図的にではなくとも情報が漏れたのだろう。
「春日井先生が読んでるって話題になってる……」
詩織が不安そうに画面を見る。
「いいことよ。1位が注目している作品、という箔がつく。これは金で買えない宣伝効果」
その夜のランキング更新。
日間ランキング:12位
16位から一気に4ランクジャンプ。
春日井効果——1位が注目しているという話題性——が、確実に数字を押し上げている。
12位。TOP10まで、あと二つ。
◆
深夜。自室のデスク。
私はスプレッドシートに新しいシートを追加した。
【Project:カタツムリ フェーズ3】
目標:日間TOP10入り→週間TOP5→月間ランキング→1位
数字を並べながら、ふと手が止まった。
春日井アキラのメッセージを、もう一度読み返す。
『最近のなろうでは珍しい文体で、とても興味深い』
……もし。
もし、これが純粋な好意だったら。
本当にただ、詩織の文章を認めてくれたのだとしたら。
私は——それを利用しようとしている。
善意を、宣伝効果に変換しようとしている。
胸の奥が、チクリと痛んだ。
二年前。
私が投稿サイトで潰れた時、誰も手を差し伸べてくれなかった。
春日井のような「先輩」が声をかけてくれていたら、私はまだ書いていただろうか。
——わからない。
でも今、私がやるべきことは明確だ。
詩織を守ること。詩織を1位にすること。
そのために必要なら、善意でも悪意でも、全てを数字に変換する。
それが、プロデューサーの仕事だ。
……そのはずなのに。
さっき、詩織の第17話を読んだ時。
二冊の本が隣同士に置かれているだけの、静かな場面。
あの文章を読んだ時、私の中で何かが震えた。
データでは説明できない、胸の奥の振動。
これは何だ。
承認欲求の代替充足? 共感による感情移入? それとも——。
私は首を振り、スプレッドシートに戻った。
日曜日。
春日井アキラとの面会。
1位の人間と、直接会う。
その時、私は何を見るだろう。
敵か、味方か、それとも——かつて私がなれなかった「もう一つの自分」か。
パソコンを閉じて、ベッドに入った。
目を閉じる。
暗闇の中で、詩織の第17話の一節が浮かんだ。
『同じ棚から手を伸ばした二人の指が、一冊の背表紙の上で、ほんの一瞬だけ重なった。どちらも何も言わなかった。ただ——その本だけが、二人の秘密を知っていた。』
……くそ。
眠れない。
第10話まで読んでいただき、ありがとうございます。
リオは作中で「数字が全て」と言い続けていますが、
書いている側の私にとって一番嬉しいのは、
数字の向こうに「読んでくれている人」がいるとわかる瞬間です。
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