第4話 幸福な健忘症
タナカさんは、ごく普通の善良な市民だ。
朝起きて、タカダ総理が笑顔で「朝の光に感謝しましょう」と呼びかけるホログラム広告に会釈をし、合成コーヒーを飲む。かつて、自分が何かにひどく憤っていたような気がするが、それが何だったか、どうしても思い出せない。
「ねえ、あなた。昔はもっと、テレビを見て怒っていたわよね」
妻がふと、古いアルバムをめくるように言った。タナカさんは首をかしげる。
「怒る? 何に? タカダ総理はあんなに一生懸命やってくれているじゃないか。批判する人たちが、寄ってたかって総理をいじめているのを見ると、胸が痛むよ」
タナカさんは本気でそう思っていた。
数年前、総理の不祥事が次々と明るみに出た際、彼は確かに「許せない」と拳を握りしめていたはずだった。しかし、総理がそれを「誤解」と呼び、批判を「攻撃」と定義し、最後には「私を信じてくれる国民との絆」という涙ながらの物語に昇華させたとき、タナカさんの脳内の回路は、カチリと音を立てて切り替わったのだ。
「不祥事」という言葉は、いつの間にか「成長へのステップ」というタグに貼り替えられた。
「矛盾」という概念は、「柔軟な対応」という美しい箱に収められた。
タナカさんにとって、事実はもはや「点」ではなく、総理が描く「線」の一部に過ぎなかった。
ある日、街角で若者が「総理は嘘をついている!」と書かれたビラを配っていた。タナカさんはそれを見て、深い不快感を覚えた。
「ああ、また『攻撃』か。せっかくみんなで仲良くやっているのに、どうして空気を悪くするんだろう。ああいう人たちがいるから、総理が苦労されるんだ。かわいそうに」
タナカさんは、その若者の顔に「悪意」を見た気がした。事実はどうでもよかった。ただ、自分の穏やかな日常に、ささくれのような「批判」を持ち込む存在が許せなかった。
夕食時、ニュース番組ではタカダ総理が「批判なき調和の時代」を宣言していた。
「私たちは、言葉の暴力から卒業しました。これからは、信じ合う心だけで国を動かしましょう」
タナカさんは感動し、拍手を送った。
「素晴らしい。批判なんて、結局は嫉妬なんだよな。正しいことをしていれば、説明なんていらない。空気で伝わるんだ」
彼は、自分がかつて「民主主義」という、もっと面倒で、もっとトゲトゲした、常に疑い続けるための道具を持っていたことを完全に忘れていた。
寝る前、タナカさんは鏡の前で、総理と同じように「慈愛に満ちた微笑み」を練習してみた。
それは、思考を停止した者だけが手に入れられる、一点の曇りもない、不気味なほど透明な笑顔だった。
「今日もいい日だった」
タナカさんは満足して眠りについた。
翌朝、彼がさらに「洗練された」空気を吸い込み、昨日よりも少しだけ「事実に鈍感」になっていることに、本人さえ気づくことはなかった。




