第11話:始まりの音
黒瀬が学校に戻ってきたのは、透とお見舞いに行ってから一週間後だった。
メッセージで何度かやり取りはしていたが、相変わらず淡泊な文面だった。
《明日から学校》
絵文字もなければ、余計な言葉もない。
業務連絡みたいな一文。
――それでも。
黒瀬が返してきたという事実だけで、俺たちは“特別”だと言えた。
黒瀬の連絡先を知っているのは、俺と透と、そして――今はいない陽菜だけ。
あの澄ました顔で、誰にでも優しい外面をしながら、
決して懐には入れさせない徹底ぶり。
だからこそ、俺は一人で暴れる。
《怪我で不自由してんだろ?》既読
《よし!!! 優しい俺が一日300円で子守りしてやる!!! 喜べ!!!》既読
《仕方ねぇ、150円で請け負う》既読
《おい、ぼったくりか? 幼馴染特権で50円な?》既読
《既読スルーかよ!!!》既読
《お前……》
「って!!! 続き!!! その続きが一番気になるだろ!!!」
「蒼真、一人で騒ぎすぎ〜。黒瀬、何て?」
横で透が笑いながら、俺のスマホを覗き込んでくる。
「あぁ、明日から復帰するってさ。復帰祝いする?」
「私もメッセもらった〜」
そう言って、透は自分の端末を見せてくる。
《明日から学校復帰》
《うん。何か手伝う? 迎えに行こうか、蒼真と》既読
《いや、大丈夫。明日は送ってもらう》
《うん、わかった!!! じゃあ復帰祝いだね(^^)》既読
《復帰祝いってw いつものパンでいい。蒼真にはスポドリ奢れって言っといて》
《え〜自分で言ったら〜? 蒼真、喜ぶよ?》既読
《アイツ煩いし疲れるから、透が言っといて》
《はいはい。じゃあ、学校でね〜》既読
「……なんだよこの差!!!」
俺は地団駄を踏みながら、透のスマホを睨みつける。
同じ幼馴染だろ。
なんでこうも扱いが違う。
そんな俺を、透は可笑しそうに笑った。
「黒瀬も蒼真も、仲良すぎ〜」
「どこをどう見たらそうなる!?」
透の目は、たぶん少しおかしい。
⸻
昇降口に着くと、いつも通りの騒がしさが広がっていた。
靴箱の前で笑うやつら。
廊下を走るやつら。
――何一つ、変わらない。
変わったのは、ひとつだけだった。
コツ、コツ。
松葉杖が床を叩く音が、やけに響く。
振り向かなくても分かる。
この歩き方は、黒瀬だ。
「あ、黒瀬。おはよ〜」
透が声をかけると、黒瀬は軽く手を上げた。
「意外と元気そうじゃん?」
「この姿見て、よく言えるな」
「けっ。俺は見損なった!!! 俺と透の扱いの差に!!!」
「透、こいつ朝からどうした?」
「ん〜? さぁ?」
視線を泳がせて、へらりと笑う透。
いつもと同じ調子。
同じ顔。
同じ声。
俺は黙って、黒瀬のカバンをひったくった。
「これは教室までの人質な」
「……はいはい。丁重に扱えよ。限定版のゲーム入ってる」
「それを先に言え!!!」
⸻
歩く速度も、間の取り方も、全部が少しずつ遅れている。
それに合わせて、俺と透も自然と歩調を落とす。
透は黒瀬の横に並びかけて、すぐに足を止めた。
手を伸ばしかけて、引っ込める。
迷いを含んだ、小さな息。
……迂闊に触れたら、大変なことになる。
周囲の視線。
特に、女子の視線が痛いほど刺さる。
モテるのも、考えものだ。
「大丈夫か?」
気づけば、俺が先に口を開いていた。
「平気。医者にも無理すんなって言われただけだ」
――無理すんな、か。
言われたやつほど、無理するんだよな。
⸻
教室に入ると、案の定、視線が集まった。
「黒瀬! もう大丈夫なんかよ!」
「松葉杖レアじゃね?」
「写メ撮っていい?」
「帰れ」
いつものやり取り。
いつもの笑い声。
なのに、俺は笑えなかった。
黒瀬は笑ってる。
でも、その笑いは、どこか短い。
透は席に着いてから、何度も黒瀬の方を見ていた。
何ともないフリが、分かりやすすぎる。
⸻
昼休み。
透が学食のカレーを一口、口に運ぶ。
「……美味しい」
ぽつりと漏れた声に、胸がざわついた。
――本当に?
学食のカレーは、一昨日から甘口から辛口に変わったばかりだ。
そう聞きたかった。
でも、聞けなかった。
黒瀬は食べない。
松葉杖を壁に立てかけ、窓の外を眺めている。
「食わねぇの?」
「後で」
嘘だ。
そう思ったけど、言わなかった。
言わない方がいいことがあるのは、
……ずっと前から、知ってる。
⸻
放課後。
昇降口で靴を履き替えていると、スマホが震えた。
表示された名前に、指が止まる。
――母。
廊下の隅へ移動して、画面を開く。
《久しぶりね。菜々美がまた入院しました》
それだけ。
俺は端末を強く握る。
《菜々美が会いたがっています》
胸の奥が、きゅっと縮んだ。
《今度の週末、行きます》既読
《わかりました》
母親とは思えないほど、他人行儀な返事。
《蒼真は元気?》
「……どの口が言うんだよ」
《元気》と打ちかけて、送信せずに消した。
選択肢なんて、最初からなかった。
⸻
窓の外で、早く来いと手を上げる黒瀬。
その視線を辿って、俺を見つける透。
二人とも、笑ってる。
……俺だけが、後戻りできない場所に立ってる。
それでも。
それでも、俺は前に立つ。
こいつらが転ばないように。
たとえ――
俺だけが、嫌われ役になるとしても。
俺は二人のもとへ駆け出した。
軽いはずの端末が、やけに重い。
コツ、コツ。
松葉杖の音が、また響く。
この音を、俺は忘れない。
忘れちゃいけない。
――これは、始まりの音だ。




