第8話:悪意は正面から来てない
冬の朝は、耳が痛くなるほど冷たい。
昇降口で靴を履き替えながら、透は一度だけ深呼吸をした。
吸い込んだ空気が、鼻の奥をツンと刺す。
隣で蒼真が、スマートフォンをポケットに押し込む。
「先、行ってて。トイレ寄る」
「うん」
短いやり取り。
前と変わらない態度に、少しだけ安心する。
廊下に出て、階段へ向かう。
人の流れに逆らうように、透は一段一段、上へと進んだ。
その途中――
隣のクラスの女子三人と、すれ違う。
視線が、刺さった。
通り過ぎざま。
ほんの一瞬、小さな声が落ちる。
「あ……ほら……例の……」
「凄い神経。まだ来れるんだ」
「だよね〜。私なら学校来るの、躊躇う〜」
足が、止まりかける。
「関わった人、みんな不幸になってるのに」
笑い声。
ひそひそと、楽しそうな声。
「黒瀬くん、ほんと可哀想」
その名前が出た瞬間、胸の奥がきゅっと縮んだ。
「迎えに行かせてたんでしょ?
事故の前の日も、一緒に歩いてたって」
「優しいから断れなかっただけじゃない?」
「誰とは言わないけどさ、幼馴染だからって――
すっごい我儘」
――違う。
でも、声は出なかった。
「前にもさ……似たようなこと、あったよね」
誰のことか、言わなくても分かる。
「偶然にしては多すぎ」
一人が、少しだけ声を潜めて言った。
「……疫病神みたい」
「言い過ぎじゃない?」
「でも、事実じゃん」
その時になって初めて、透は思った。
階段は、意外と声が響く。
手すりを、強く掴む。
掌に、爪が食い込んだ。
唾を飲み込む。
――澪の笑顔。
――陽菜の笑顔。
そして、病室で見た黒瀬の痛ましい姿が、脳裏を過ぎる。
――疫病神。
その言葉が、頭から離れない。
透は何も言わず、ただ階段を上った。
⸻
教室の扉を開けた瞬間、空気が変わった。
「透! おはよ!」
「久しぶりじゃん、もう大丈夫なの?」
いつもの声。
いつもの笑顔。
席に着くと、クラスメイトが自然と集まってくる。
「これ、休んでた時のノート」
「……ありがとう」
教室の中は、驚くほど暖かい。
まるで、何もなかったかのようで――
一瞬だけ、忘れそうになる。
けれど。
一歩、廊下に出れば現実が襲ってくる。
ちらりと向けられる視線。
ひそひそと囁かれる声。
――私のことじゃない。
そう言い聞かせても、
小さな視線ひとつひとつが、気になっていく。
そんな透に、クラスメイトたちは気づいた。
透が何も言わないのを見て、誰かが眉をひそめる。
「気にしなくていいからね」
「私たちは、透の人となり分かってるし!」
少し語気を強めて、はっきり言う。
「透の何を見て、あんなこと言えるんだろう?」
「ほんと。
あんなの、ただの嫉妬だよ」
「黒瀬くんのことだってさ、
勝手に妄想して、勝手に決めつけてるだけ」
庇う声が、重なる。
あたたかい。
でも、その優しさが――少し、痛い。
「……ありがとう」
透は、そう言って笑った。
ちゃんとした笑顔だった。
少なくとも、そう見えたはずだ。




