第1話:誰の所有物にもならない
第2巻
第1章:選ばされる真実
特別応接室は、音を吸い込むように静かだった。
厚い絨毯。低い天井。
中央のテーブルを挟んで、三人の大人と――一人の少女。
透は背筋を伸ばして座っていた。
緊張していないわけじゃない。だが、指先一つ動かさない。
その様子を、面白そうに眺めている男がいた。
「……いやぁ」
アリアの父は、肘掛けに腕を預け、笑った。
「思った以上に堂々としてるな。高校生だろ? 普通はこの空気だけで震えるもんだ」
透は答えない。
視線だけを、静かに持ち上げた。
その沈黙を、別の男が柔らかく受け取る。
「君が萎縮しないのは、昔からだよ」
黒瀬の父――黒瀬和久は、穏やかな笑顔のまま言った。
声は低く、春風のように柔らかい。
「功一もそうだった。……いや、あいつはもっと無愛想だったかな」
和久は軽く肩をすくめる。
雑談のようでいて、視線は一瞬たりとも透から離れない。
アリアの父が、ふっと笑みを深くした。
「で、本題に入っていいか?」
彼は、透を真正面から見据え――
ゆっくりと、指を一本立てた。
「こっちを優先してくれたら、これだけ出そう」
空気が、ぴしりと張り詰める。
透は動かない。
だが、隣で和久が小さく息を吸った。
「……なるほど」
次の瞬間、和久はにこりと笑い、同じように指を立てる。
――二本。
「じゃあ、僕は二本かな」
アリアの父が吹き出した。
「おいおい、二本って……まさか二百万か?」
「ふふ」
和久は首を傾げる。
「そんなわけないって、分かってて言ってるでしょ。桁が一つ少ない」
一瞬、沈黙。
アリアの父の目が、鋭く細まった。
「……つまり、俺が百?
その認識なら、少し寂しいね」
和久は相変わらず穏やかだ。
「この子の価値は、そんな数字で測れるものじゃない。
夏川透君は……僕たちが“保護”した方がいい存在だ」
“保護”。
その言葉が落ちた瞬間、透の胸の奥で、何かが冷たく鳴った。
アリアの父は笑う。
「相変わらずだな、お前は。大学の頃からそうだ。
綺麗な言葉で、全部持っていく」
「君が露骨すぎるだけだよ」
二人は、旧友同士の軽口のように言い合う。
だが、その視線はどちらも――獲物を見るそれだった。
透は、ゆっくりと息を吸った。
「……話は終わりですか」
二人の視線が、一斉に透へ向く。
「私の価値は、分かりました」
声は静かだ。
だが、震えはない。
「あなた方がここまで言うなら、私の血に価値があることも」
一拍。
「だから――」
透は、テーブルに置いた手を、きゅっと握った。
――彼女は知っている。
「選ばされる」という行為が、どれほど人を壊すかを。
だからこそ、透は言った。
「交渉は、私がします」
和久の眉が、わずかに動く。
アリアの父の口角が、上がった。
「……ほう?」
「全て、私が決めます」
その一言で、空気が変わった。
少女が、場の主導権を奪った瞬間だった。
そして透はゆっくり唇を開く―――
ーーー
ーー
ー
.
数秒の沈黙。
そして、アリアの父が楽しげに笑う。
「はは……やっぱり面白いな、君」
彼は椅子に深く腰掛け、透を見下ろす。
「なあ、透。交渉が終わったあとでいい。
――やっぱり、俺たちと一緒に来ないか?」
和久が、何も言わずに透を見る。
透は、即答した。
「行きません」
短く、はっきりと。
その言葉に、アリアの父は声を上げて笑った。
「最高だ」
和久は、静かに目を細める。
「……本当に、怖い子だよ」
透は、何も答えなかった。
ただ、まっすぐ前を見据えていた。
透が扉に手を掛けた瞬間、
背後で、椅子がわずかに鳴った。
「……透」
黒瀬和久の声だった。
柔らかく、だが引き留める響き。
透は振り返らない。
「君は、自分が何を選んだか――分かっているね」
「はい」
即答だった。
「もう、戻れない道だってことも?」
一拍。
「最初から、戻るつもりはありませんでした」
和久は目を閉じ、短く息を吐いた。
その横で、アリアの父が愉快そうに口笛を吹く。
「いいねぇ……青春だ」
透は、最後に一度だけ振り返る。
「私の人生です」
その視線は、大人二人を“同列”に見ていた。
「誰の所有物にもなりません」
扉が閉まる。
静寂。
しばらくして、アリアの父が呟いた。
「……なあ和久」
「なにかな」
「俺さ」
彼は、楽しげに笑った。
「久しぶりに“本気で欲しい人間”に会った」
和久は答えなかった。
ただ、テーブルの上の指を、静かに組み直す。
(――守れると思うなよ、透)
その言葉は、胸の内にだけ沈めた。
外では、何も知らない夕日が沈みかけていた。
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