第79話:第一段階
研究棟の最上階。
夜の闇を切り取ったような窓際で、アリアの父は電話を取った。
「……久しぶりだな、黒瀬」
『ああ。声聞くのは何年ぶりだろうな』
黒瀬父の声は、穏やかだ。
だが、どこか探るような間があった。
「相変わらず、落ち着いた声だ。
昔からそうだったな。周りがどれだけ荒れてても」
『そうか?
お前の声の方が、変わってないよ。豪快でさ』
軽い笑い。
だが、それは挨拶以上には続かなかった。
『……で?
もう分かってるんだろ』
「当然だ」
アリアの父は、即答する。
「君の“大事な子”は、今――うちにいる」
黒瀬父は、すぐには返さなかった。
一拍置いて、低く息を吐く。
『……奪う必要は、なかったはずだ』
「奪ったつもりはない」
きっぱりとした声。
「“保護”だよ。
あの状況で、放っておく方が無責任だ」
『それを決める権利が、俺たちにあったか?』
「ある」
アリアの父は、笑う。
「“知っている側”にはな」
黒瀬父の声が、わずかに硬くなる。
『……相変わらずだな。
正しいことをしてる顔で、平気で踏み込んでくる』
「褒め言葉だ」
アリアの父は、机に肘をつく。
「君も、同じ側の人間だろ。
違うフリが上手いだけで」
『俺は、線を引いてる』
「引いて“いるつもり”だ」
静かな断定。
「だが結果は同じだ。
君は彼女に何も教えなかった」
『……』
「代償の段階。
血が支払っている“対価”。
その先に何が待っているか」
アリアの父は、楽しげに言う。
「全部、伏せたままだ」
『……それは、守るためだ』
「違うな」
声が低くなる。
「使い続けるためだ」
沈黙。
黒瀬父は、しばらくしてから苦笑混じりに言った。
『昔、大学で議論したよな。
“知らない幸福”と“知る残酷”の話』
「ああ、覚えてる」
「君は、知らない方が幸せだと言った」
『今も、そう思ってる』
「俺は逆だ」
アリアの父は、眼鏡をかける。
「知った上で、選ばせる。
――選ばざるを得ない状況で、な」
『……契約、か』
「そう」
即答。
「逃げた先で真実を知り、
戻るか、壊れるかを選ばせる」
黒瀬父は、低く笑った。
『……お前、本当に優しくないな』
「優しいさ」
アリアの父は、あっさり言う。
「娘にも、世界にも、そして――透にも」
『それを、本人がどう思うかは別だ』
「だが、結果は変わらない」
静かな確信。
「血は、必ず答えを出す」
通話の向こうで、黒瀬父が息を整える。
『……場所は、もう掴んでる』
「知ってる」
『奪い返す可能性は?』
少しだけ、探る声音。
アリアの父は、笑った。
「やってみればいい」
「――だがその時、
彼女がどちらを選ぶかは、分からないぞ?」
その一言に、黒瀬父は返さなかった。
「じゃあな、黒瀬」
「再会は……案外、早いかもしれん」
通話が切れる。
アリアの父は、机の写真立てに目を落とした。
そこには、無邪気に笑う娘。
「大丈夫だ、アリア」
優しく、確信をもって。
「パパはね、
“間違った愛し方”だけは、していない」
そう信じる声だった。
―――
通話が切れたまま、
黒瀬はしばらく受話器を耳に当てていた。
――昔からだ。
あいつは、決めたことは覆さない。
机の引き出しを開ける。
中には、一枚の古い資料。
被検体:夏川 透
年齢(当時):12歳
血液型:A型
採取履歴:有
提供経路:医療機関
適合率判定:第一段階
黒瀬は、その文字列を数秒だけ見つめた。
「透・適合率 第一段階」
そして、資料を裏返す。
見なかったことにするために。
それでも、胸の奥が鈍く痛む。
「……すまない」
誰に向けた言葉なのか、
彼自身にも分からなかった。
その言葉が、
彼女に届く日は、まだ来ない。
――― 一巻・完
ここまでお付き合い頂きありがとうございます!(´▽`)
これで第一巻は~完~です。
第2巻を制作中です!!!3日ほど更新ストップさせて頂きます!!!
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