第7話:静かな怒り
次の日-
教室の窓から差し込む光は、いつもより柔らかく、やけに静かだった。
机の上に置かれたノート、筆箱、教科書――
すべては昨日までと変わらない。ただ、一つだけ、違う。
陽菜が、ここにいない。
「……やっぱり、まだ信じられない」
透は心の中でつぶやき、手元のノートに触れた。
薄く赤みがかった指先を見つめる。
教室の空気は普段通りで、誰もが机に向かっている。
だけど、あの明るい声も、あの笑顔も、もう聞こえない。
昼休み。
教室の中で、ひそひそとしたざわめきが広がり始める。
「朝霧の話、聞いた……?」
「死んだらしいよ……」
聞こえるか聞こえないかの小さな声。
それでも、透にははっきり届いていた。
「……陽菜……」
声にならない声が、喉の奥で零れる。
その瞬間だった。
「でもさ、朝霧も馬鹿だよな! 野良犬なんてほっとけば良かったんだろ?
正義もそこまでやると痛いわ!」
鋭い声が、教室に突き刺さる。
透は机を強く握りしめた。
怒りと悲しみが、一気に押し寄せる。
「なっ……!?」
言い返そうと顔を向けた、その瞬間――
背後から、勢いよく飛び出す影があった。
蒼真だった。
胸ぐらを掴み、相手を引き寄せる。
その瞳は、怒りで赤く染まっていた。
「もう一度、言ってみろ!!!」
教室が、一瞬で静まり返る。
透はその迫力に息を呑んだ。
けれど胸の奥では、同じ感情が渦巻いていた。
蒼真の手が、さらに強く胸ぐらを掴む。
「俺たちの前で、よくそんなことが言えたな」
「なんだよ! じ、事実だろっ!!」
クラスメイトは目頭を釣り上げ、叫び返す。
「事実だろうと無かろうと関係ねぇ!
お前がそれを言うことは、俺が絶対許さねぇ!!!」
教室内に、重苦しい緊張が走る。
「事実を事実って言って何が悪いんだよ!
離せよ!! 汚ぇ犬を助けようとして、朝霧は死んだんだろ!!!」
その言葉に――
透の中で、何かが切れた。
気付けば立ち上がり、クラスメイトの前に立っていた。
「な、なんだよ……」
一歩後ずさる相手が、透の顔を見てぎょっとする。
「……違うっ……」
声が、震えた。
「陽菜は……助けようなんて、してないっ……」
涙が、溢れ出す。
「ただ……あそこに……いただけっ――!!!」
そこまで言って、言葉が詰まる。
あの日。
誘ったのは、自分だった。
本屋に行こうなんて――
言わなければ、よかった。
全部。
全部、自分のせいだ。
クラスメイトの言葉が許せなかった。
でも、それ以上に――
自分が、許せなかった。
涙が止まらない。
そんな透を見て、クラスメイトは一瞬ひるみ、気まずそうに視線を逸らす。
「な、なんだよ……俺はただ……」
涙は、頬を伝い、床へと落ちていく。
ひとつ、またひとつ。
八つ当たりだと、分かっていた。
それでも、涙は止まらなかった。
やがて、クラスメイトは大きく息を吐き、両手を上げる。
「……分かったよ。もう言わねぇ……悪かった。ごめん……」
「……っ……」
透は肩を震わせ、必死に深呼吸をする。
感情を落ち着かせようとしても、涙だけはどうしても止まらなかった。
その時――
「……透」
肩に、そっと手が置かれる。
振り返ると、黒瀬が立っていた。
「黒瀬っ……」
黒瀬は一度息を吐き、透の手元に視線を落とす。
「……透、その手」
それ以上は言わなかった。
だが次の瞬間、蒼真が何かに気づいたように透の腕を掴み、そっとクラスメイトから引き離す。
「……保健室行こう」
透の手を見ながら、蒼真は教室を振り返った。
「悪い……俺もムキになった」
一拍置いて、続ける。
「でもな。次も同じことがあったら、俺はまた同じことをする」
真っ直ぐな目で、言い切った。
「陽菜は、昔も今も、この先も――
俺たちの大切な幼馴染だ。
バカにすることは、絶対に許さない」
俺も、透も、黒瀬も――。
三人が教室を出て行くと、張り詰めていた空気が一気に緩む。
「こ、怖ぇ〜……!」
「夏川さんが怒ったとこ、初めて見た……」
「いや、一番怖かったの黒瀬だろ!
あの目、見たか? ガチで怒ってたぞ……」
「あれは荒川が悪いだろ」
別のクラスメイトが呟く。
「あぁ……分かってるよ。俺が悪いって……クソ……」
「荒川、不器用なんだよ。
普通に『元気出せ』で良かったのに」
「……うっせ」
こうして、日常は少しずつ戻っていく。
けれど――
陽菜のいない日々の重さは、確かにそこに残り続けていた。




