第72話:守ると言った
意識は、音から戻ってきた。
一定の間隔で鳴る、電子音。
遠くで、誰かの足音。
消毒液の匂いが、喉の奥に張り付く。
——生きている。
そう理解するより先に、痛みが来た。
胸。
腹。
腕。
全身が、内側から引き裂かれるような感覚。
黒瀬は、息を吸おうとして、むせた。
喉が、焼ける。
「……っ」
声にならない音が漏れる。
瞼が、重い。
それでも、無理やり開いた。
白い天井。
眩しさに、視界が滲む。
点滴。
包帯。
自分の腕が、自分のものじゃないみたいに、遠い。
「……透」
無意識に、名前が落ちた。
返事は、ない。
胸の奥が、冷えていく。
——いない。
それだけで、理解してしまった。
黒瀬は、歯を食いしばり、腕を動かした。
点滴の管が、引き抜かれる。
警告音。
血が、滲む。
どうでもいい。
足を床に下ろした瞬間、力が抜けた。
壁に手をつき、息を整える。
「坊っちゃま!」
切迫した声。
「いけません、まだ動いては——」
黒瀬は、視線だけを向けた。
「……退け」
低い声だった。
「ど、退きません!」
足音が近づく。
「この状態で歩くなんて、命に関わ——」
「退けって言ってるだろ!!!」
廊下に、声が叩きつけられた。
一瞬、空気が凍る。
黒瀬自身も分かっていた。
これは、八つ当たりだ。
それでも、止まらなかった。
秘書は、言葉を失ったまま、数歩、後ずさる。
黒瀬が、その隙を逃さず歩き出す。
病院服のまま。
包帯だらけの身体で。
秘書は、震える指で端末を取り出した。
小声で、早口に。
「……目を覚まされました」
「はい、今——」
「……ええ、止められません」
通話を切る。
視線の先で、黒瀬の背中が遠ざかっていく。
廊下に響く足音。
一歩ごとに、痛みが追いかけてくる。
それでも、止まらない。
——守ると言った人間が、いる。
重厚な扉の前に立ち、黒瀬は一瞬だけ、呼吸を整えた。
ノックは、しない。
そのまま——
ドアを、叩き開けた。
———




