第71話:守ったつもりの理由
風の音が、歪んだ。
公園だったはずの場所が、少しずつ輪郭を失っていく。
ブランコは揺れているのに、鎖の音だけが存在しない。
砂場には足跡があるのに、記憶に結びつく主がいない。
黒瀬は、立ち尽くしていた。
透がいた。
陽菜がいた。
——はずだった。
透の顔が、ぼやけている。
輪郭だけが残り、目が合わない。
声をかけようとして、気づく。
彼女は、こちらを見ていなかった。
まるで、黒瀬という存在が、最初から視界に入っていないみたいに。
「……透」
名前を呼んでも、届かない。
唇は動くのに、声が出ない。
その隣で、陽菜の姿が一瞬だけ揺らぎ——
誰かの影と重なった。
澪。
名前を呼ぶ前に、景色が崩れる。
「なぁ」
背後から、声がした。
振り返らなくても、分かった。
蒼真だ。
子どもの姿のまま、
それでも、目だけが今のままの蒼真。
逃げ場を塞ぐように、立っている。
「それさ」
蒼真は、淡々と続ける。
「まだ、守ってる“つもり”でおるん?」
その一言で、世界の音が、完全に消えた。
黒瀬の喉が、詰まる。
「……守ってる」
そう言おうとして、言葉が形にならない。
蒼真は、目を逸らさない。
「弟のことも?」
息が止まる。
「透のことも?」
逃げ道が、消える。
「それともさ」
一歩、近づく。
「自分が壊れないように、
“守った事にした理由”が欲しかっただけ?」
黒瀬の足元に、ひびが入る。
守った。
選んだ。
仕方なかった。
——全部、言い訳だと、
今なら分かる。
蒼真は、最後に言った。
「それ、守ってるんじゃない」
「一番楽な方法を選んだだけだろ?」
世界が、崩れ落ちる。
⸻
透が、再び視界に入る。
今度は、少し大人びた姿だった。
制服でも、子どもでもない。
中間の、曖昧な年齢。
それでも——
彼女は、黒瀬を見ない。
「黒瀬」
優しい声。
だからこそ、残酷だった。
「もう、いいよ」
許しではない。拒絶でもない。
——終わりの宣告。
「私が選ぶから、黒瀬は何も決めなくていい」
その言葉で、黒瀬は理解する。
彼女はもう、守られる側じゃない。
名前を呼ぼうとして、声が、完全に消えた。
⸻
背後で、足音。
振り返ると、弟が立っていた。
さっきより、少しだけ透けている。
「兄ちゃん」
囁くような声。
「兄ちゃんは、僕を守れなかった
でも、それを“仕方なかった”って思ってたでしょ?」
黒瀬の胸に、
最後の杭が打ち込まれる。
「でもさ」
弟は、首を傾げた。
「透ちゃんは......?」
続きを、言わない。
それで、十分だった。
⸻
電子音が、割り込んでくる。
一定の間隔。
現実の音。
『黒瀬さん、意識反応が——』
誰かの声。
黒瀬の指先が、ほんの少しだけ動く。
目は、開かない。
だが——
選択は、もう終わっていた。
——彼が望んだ形で、ではない。
守れなかった過去も、
守れない現在も。
全部を知ったまま、
黒瀬は、目覚めない。




