第6話:小さな違和感
朝は、何事もなかったみたいにやって来た。
カーテンの隙間から差し込む光が、やけに眩しい。
目覚ましの音。
制服に袖を通す感覚。
全部、昨日までと同じ。
ただ一つだけ、違う。
陽菜がいない。
連絡もない。
「おはよー!」という、あの軽いメッセージも来ていない。
それなのに、世界は普通に回っている。
それが、少し怖かった。
登校途中の道。
いつも四人で歩いていたはずの歩道が、妙に広く感じる。
「……静かだな」
誰に向けた言葉でもなく、透は呟いた。
返事はない。
校門をくぐっても、教室に入っても、
空いた席が一つあるだけで、誰も何も言わない。
担任は、簡単に事情を説明した。
「朝霧は、しばらく休む」
それだけ。
クラスメイトたちは曖昧に頷いて、すぐに別の話題に戻る。
昨日まで、確かにここにいたのに。
昼休み。
透は、一人で校舎裏へ向かった。
何となく、足がそう動いた。
フェンスの向こう、雑草の生えた空き地で、
小さな影が動いた。
「……犬?」
野良犬だった。
茶色の毛並み。
汚れていて――いや、違う。
透は、眉をひそめた。
近づくにつれて、胸の奥がざわつく。
片脚を引きずっていたはずだ。
昨夜、確かに。
「……あの時の……?」
フェンス越しにしゃがみ込み、
透は、犬の身体を注意深く見た。
脚。
胴。
首元。
致命傷だったはずの場所に、
傷は、ない。
代わりに――
毛の奥に、乾きかけた血が、まだ少しだけ残っていた。
「……血……?」
触れはしない。
けれど、はっきりと分かる。
瀕死だった。
それなのに、今は――歩いている。
犬は、じっと透を見上げている。
警戒も、怯えもない。
まるで、
「もう大丈夫だ」とでも言うみたいに。
「……見間違い、だった?」
そう呟いた瞬間。
「いや」
低い声が、背後から落ちた。
透が振り返ると、
フェンスから少し離れた場所に、黒瀬が立っていた。
腕を組み、視線は犬へ。
「それ、昨日の現場にいた犬だろ」
心臓が、ひとつ強く跳ねる。
「……黒瀬」
「覚えてる。
あの時、確かに血まみれだった」
黒瀬の視線が、犬から、透の手元へと移る。
一瞬だけ。
ほんの一瞬。
けれど、その目は、
“何かを確認するような”冷たさを帯びていた。
次の瞬間、犬は身を翻すと、
何事もなかったかのように走り去っていった。
残されたのは、透と黒瀬だけ。
「……偶然、だよね」
透が言うと、
黒瀬は短く息を吐いた。
「さぁ......?」
それ以上は、何も言わない。
午後の授業は、頭に入らなかった。
ノートを取る指先が、
やけに赤く見える。
洗っても、拭いても、
落ちきらない気がして。
陽菜がいない。
それだけのはずなのに。
日常の中に、
小さな違和感が、確かに混じっていた。




