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C型血の少女は、誰も救わないと決めた  作者: くじら


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第68話:名前の話しをしよう






 深夜を、とっくに回っていた。


 リビングの照明は落とされ、巨大な窓の向こうに広がる夜景と、水槽の淡い青白い光だけが室内を満たしている。

 時間の感覚が、ゆっくりと溶けていく。


「も〜むりぃ〜」


 ソファに転がっていたアリアが、ぐにゃりと身体を伸ばした。


「頭使いすぎた〜。続きは明日ねぇ〜」


 欠伸混じりに立ち上がり、くるりと振り返る。


「おやすみ、透〜。エリスも〜」


 本当に軽い。

 まるで、今日の会話がゲームの途中経過でしかなかったみたいに。


 そのまま自室へ消えていく背中を、透は黙って見送った。


 ドアが閉まる音が、やけに大きく響く。


 静寂。


 残されたのは、透とエリスだけだった。


 エリスはソファに座ったまま、脚を組み直す。

 水槽の光が、その横顔を冷たく縁取っている。


「……さて」


 淡々とした声。


「やっと、本題ですね」


 透の胸が、わずかに強く打った。


「本題……?」


「ええ」


 エリスは、ゆっくりと微笑んだ。


「今から、嘘は無しで本音で話しましょうか」


 視線が、透を射抜く。


「……あなたも、それを望んでいるでしょう?」


 返事を待たず、続ける。


「では」


 脚を組み直し、語るように言う。


「——少し、面白い話をお聞かせしましょう」


 水槽の光が、エリスの横顔を冷たく照らす。


「昔」


 静かな声。


「薄汚れた古い部屋に、幼い女の子がいました」


 透は、思わず息を詰めた。


「その子は、とても弱っていた。

 ガリガリに痩せ細り、骨と皮だけの存在」


 淡々とした口調。


「親は何日も帰ってこない。

 食べるものも、水もない


……まあ、よくある話です」


 エリスは肩をすくめた。


「その少女は、今にも死にそうでした」


 一拍。


「いえ、本人は——

 もう、死ぬものだと思っていたでしょうね」


 透の喉が、きゅっと鳴る。


「だから」


 エリスは、静かに続ける。


「死の間際に現れた“それ”を、

 少女は神様だと思った」


 冷笑。


「でも、神なんかじゃない」


 はっきりと言い切る。


「現れたのは、海外の——

 大きな“組織”でした」


 嫌な予感が、背筋を這い上がる。


「組織は、少女を見下ろし、こう言ったそうです」


 声色を変えず、再現する。


「『組織のために働くなら、生かしてやろう』」


 短く、息を吐く。


「……返事は、決まっていますよね」


 エリスは、透を見た。


「死ぬか。

 生きるために、従うか


こうして少女は、死を免れました」


 語りは、淡々と続く。


「訓練され、使われ、

 気づけば、組織の中でそれなりに“使える存在”になった。


才能があったわけでも、特別だったわけでもない」


「ただ、従順で、壊れなかった」


 それだけ、と言外に滲ませる。


「そして、ある日」


 エリスは、ゆっくりと言った。


「その少女に、新しい任務が与えられました」


 透の指先が、わずかに震える。


「とても簡単な任務です。


とある少女——

 自分と同じ年頃の少女を観察する」


「報告し、

 血を確保し、

 提出する」


 感情の欠片もない声。


「——それだけ」


 透の胸が、締め付けられる。


「任務のために、少女は“名前”を与えられました」


 僅かな間を置いて。


「朝霧 澪」


 その名が、空気を切り裂いた。


「……もっと正確に言えば」


 エリスは、ほんの少しだけ言葉を選ぶ。


「“朝霧”は、組織が与えた苗字です」


 透は、何も言わなかった。


 言えば、声が震えると分かっていたからだ。


 奥歯を噛み締める。

 ぎり、と小さく鳴った音だけが、頭の中でやけに大きい。


 拳を握る。

 爪が、掌に食い込む。


 ――痛みがある。

 だから、まだ理性は保っていられる。


「彼女にとって、本当に“自分のもの”だったのは」


 そこで、わざと間を置いてから。


「“澪”という名前だけ」


 水槽の光が、静かに揺れる。


「苗字は、管理番号みたいなもの――

 ……と言いたいところですが」


 エリスは、わずかに口角を上げた。


「今回は、違う」


 水槽の光が、彼女の瞳に冷たく反射する。


「あなたの“心に一番入り込みやすい名前”が、

 意図的に選ばれました」


 一拍。


「朝霧 陽菜。

 ――亡くなった、幼馴染」


 透の呼吸が、一瞬だけ止まった。


 視界が、僅かに揺れる。


 反射的に言葉が喉まで込み上げてきて、

 それを、無理やり飲み込む。


 今、口を開けば。

 怒鳴るか、縋るか、どちらかになる。


 そんな自分を、

 エリスに見せるわけにはいかなかった。


「同じ苗字を名乗らせれば、

 警戒は薄れる。

 感情も、揺れる」


 肩をすくめる。


「実に合理的でしょう?」


「人を騙すのに、

 過去ほど使いやすい道具はありませんから」


 淡々とした声。


「でも、名前だけは違う。

 あれは、奪われなかった」


 透の胸の奥が、理由もなく軋んだ。


 何かが、噛み合った気がして。

 でも、それを言葉にする気にはなれない。


「……あなたが」


 エリスは、透を見た。


「最初から彼女を“澪”と呼んでいたのは、

 随分、無神経ですね」


 薄く、笑う。


「たかが名前ひとつで」


 肩をすくめる。


「“自分を見てもらえた”なんて、

 勘違いする人間もいる」


 冷たい視線。


「哀れだと思いません?」


 短い沈黙が落ちる。


「本当の意味で肯定されたわけでも、

 救われたわけでもないのに」


 エリスは、興味なさそうに続ける。


「名前を呼ばれただけで、

 特別になった気がしてしまう」


 小さく、鼻で笑う。

 言葉の温度が、さらに下がる。


「……だから、人は愚かなんです」


 水槽の中で、魚が静かに向きを変えた。


 透の喉が、詰まる。


―――泣き出しそうな顔。


あの時、一瞬だけ揺れた澪の瞳だけが脳裏に残る。


そして、最後のあの時、あの瞬間の.....澪の声。


 ——ダメ。見られてるから。


 焦り。

 恐怖。

 そして、何かを隠すような視線。


(……あれは)


(組織の人間だったから——)


「彼女は、完璧に任務を遂行するつもりでした」


 エリスの声が、現実へ引き戻す。


「感情を挟まず、

 距離を保ち、

 淡々と」


 でも。


 肩をすくめる。


「失敗した」


 それだけ。


「情が邪魔をしたのか、

 判断を誤ったのか」


「結果を出せなかった」


 冷たい声。


「だから、組織からは“不要”の烙印を押され」


 わずかな間。


「——処分された」


 透は、唇を噛みしめた。


「……澪は」


 声が、震える。


「私の血が、目当てだったんですか……」


「ええ」


 即答だった。


「無能でしたけど」


 透の拳が、膝の上で固く握られた。


 震えを抑えるように、力を込める。


 反論したい。

 叫びたい。


 それでも、透は黙っていた。


 ここで声を荒げた瞬間、

 澪が「ただの失敗」にされる気がしたからだ。


だから声を抑え、焼き切れそうな感情を抑え、ゆっくり声を吐き出した。


「……それでも」


 透は、絞り出す。


「それでも……澪は……」


「何です?」


 エリスが遮る。


「被害者?」


 鼻で笑う。


「あなた、本当に甘い」


「自分から近づいて、

 嘘をついて、

 利用して」


「それで、死んだ」


 肩をすくめる。


「実に人間らしい....よくある話です」


 透の拳が、震えた。


「……あなたには」


 低い声。


「心が、ないんですか」


 一瞬の沈黙。


 そして——

 エリスは、心底可笑しそうに笑った。


「情ですか?」


「優しい世界で生きてきたんですね」


 視線が、凍りつく。


「私は、人間が嫌いなんです」


 断言。


「人間ほど、信用できない生き物はいない」


「人間ほど、汚い生き物もいない」


「その中でも、特に嫌いなのが」


 一拍。


「自分を特別だと思っている人間」


 透の脳裏に、無邪気な笑顔が浮かぶ。


「……アリアも?」


「ええ」


 にこり、と笑う。


「大嫌いです。例外はありません」


「持って生まれただけのくせに、

 特別だと信じて疑わない」


「使われているだけとも知らずに」


 小さく息を吐く。


「……馬鹿だなぁ、って」


 透の背中を、冷たい汗が伝った。


「じゃあ……どうして一緒に……」


「仕事ですから」


 即答。


「仕事は、ちゃんとしますよ?」


 完璧な笑顔。


「仕事じゃなかったら、

 口すら利きません」


「……情は、湧かないんですか」


 エリスは、鼻で笑った。


「湧くわけ、ないでしょう」


「アリアが……死ぬような怪我とかしたら、心配しないんですか?」


 透は、震えながら続ける。



「アリアが怪我したら……仕事ですから怪我しないようには気をつけてるつもりですよ


それで死んだりしたら……」


 少し考える素振り。


「そうですね」


 真顔。


「彼女が居なくなったら、仕事がなくなって、

 生活できるかな、くらいには」


「落ち込みますかね」


 水槽の魚が、静かに泳ぐ。


 管理された命。


 透は、理解した。


 この女は、誰の味方でもない。


 ——自分以外、誰も。


 それでも。


 透は、目を逸らさなかった。


(……逃げない)


 どれだけ、ズタズタにされても。


 知ると、決めたから。


 その先で、

 自分がどうするのかを——

 選ぶために。


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