第67話:見晴らしの良い檻
――都心・高層マンション――
エンジン音が、静かに途切れた。
車のドアが開く。
透は、促されるまま外へ出た。
目の前にあったのは——
想像していた“施設”とは、あまりにも違う建物だった。
少し古びた、高層マンション。
街中に溶け込む、ありふれた外観。
(……は?)
思考が、追いつかない。
地下。
窓のない部屋。
逃げ場のない研究施設。
そんなものを、透は覚悟していた。
なのに。
ここは、普通すぎる。
「ここだよ〜」
アリアが、楽しそうに言った。
「透をご案内しまーす!!!」
エリスが無言でオートロックを解除し、エントランスへ入る。
ロビーは静かで、人の気配はない。
「ねぇねぇ、透」
エレベーターの中。
アリアが、くすっと笑う。
「ここねぇ、日本のお家の中でアリィが1番好きな場所!!!透もきっと気に入ると思う!!!」
軽い声。
冗談みたいな口調。
なのに、その言葉は、妙に現実的だった。
エリスは無言で扉に手をかざし、認証音が鳴る。
分厚い隔壁が、ゆっくりと開いた。
中は、生活区画だった。
「パパが迎えに来るまで、ここにいようね〜」
当たり前みたいに言われて、透は一瞬言葉を失う。
(迎えに……来る?)
——勝手に決められている。
まだ何も聞いていない。
何も、選んでいないのに。
けれど、アリアはそんな透の戸惑いなど気にも留めず、走り出した。
「見て見て〜!!!ここ、アリィの部屋!!!」
最初に案内されたのは、アリアの部屋だった。
扉を開けた瞬間、視界が一気に色づく。
ぬいぐるみ。
ベッドの上も、棚も、床の隅にも。
甘い色合いのクッションや、小物。
——子ども部屋。
それも、幼い少女が使うファンシーな部屋
アリアの為に作られたその部屋は、アリアに凄く似合ってた。
「可愛いでしょ!アリィのお気に入り!」
ぎゅっとぬいぐるみを抱きしめて、満足そうに笑う。
透は、似合いすぎて言葉を失った。
次に案内されたのは、エリスの部屋。
必要最低限のベッドと机。
私物らしいものは、ほとんどない。
眠るためだけの空間。
対照的すぎて、胸の奥がざわついた。
「それでね〜!」
アリアが、ぱっと明るい声を上げる。
「透の部屋もあるんだよ!」
「……え?」
思わず、声が漏れた。
連れて行かれた部屋は、シンプルで、整えられていた。
色味も落ち着いていて、どこか“おしゃれ”。
(……用意、されてる)
ここに、住む前提。
透の意思なんて、最初から数に入っていない。
そのまま三人は、リビングホールへと移動した。
足を踏み入れた瞬間、透は思わず立ち止まった。
——正面の壁一面が、窓だった。
床から天井まで、切れ目のないガラス。
そこに広がっていたのは、見たこともない夜景。
街の光が、海のようにうねっている。
無数のビルの灯りが層を成し、遠くまで続く。
車のヘッドライトが流星みたいに走り、
ネオンは色を変えながら、静かに脈打っていた。
——高すぎる。
自分が今、どれほど高い場所にいるのか、
現実感が、遅れて追いついてくる。
逃げ場はある。
でも、飛び降りる以外に——。
「……すご……」
思わず、息が零れた。
その夜景を背にするように、
リビングホールの中央には、巨大な水槽が置かれていた。
横幅は人の背丈の何倍もあり、
淡い青白い光が、部屋全体を満たしている。
水の中では、色とりどりの魚たちが、
夜景と溶け合うように、静かに泳いでいた。
窓の外の“自由な光”と、
ガラスの内側の“管理された命”。
その対比が、異様なほど美しくて。
——息苦しい。
透は、無意識に窓へ近づき、
そのまま外の景色に目を奪われた。
「ふふ」
背後から、アリアの笑い声。
「やっぱり、見ちゃうよね〜」
透が振り返ると、
アリアは、水槽と夜景を交互に眺めながら言った。
「意外だった?」
くすっと、楽しそうに。
「地下とか、真っ暗な研究施設とか、
そういうの想像してたでしょ?」
図星だった。
「でもね〜」
アリアは、夜景を指さす。
「こんな普通の場所の方が、
ずっと見つけられないし」
次に、水槽を指さした。
「逃げるの、難しいんだよ?」
冗談みたいな口調。
子どもみたいな笑顔。
なのに、その言葉は、
この景色よりも、ずっと現実的だった。
「ね、透」
ふと、真面目な声になる。
「本当はね、すぐにでも透を海外に連れて行っても良かったんだよ?」
透の心臓が、跳ねた。
「でもさ〜」
肩をすくめて、続ける。
「黒瀬一族が、うるさくて」
軽い口調。
まるで、面倒な障害物みたいに。
「邪魔されちゃってさ。だから今は、ここでパパ待ち!」
「……」
透は、何も言えなかった。
その沈黙を破るように、アリアが言う。
「ね、まずはアリィのこと、話そっか!」
胸を張る。
「アリア・レインフォード!16歳!」
「……16」
思わず、復唱していた。
もっと、幼いと思っていた。
無邪気で、子どもで。
——自分と、ほとんど変わらない。
「えへへ。びっくりした?」
アリアは、楽しそうに笑った。
「じゃあさ、能力、見せてあげるね〜」
言うなり、指先に小さな傷をつける。
「っ……」
血が、滲む。
同時に、あの甘い匂いが、部屋に広がった。
透の喉が、きゅっと鳴る。
「アリィ、痛いの嫌ぁい」
そう言いながら、アリアは血をコップに垂らし
それを、そのまま水槽へ。
赤が、青に溶けていく。
「面白いもの、見せてあげる〜」
アリアは、水槽を見つめ、低く呟いた。
「——回れ」
次の瞬間。
魚たちが、一斉に円を描いて回り始めた。
揃いすぎた動き。
意志が、ない。
「止まれ」
ぴたりと、止まる。
透の背中を、冷たいものが走った。
「ふふ、すごいでしょ?」
アリアは、得意げに笑う。
「でもね、もう一つ、取っておきがあるんだ〜」
そう言って、可愛い顔のまま、一匹の魚を指差す。
——そして。
「お前、あの魚を襲え」
水槽の中で、何かが崩れた。
一匹の魚が、突然、別の魚を追いかけ始める。
逃げ惑う、小さな影。
「……や、やめて!」
透の声が、震えた。
「えぇ〜?」
アリアは、不満そうに眉を下げる。
「なんで?せっかく取っておき見せてあげたのに〜」
一瞬。
表情が、消えた。
「……戻れ」
その一言で。
何事もなかったように、魚たちは元の動きに戻る。
水槽は、再び幻想的な光景に戻った。
——まるで、最初から何もなかったみたいに。
透は、動けなかった。
胸が、冷たく締めつけられる。
「アリィ、すごいでしょ?」
無邪気な声。
「パパもね〜、いっぱい褒めてくれるの」
嬉しそうに、そう言った。
——その笑顔を見て。
透は、はっきりと思った。
(この子は……危険だ)
悪意じゃない。
理解していない。
だからこそ、恐ろしい。
「さぁ〜」
アリアが、振り返る。
「次は、透の番だね!」
にこっと笑うその姿は。
——天使の皮を被った、悪魔みたいだった。
透は、ゆっくりと息を吸った。
逃げられない。
戻れない。
それでも。
(……聞く)
全部、知る。
その上で——
自分で、選ぶ。




