第63話:何も起きてない、はずだった。
息が、喉に焼き付く。
それでも黒瀬は、スマートフォンを耳から離さなかった。
「……まだ店か」
『うん、レジ、今ちょっと混んでる』
平和すぎる声。
足元のアスファルトを蹴るたび、視界が揺れる。
「買ったらすぐ、店の奥に行け。
入口から離れろ」
『えー、でもアイスのケースこっちだよ?新作のやつ、今日出たらしい』
「透」
名前だけを落とす。
一瞬の沈黙。
『……はいはい、
今、奥』
納得していない声。
それでも、電話は切れていない。
『マシュマロゼリー、やっぱ無い!!!
駅前店なのに不親切だよね〜』
息を吐く暇もない。
『そういえばさ、昔、蒼真が甘酒って甘いのかな?って言って買ってさ』
交差点を踏み切る。
『一口飲んで
「……全然甘くねぇ」って真顔で後悔してたよね〜』
くすっと笑う声。
「……今は、喋るな」
『あ、怒ってる?』
「走ってる」
街灯の下。
人の流れが一瞬、途切れる。
視線を走らせる。
角。
車道。
路地。
(いる)
いるはずだ。
一族の目が。
(だが)
“見えない”。
胸の奥に、針のような違和感が残る。
『あ、今.....
人、入ってきた』
黒瀬の足が、止まった。
「……どんな」
『普通の人
子ども連れてる』
深夜のコンビニ。
小さな子ども。
違和感が、はっきりと形を持つ。
「……透
その親子から、目を離すな」
『え?』
「近づくな」
「距離を保て」
「不審な動きがあったら、すぐ叫べ」
一拍。
『……う、ん』
声が、少しだけ硬くなる。
『あ、でも、
女の子、可愛い〜
お人形さんみたい』
無防備な評価。
「感想はいらない」
『はーい』
再び、走る。
交差点が見える。
信号は青。
(あと)
残り、百メートル。
時間にして――数十秒。
『あ......
おにぎり買って、出てった』
「……さっきの親子か」
『うん、
普通に出ていったよ?』
一瞬だけ、
胸の奥の張りが、わずかに緩む。
(……違ったか)
そう思った直後、
消えない違和感が、もう一度胸を刺した。
「それでも動くなよ?
俺が入るまで、その場にいろ」
『はいはい、りょーかい』
自動ドアが、視界に入る。
――その瞬間。
『……え?』
息を呑む音。
「透?」
一拍。
「きゃっ——」
同時に。
黒瀬は、コンビニの扉をくぐっていた。
「透!!」
店内に、緊張が走る。
――だが。
レジ前。
アイスケース。
通路。
透は、そこにいた。
無傷で。
きょとんとした顔で。
「……?」
黒瀬と、目が合う。
「黒瀬?
なに、そんな顔して……」
言葉が、途切れる。
透は、指で目元を押さえた。
「いや、その……
虫、目に入って……」
静寂。
黒瀬の呼吸が、ようやく落ちる。
――何も、起きていない。
気の抜けた透の言葉にホッとしたのと同時に、胸の奥に、言葉にならない冷えが残った。
黒瀬は、透から視線を外さなかった。
離すつもりも、なかった。
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