第62話:無防備
夜の空気を吸いたくて、黒瀬は一人で外に出ていた。
目的は、ただのコンビニだ。
理由なんてない。
強いて言えば――頭を空にしたかった。
書斎で父と向き合ってから、
思考がずっと張り付いたままだった。
甘いものでも食えば、
少しは切り替えられるかと思った。
――自分でも、らしくないと思う。
ポケットの中で、スマートフォンが震えた。
画面に表示された名前を見て、
呼吸が、ほんの一瞬だけ楽になる。
「……もしもし」
『今、何してる?』
透の声。
いつもと変わらない、軽い調子。
「コンビニ」
「甘いの、食おうかなって」
『え〜、嘘ばっか』
『黒瀬、甘いのとか滅多に食べないくせに』
くすっと笑う声。
「……嫌いじゃない」
「たまに、食いたくなる」
『へぇ〜』
一拍。
『……あ、奇遇』
嫌な予感が、背中をなぞる。
「何がだ」
『私もさ』
『甘いの食べたくなって、今コンビニ』
――一瞬、思考が止まった。
「……どこだ」
声が、低くなる。
『ん? ん〜』
『うちの近くのコンビニ』
『白白マシュマロゼリー無いから、駅前店行ってる〜』
頭の奥で、何かが切れた。
「……動くな」
『え?』
「今いるコンビニから、絶対に出るな」
「電話も切るな」
『え、ちょ……黒瀬?』
「すぐ行く」
『え!? 黒瀬も白白マシュマロゼリー食べたいの?』
「違う」
言い捨てる。
「いいから、そこにいろ」
「誰にも声かけるな」
「外、見るな」
『……う、ん』
『わかった……』
不安そうな返事。
――怒ってるって、分かるだろ。
黒瀬は、電話を繋いだまま走り出した。
駅前店まで、徒歩で十五分。
走れば、七、八分。
(……間に合う)
一族の人間が、何人か張り付いているはずだ。
学校にも、街にも。
だから――大丈夫なはずだ。
それでも。
(万が一がある)
父の声が、頭をよぎる。
隙は、必ずある。
息が切れる。
足音が、やけに大きく響く。
(着いたら)
(……絶対、怒る)
無防備にも程がある。
狙われている自覚が、なさすぎる。
――それでも。
走る速度を、緩めるつもりはなかった。
透を、見失わないために。




