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C型血の少女は、誰も救わないと決めた  作者: くじら


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第59話:楽しみにしてしまった






 病院を出たとき、空はもう暗くなりかけていた。


 昼でも夜でもない、あいまいな色。

 透は、その空を見上げてから、隣を歩く黒瀬を見る。


 今日も、何もなかった。

 採血をして、少し待って、帰るだけ。


 ――それだけのはずなのに。


 通りに出たところで、自然と視線が前に流れる。


 白とピンク。

 リボンとレース。

 ガラス越しに並ぶ、小さなケーキ。


 あの店だ。


 透は、足を止めなかった。

 見ているだけ。

 ただ、それだけ。


(……今日も、行くのかな)


 口には出さない。

 出す理由も、ない。


 でも。


「……行くか」


 黒瀬が、そう言った。


 問いかけみたいで、決定みたいな声。


 次の瞬間、透の手が取られる。

 力は強くない。

 引っ張られる感覚もない。


 気づいたら、方向が変わっていた。


「……うん」


 それだけ答えて、歩き出す。


 胸の奥が、少しだけ軽くなる。


(……あ)


 そこで、透は気づいてしまった。


 自分が――

 少し、楽しみにしていたことに。



 店の中は、今日も甘い匂いで満ちていた。


 可愛い装飾。

 高い声。

 明らかに、黒瀬の居場所じゃない空間。


 それでも。


「いらっしゃいませ。……あ、いつもありがとうございます」


 店員のその一言に、透は一瞬だけ瞬きをする。


(……いつも、なんだ)


 言われてみれば、確かにそうだ。


 病院に行った日。

 帰り道。

 気づけば、ここに寄っている。


「今日は、どれにする?」


 黒瀬が、いつも通りに聞く。


 透は、ショーケースを覗き込みながら、少し迷ってから指をさした。


「……これ」

「あと、これも」


 前と、同じ。

 たぶん、その前とも。


 黒瀬は何も言わない。

 ただ頷くだけ。


 席に着いて、ケーキが運ばれる。


「……おいしい」


 小さく呟くと、黒瀬は珈琲を飲みながら「そうか」とだけ返した。


 そのやり取りが、妙に落ち着く。


(……私)


 透は、フォークを持つ手を止める。


(病院、嫌なはずなのに)

(検査も、採血も、好きじゃないのに)


(でも)


(その後に、ここがあるって思うと)


 胸の奥が、少しだけ、前を向く。


(……楽しみにしてる)


 気づいてしまった瞬間、少し怖くなった。


 こんなことで、安心してしまう自分が。

 甘いものと、帰り道と、隣を歩く人で。


(……でも)


 黒瀬は、何も言わない。

 聞いてこない。

 理由も、意味も。


 ただ、隣にいる。


 それが、今の透には――

 十分すぎるほどだった。



 その夜。


 黒瀬は、書斎に呼ばれていた。


 父――黒瀬家当主は、机に向かったまま、ゆっくりと口を開く。


「最近は、帰りに寄っているそうだね」


 声は穏やかだった。

 世間話みたいに。


 黒瀬の指先が、わずかに強張る。


「……何の話ですか」


「決まっているだろう」


 父は、ペンを置き、振り返る。


「病院の後だ」

「甘い店だろう? 随分、可愛らしい」


 知っている。

 全部。


 黒瀬は、何も言えなかった。


 父は、困ったように微笑む。


「いい判断だよ、功一」


 咎めない。

 止めもしない。


「負担を与えっぱなしでは、心が先に壊れる」

「“ご褒美”は、必要だ」


 当然のように、言う。


「安心しなさい」

「あの子は、守られている」


 そして、静かに続ける。


「君が、ちゃんと管理している限りはね」


 管理。


 その言葉が、胸に沈む。


「今のままでいい」

「病院も、帰り道も、習慣も」


 父は、優しく頷いた。


「すべて、こちらで把握している」


 逃げ道のない、穏やかな断言。


「続けなさい」

「“守る”ために」


 それは、命令じゃなかった。

 でも、拒否できる余地もなかった。


 黒瀬は、ただ頷く。


 その帰り道。


 透はきっと、また言う。


「……おいしいね」と。


 それを、守っているつもりで。

 差し出していることから、目を逸らしながら。


 このルーティンは、

 もう――誰のものでもなくなっていた

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