第56話:合格者
書斎は、静かだった。
厚い絨毯が足音を吸い込み、外界の気配を遮断している。
窓から差し込む夕暮れの光は柔らかく、どこか家庭的ですらあった。
黒瀬は、部屋の中央に立っていた。
父――黒瀬家当主は、机に向かったまま書類に目を通している。
ペンを走らせる音だけが、一定の間隔で響いていた。
急かさない。
呼びもしない。
沈黙そのものが、面談だった。
やがて、父はペンを置く。
ゆっくりと振り返り、黒瀬を見る。
その顔に、険しさはない。
むしろ、穏やかだった。
「……どうだった?」
声は低く、柔らかい。
問い詰める調子ではない。
確認するだけの口ぶり。
「問題なく、終わりました」
黒瀬は、簡潔に答えた。
「あの子は?」
「……普通です。
特に、異常は見せていません」
嘘ではない。
だが、すべてでもない。
父は、満足そうに目を細めた。
「そうか」
それだけで、十分だったらしい。
椅子から立ち上がり、黒瀬の前に歩み寄る。
距離は近いが、威圧はない。
家族の距離だ。
父は、黒瀬の頭に手を置いた。
ごく自然に。
子供を労わるみたいに。
「よくやったよ、功一」
指先が、ゆっくりと髪を撫でる。
その仕草に、計算はない。
本気で褒めている。
「あの子は、ちゃんと守られている
君のおかげだ」
胸の奥が、わずかに揺れる。
否定できない言葉だった。
「君は、正しい選択をした」
父は、優しく続ける。
「苦しかっただろう
迷いも、あったはずだ」
すべて、理解している顔。
「それでも君は
逃げなかった」
頭を撫でる手が、少しだけ強くなる。
「……立派だよ」
褒め言葉。
それ以上でも、それ以下でもない。
黒瀬は、何も言えなかった。
父は、満足したように手を離す。
「これからは、定期的に進めよう
手続きはこちらで整える」
淡々と、事務的に。
「あの子には、余計な負担はかけない
あくまで“治療”だ」
言い切る。
「安心していい
君が、そばにいれば、あの子も安心するだろう?」
そして、最後に――
ほんの少しだけ声を落とした。
「……君は、
守る側の人間として合格だよ」
黒瀬の視線が、揺れる。
「あの子にとって、ね」
訂正は、優しかった。
逃げ道を塞ぐための、完璧な優しさ。
「守る覚悟がある者だけが
選べる立場だ」
父は、微笑む。
「誇っていい」
祝福だった。
同時に、役割の確定だった。
「これが――
君への、ご褒美だ」
黒瀬は、頷くことしかできなかった。
拒めば、
今までのすべてが“無意味”になる。
だから、受け取る。
優しさも。
責任も。
鎖も。
――守るために。
その名のもとに。




