第50話:間に合わなかった
19:01。
救急車のサイレンが、遠くで鳴っている。
近づいているのか、離れているのかは分からない。
透は、地面に座り込んだままだった。
澪は、横たわっている。
目は閉じたまま。
「……大丈夫」
透はそう言った。
声は、思ったよりも静かだった。
自分の手を見る。
赤い。
いつから血がついていたのか、分からない。
でも、それでいいと思った。
――混ざればいい。
条件は、それだけだった。
透は、無言で自分の手を地面に打ちつけた。
鈍い音。
もう一度。
さらにもう一度。
もう少し赤が欲しい。
澪が必要な分だけ....。
19:07。
赤が、増えている。
透は、それを確かめるように指を動かし、
澪の傷口に触れた。
塗る。
押し当てる。
「……ほら」
返事はない。
「……混ざった」
何も起きない。
透は、無言で澪に触れる。
縋るように、重ねるように。
「……お願い」
それが誰に向けた言葉なのか、
透自身にも分からなかった。
19:18。
周囲の音が、急に増えた気がした。
声。
足音。
でも、透は顔を上げなかった。
澪の身体は、もう動かない。
それでも。
19:20。
空は、完全に暗くなっていた。
街灯の光が、濡れたアスファルトを照らす。
赤はもう、
赤と呼ぶには遅すぎる色になっていた。
透は、まだそこにいた。
澪の傍から、一歩も動いていない。
自分の手を見る。
赤は、乾きかけている。
それが、ひどく嫌だった。
透は、もう一度、地面に手をついた。
強く。
爪が割れる感触。
遅れて、痛み。
でも、どうでもよかった。
赤が、にじむ。
「……」
透は、その手を澪の胸元へ伸ばす。
傷口に、指を押し当てる。
塗る。
なすりつける。
押し込む。
「……まだ」
声は、かすれていた。
「……まだ、いける」
返事はない。
「……お願い……」
誰に向けた言葉なのか、
もう分からない。
19:25。
誰かの声がした気がする。
遠くで、名前を呼ばれたような。
でも、透は顔を上げなかった。
澪の身体は、冷えてきている。
それが分かっても、
手を離せなかった。
19:30。
白い光が、視界の端を横切った。
救急車。
でも、透は見なかった。
今さら、遅い。
19:35。
誰かが、透の肩に触れた。
「……」
透は、抵抗しなかった。
力が、入らなかった。
ゆっくりと、澪から引き離される。
そのとき、初めて――
透は、何かを落とした。
コンビニの袋。
中から、転がり出る。
中身が、アスファルトの上に散らばる。
小さな箱。
透明なカップ。
甘い匂い。
コンビニのスイーツ。
――透の、好きなもの。
19:38。
透は、それを見て、
初めて、喉が震えた。
(……迎えに、行こうとしてたのに)
甘くないお菓子を買いに行くつもりだった。
澪のために。
なのに。
澪は、
透のためのものを、持ってきていた。
19:41。
白い布が、澪の身体を覆う。
顔が、隠れる。
完全に。
透の視界の端で、
スイーツの容器が、街灯に照らされている。
溶け始めたクリームが、
静かに形を崩していく。
19:55。
誰かに、名前を呼ばれた。
何度も。
でも、透は動かなかった。
20:00。
透は、ただ立っていた。
赤のついた手で、
甘い匂いの残る袋を、掴んだまま。
約束の夜は、
最初から、
すれ違っていた。




