第4話:白い部屋
最初に戻ってきたのは、音だった。
一定の間隔で鳴る、機械の電子音。
消毒液の匂いが、鼻の奥を刺す。
ゆっくりと瞼を開くと、白い天井が視界いっぱいに広がった。
……病院。
そう理解するより先に、身体の感覚を探る。
胸が重い。
腹の奥が鈍く痛む。
頭の芯が、じんと痺れている。
はっきりした痛みじゃない。
でも、何もないわけじゃなかった。
違和感に気づいて、視線を落とす。
右手。
白い包帯が、手首から甲にかけて巻かれている。
そっと指を動かす。
動く。
次の瞬間、遅れて、ひりつくような痛みが走った。
「……っ」
小さく息を吸い込む。
あの感触が、頭の奥で蘇る。
雨に濡れた毛。
ぬるい血。
そして——舌が触れた、確かな感覚。
透は、ぎゅっと右手を握りしめた。
包帯の下で、痛みがはっきりと主張する。
それが、なぜか少しだけ安心だった。
カーテンの向こうで、足音が止まる。
「……透?」
聞き慣れた声に、心臓が跳ねた。
蒼真が、そっとカーテンを開けてこちらを覗く。
目が合った瞬間、わずかに息を吐いた。
目尻が、ほんの少し赤い。
寝不足なのか、泣いたせいなのか、透には分からない。
制服の肩口が、いつもより重く見えた。
立っているだけなのに、どこか疲れている。
「……起きたか」
声は、いつも通りだ。
無理に崩していない、普段の蒼真の声。
「……うん」
透が答えると、蒼真は短く頷いただけだった。
それ以上、何も言わない。
大丈夫だ、とも言わない。
蒼真は何か言いかけて、やめた。
代わりに視線が、透の右手に落ちる。
包帯。
一瞬だけ、視線が止まる。
蒼真の眉が、わずかに歪む。
「……痛むか?」
一瞬だけ、迷ってから。
「……うん」
短く、正直に答えた。
蒼真は、それ以上聞かなかった。
慰めも、冗談もない。
沈黙が落ちる。
機械音だけが、淡々と時間を刻む。
透は、天井を見つめたまま、口を開いた。
「……陽菜は」
蒼真の喉が、わずかに動く。
少しの沈黙。
本当に、ほんの一瞬だけ。
「……まだ」
「向こうで、処置してる」
透は、そうか、と小さく息を吐き、右手を胸の上に置く。
包帯越しに伝わる、じわじわとした痛み。
それは確かに、現実の重さだった。
——あの日から、何かがずれている。
透はまだ、その理由を知らない。
ただ、
この白い部屋で、
自分だけが生きているという事実だけが、
静かに胸に残っていた。




