第28話:信じていい人
放課後の校舎は、静かすぎるくらいだった。
部活の声も遠く、階段を上る音だけが響く。
屋上へ続く踊り場で、透は足を止めた。
澪の隣で、フェンス越しに空を見る。
「……ね、澪」
風に前髪が揺れる。
「前にさ、話したよね。
“陽菜”っていう幼馴染のこと」
澪は小さく頷く。
――大切な幼馴染。
――同じ“朝霧”という名前。
――いつか紹介する、と言っていた。
「……あれね」
透は、指先をぎゅっと握った。
「全部じゃ、なかった」
澪の胸の奥が、わずかに緊張する。
「陽菜は……もう、いない」
一瞬、言葉が落ちる。
「亡くなったの」
声は静かだった。
泣きそうでも、震えてもいない。
だからこそ、重い。
「言えなかったんだ」
透は苦笑する。
「言ったら、
その瞬間に“過去の人”になる気がして」
澪は何も言わず、聞いている。
「それにね」
透は、空から目を逸らした。
「私、ずっと思ってる。
――助けられたかもしれなかった、って」
フェンスを掴む指に力が入る。
「あの時、
私がちゃんと気づいてたら。
ちゃんと手を伸ばしてたら」
小さく、息を吐く。
「……生きてたかもしれない」
それは、
誰にも向けられない罪悪感。
「だから」
透は、澪を見る。
「新しい人を、大切にするのが……少し怖かった」
澪の胸に、
“知っている情報”とは別の痛みが走る。
「それでも」
透は、ゆっくり続けた。
「澪と一緒にいるうちにね。
思っちゃったんだ」
少し照れたように笑う。
「澪のこと、
陽菜と同じくらい――大事になってきてるって」
澪の呼吸が、一瞬止まる。
「だから」
透は、真剣な目で言った。
「ちゃんと話したかった。
本当のこと」
沈黙。
ここでの“正解”は分かっていた。
――距離を取る言葉。
――深入りしない返答。
――慰めすぎない選択。
それなのに。
「……それでも」
澪の声は、静かだった。
「透は、
また誰かを大切にするって選んだ」
透が、目を見開く。
「怖くても。
失うかもしれなくても」
澪は視線を逸らさず言う。
「それは、弱さじゃない」
――任務用じゃない言葉。
――正解じゃない返答。
透はしばらく黙り、
それから、ゆっくり笑った。
「……ねぇ、澪」
「うん」
「私さ」
透は、少しだけ声を低くして言う。
「澪なら、信じていいって思えた」
理由はない。
条件もない。
「弱いところも、
罪悪感も、
全部見せても……離れないって」
澪の指先が、微かに震える。
「……ありがとう」
透はそう言って、
少し照れたように目を逸らした。
その瞬間。
澪のポケットで、
端末が震えた。
透には気づかれないよう、
澪は小さく一歩下がる。
画面を見なくても、分かる。
――逃げ道が、塞がれる音。
夜。
自室で、端末を開く。
無機質な文字。
⸻
《追加司令》
観察対象:夏川 透
指示内容:
血液の回収を実行せよ
期限:未定
方法:任意
⸻
澪は、しばらく画面を見つめたまま動かなかった。
数時間前の声が、
まだ耳に残っている。
――澪なら、信じていいって思えた。
澪は、ゆっくり目を伏せる。
そして。
「……了解」
それは、
透を裏切る言葉であり、
澪自身を縛る返事だった




