第27話:独占の理由
昼休みの廊下は、いつもより騒がしかった。
「夏川、昨日のテストさ〜」
「え、あれ難しくなかった?」
透が、別のクラスの女子と並んで歩いている。
笑っている。
いつもの、少し照れたような表情で。
それを、澪は少し離れた場所から見ていた。
――問題ない。
任務的には、何の支障もない。
対象者が特定の人物に依存しすぎるより、
人間関係が分散している方が、むしろ健全だ。
そう、理解している。
理解している、はずなのに。
胸の奥が、ざわついた。
「……」
理由が分からない。
危険もない。
監視の必要性も、ない。
なのに。
透が、他の誰かと並んでいるだけで、
視界が少しだけ歪む。
笑い声が、やけに耳につく。
――なんで?
澪は、無意識に足を止めていた。
⸻
その日の午後。
透は何事もなかったように、澪に声をかける。
「澪、次の授業一緒行こ?」
「……うん」
返事は、いつも通り。
声色も、表情も、変えていない。
透は気づかない。
澪の中で、何かが“ズレた”ことに。
階段を並んで上りながら、透が言う。
「さっきね、隣のクラスの子と話してたんだけど——」
その続きを、澪は聞きたくなかった。
聞きたくない理由が、分からないのが、もっと嫌だった。
「……へぇ」
相槌は、完璧だった。
観察者としては、満点。
でも。
心の奥で、別の声がした。
――近づかないで。
透じゃない。
あの、知らないクラスメイトに向けて。
そんなこと、思う必要はない。
思ってはいけない。
それなのに。
「……」
澪は、自分の指先を見つめた。
軽く、震えている。
⸻
放課後。
透は友人に呼ばれて、先に教室を出ていった。
「澪、先帰ってて!あとで追いつく!」
「……分かった」
一人になった教室。
夕方の光が、机を照らす。
澪は、窓際に立ち、校庭を見下ろした。
透が、友人たちに囲まれて笑っている。
安心するべき光景だ。
守る必要も、介入も、いらない。
それなのに。
胸の奥が、冷えていく。
代わりに、
じわじわと、熱が広がる。
――違う。
これは、警戒じゃない。
保護でも、観察でもない。
澪は、はっきりと自覚してしまった。
自分は、透が“誰のものでもない”状態を望んでいない。
それは任務に存在しない感情。
不要で、危険で、説明不能なもの。
澪は、唇を噛んだ。
「……馬鹿みたい」
そう呟いても、消えてくれない。
むしろ、
名前を求めるように、強くなる。
⸻
その夜。
自室で端末を開き、観察ファイルを表示する。
今日の項目。
異常:なし。
問題点:なし。
そのはずだった。
だが、指が止まる。
透が笑っていた顔。
他人と話していた距離。
胸に生まれた、理由のない苛立ち。
「……」
澪は、ゆっくり画面を閉じた。
記録しない。
できない。
これは、書いてはいけない感情だ。
しばらく沈黙してから、澪は小さく息を吐いた。
そして、初めてその言葉を、心の中で転がす。
廊下の奥。
澪が一人で立ち尽くしていることに、
誰も気づいていなかった。
――一人を除いて。
少し離れた場所から、
黒瀬は、その背中を見ていた。
表情は変わらない。
呼び止めることもない。
ただ、
視線だけが動かなかった。
まるで、
“何かが壊れ始める瞬間”を、
見逃さないためのように。
「……これが、独占欲?」
問いかけるように。
確認するように。
答えは、返ってこない。
ただ、
否定できない感情だけが、そこに残っていた。




