第25話:小さな嘘
昼下がりの校舎は、少し気の抜けた空気に包まれていた。
窓から差し込む光はやわらかく、廊下を歩く足音もどこか緩やかだ。
透と澪は並んで歩いていた。
特別な目的はない。ただ、同じ帰り道を選んだだけ。
「ねえ、澪」
透が前を向いたまま、何気なく声をかける。
「澪ってさ、友達多そうだよね」
それは、本当に何気ない一言だった。
深い意味なんて、たぶんない。
けれど。
澪の足が、ほんの一瞬だけ止まりかけた。
(――友達)
頭の奥で、いくつもの顔と名前が浮かびかけて、すぐに消える。
“観察対象”。
“接触者”。
“記録済み”。
そういう分類でしか、人を見てこなかった。
澪は、透の横顔を盗み見る。
楽しそうでもなく、疑ってもいない、ただの自然な表情。
――ここで、正確な情報を言う意味は?
ない。
そう判断するのは、簡単だった。
澪は小さく笑って、肩をすくめる。
「ううん……あんまり、いないよ」
声は柔らかく、温度もいつも通り。
完璧な“朝霧澪”の声。
けれど、その言葉は――嘘だった。
「そっか」
透はそれを疑いもしない。
「じゃあさ……私と似てるね」
その一言が、胸の奥に、静かに落ちた。
(似てる、わけない)
澪は心の中で否定する。
透は失って、立ち止まって、それでも誰かを信じようとしている。
自分は――最初から、信じる側じゃなかった。
「……似てる?」
澪が聞き返すと、透は少し照れたように笑った。
「うん。私も、そんなに多くないから」
その笑顔を見た瞬間、澪の胸に、言葉にできない違和感が生まれる。
嘘をついたはずなのに。
任務的には正しいはずなのに。
――どうして、こんなに居心地が悪い。
「でもさ」
透は歩きながら、続ける。
「これから増やせばいいよね。友達」
そして、少しだけ間を置いて。
「……澪の友達に、私も入れていい?」
澪は、答えられなかった。
一秒。
二秒。
ほんの短い沈黙なのに、胸の奥がざわつく。
“友達”。
それは、記録に使う言葉じゃない。
それでも。
「……うん」
澪は、そう答えた。
その声は、ほんの少しだけ揺れていた。
透は気づかない。
気づくはずがない。
「よかった」
そう言って笑う透の横顔を、澪はまっすぐ見られなかった。
⸻
夜。
自室。
カーテンの隙間から、街の灯りが細く差し込んでいる。
澪は端末を開き、観察ファイルを表示した。
《観察対象:夏川 透》
今日の行動。
会話内容。
心理的変化。
入力すべき項目は、すべて揃っている。
指先が、画面の上で止まる。
今日の出来事は、記録できる。
正確に。
客観的に。
――でも。
透が笑ったこと。
「友達」と言った声。
あの一言に、自分が躊躇った理由。
それを言葉にしてしまったら、何かが壊れる気がした。
澪は、ゆっくりと文字を打つ。
《記録:なし》
そして、端末を閉じた。
ベッドに腰を下ろし、天井を見上げる。
「……些細すぎて」
誰に聞かせるでもなく、呟く。
「記録する必要、ないよね」
その声は、昼間よりも少しだけ弱かった。
嘘は小さかった。
誰も傷つけなかった。
それでも――
その嘘は、確実に澪を“こちら側”へ引き寄せていた。
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