第15話:静かな選択
黒瀬は、教室の扉にもたれたまま動かなかった。
透の声は、思ったより小さかった。
けれど、はっきりと聞こえた。
――「……私……人間じゃないの……?」
その一言が、胸の奥に沈む。
やっぱり、こうなった。
そう思った自分に、黒瀬は静かに嫌悪する。
予想していた。
覚悟もしていた。
それでも、実際に起きると――心は、別だった。
透は泣いていなかった。
取り乱してもいなかった。
ただ、立っていた。
その姿が、ひどく痛々しい。
黒瀬は、蒼真を見る。
肩が強張り、唇を噛みしめたまま、透から目を離せずにいる。
――言ったのは、お前だ。
――でも、責める資格は、俺にはない。
言わせたのは、自分だ。
「黙っていれば、普通に生きていける」
そう言った。
それが、どれだけ傲慢な言葉だったか。
普通とは何だ。
知らないままでいることが、救いになると、誰が決めた。
黒瀬は、視線を落とす。
床に伸びる夕方の影が、やけに長い。
冬の光は冷たく、どこまでも静かだった。
――陽菜の顔が、脳裏をよぎる。
笑っていた。
当たり前のように、そこにいた。
助けられなかった命。
間に合わなかった時間。
透の“血”を知ったのは、その後だった。
遅すぎた。
全部。
黒瀬は、拳を強く握る。
爪が掌に食い込むほど。
それでも、痛みは確かだった。
――まだ、俺は人として迷っている。
ふと、そんな考えが浮かぶ。
それが、無性に怖くなった。
透は、これから何を失っていく。
どこまで、奪われていく。
その始まりを――
俺は、止められなかった。
蒼真が、ゆっくりとこちらを振り返る。
何か言おうとして、言葉を飲み込んだ顔。
黒瀬は、首を横に振る。
責めるな。
今は、まだ。
だが――
このままでは終わらない。
教室の空気が、わずかに歪んだ気がした。
透の周囲だけ、温度が違う。
それは錯覚かもしれない。
けれど、黒瀬の背中を、嫌な予感が這い上がる。
――もう、知ってしまった。
透自身が。
そして、世界も。
「……遅ぇよ」
誰にも聞こえない声で、黒瀬は呟いた。
守るつもりだった。
壊さないつもりだった。
それでも――
選択は、すでに始まっている。
教室の窓の外、冬の空は青く澄んでいた。
あまりにも、何事もないように。
その静けさが、
これから来るものの前触れだと、
黒瀬だけが理解していた。
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