第13話:決意と小さな異変
その日、蒼真は確信していた。
忘れろと言われたことも、気の所為だと切り捨てられたことも、全部嘘だと。
なぜなら今朝、教室に入った瞬間から、透のまわりだけ――空気が、微かに違っていた。
笑っている。いつも通りだ。けれど、何かが“前と同じではない”。
そして蒼真はまだ知らない。
その違和感を、黒瀬もすでに気づいているということを。
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黒瀬は、その朝から妙な予感が消えなかった。
昨日まで通用していたはずの「気の所為」という言葉が、今日はやけに軽い。
教室に入った瞬間、視線が自然と透を追ってしまう自分に気づき、舌打ちする。
――まだ、だ。
何度目か分からない自制。
知っている。分かっている。
透の血が“普通じゃない”ことも、それを本人に伝えた瞬間、もう後戻りできなくなることも。
黒瀬は蒼真を見る。
あいつはもう気づいている。昨日よりも、確実に深く。
それでも黒瀬は、何も言わなかった。
言えば壊れる。
黙っていれば――少なくとも、今日までは守れる。
その判断が間違いだと証明される日が近いことを、黒瀬はまだ知らない。
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放課後の廊下は、妙に静かだった。
冬の空気が、ガラス越しに冷たく染み込んでくる。
「……なぁ、黒瀬」
蒼真が呼び止める。
その声は低く、いつもの軽さがなかった。
黒瀬は立ち止まらず、言った。
「やめとけ」
「まだ何も言ってねぇ」
「言わなくても分かる」
振り返った黒瀬の視線は鋭く、しかしどこか疲れていた。
「透のことだろ」
蒼真は歯を食いしばる。
図星だった。
「……あれは気の所為じゃねぇ」
「分かってる」
即答だった。
蒼真は一瞬、言葉を失う。
「……は?」
「俺も“おかしい”と思ってる」
黒瀬は淡々と告げる。
その冷静さが、余計に蒼真の感情を逆撫でした。
「じゃあなんで!!」
声が荒れる。
「なんで黙ってんだよ!!
本人のことだぞ!? 透の力だろ!?」
黒瀬の表情が、ほんの一瞬歪む。
「だからだ」
低く、噛みしめるように。
「透が知れば、終わる」
「は?」
「今の“日常”が」
蒼真は拳を握りしめる。
「知ったら壊れるって決めつけてんのかよ!!
知らないままの方が、よっぽど残酷だろ!!」
「……お前は優しいな」
黒瀬の声に、わずかな苦さが混じる。
「でもな蒼真。
“知らない”ことで守られてる時間もある」
「守ってるつもりかよ!?
黙って見てるのが!?」
一歩、蒼真が詰め寄る。
「俺はもう見ちまったんだ!!
あれが“偶然”なわけねぇ!!」
黒瀬は目を伏せた。
「お前の言ってることは、間違ってない」
蒼真の息が止まる。
「……でも」
黒瀬は顔を上げ、真っ直ぐに蒼真を見る。
「それを透に言うのは、間違ってる」
空気が張りつめる。
「黙ってりゃ、血が混ざることなんて滅多にない。
普通に生きていける」
「……もし、また起きたら?」
蒼真の声は震えていた。
「その時は――」
「その時は、もう遅ぇんだよ!!!」
蒼真が叫ぶ。
「俺は……
見て見ぬふりなんか出来ねぇ」
黒瀬は何も言わなかった。
その沈黙が、答えだった。
蒼真は一歩、後ずさる。
「……止めるなよ」
それだけ言い残し、背を向ける。
「蒼真」
呼び止める声。
「後悔するぞ」
蒼真は振り返らなかった。
「……それでも、行く」
その背中を、黒瀬は追わなかった。
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その頃、透は教室の窓際に座り、外の風景をぼんやり眺めていた。
青い空が広がり、少し開いた窓から冷たい冬の空気が入り込む。室内にほんのり寒さが染み込み、肩先がひんやりする。
「冬って、やっぱり寒いな……」
心の中で小さく呟きながら、透はふと、陽菜のことを思い出した。
冬が好きだった陽菜。
笑って、時々ふざけて、でもなんだか安心させてくれる存在だった。
目線を机の下に落とすと、そこに陽菜のノートがあるのを見つけた。
手に取ろうとすると、胸の奥がざわついた。
思い出が溢れてきて、きっと開いたら泣いてしまう――そんな気がした。
透はそっと表紙に触れ、机の中にしまった。
その時、窓の外に、少し離れた場所で見知った二つの姿を見つける。
蒼真と黒瀬だった。
何やら揉めているように見える。
声は届かないけれど、二人の動きや表情から、普段とは違う緊張が伝わってきた。
蒼真が黒瀬を振り払い、校舎に向かって駆け出していく――その姿は少し苛立ちも混じっているように見えた。
「……何があったんだろう?」
透は首をかしげ、でも答えはわからない。
ただ、二人の幼馴染を見つめながら、心のどこかで小さな空虚を感じる。
陽菜がいた頃、あの笑顔でバランスが取れていたのに――今はぽっかり穴が空いたようで、肌寒さがより身に染みる。
言いたいことも、問いかけたいこともあったけれど、透は口をつぐむ。
窓の外の青い空は何も変わらず、冬の風がそっと頬を撫でるだけだった。




