第12話:冬の大掃除と小さな奇跡
季節は冬。
陽菜がいなくなってから、あっという間に一ヶ月が過ぎていた。
放課後、教室には掃除用具を持ったクラスメイトたちが集まる。
年末の恒例行事――冬の大掃除だ。雑巾に箒、バケツを手に、教室はいつも以上に賑やかだった。
透も、いつも通り掃除に励んでいる。
だが少し手元が不器用で、雑巾をつい勢い余って遠くへ投げてしまった。
「あっ!」
思わず声を上げる。
「もぉ〜、どこに投げてるの〜?」
「ごめんごめん!!! 手が滑った〜」
透はへらりと笑った。
そのとき、教室の奥から楽しげなチャンバラごっこの音が響く。
箒を振り回し、はしゃぐ男子たち。
――男子って、いつまで経っても子供だな。
ふと、そんな考えが浮かぶ。
陽菜なら、きっとそう言って呆れていただろう。
思考は自然と、彼女の姿へと引き戻される。
忘れようとしても、忘れられない。
透は頭を振り、無理に笑った。
「ちょっと!!! 男子!!! 先生に言うわよ!!!」
女の子の怒声と同時に、誰かの叫び声が重なる。
「危ない!!」
ヒュン、と何かが透の目の前を横切った。
次の瞬間、すぐ横の窓ガラスに当たり――
パリン、と乾いた音を立てて砕け散る。
透は反射的に目を閉じ、身構えた。
腕にチクリとした痛みが走り、小さく息を詰める。
「っ……透っ……!!!」
蒼真が慌てて駆け寄ってくる。
「てめぇら危ねぇだろ!!!」
怒鳴りながらしゃがみ込み、蒼真は透の持っていた雑巾を手に取った。
その瞬間、指先に鋭い痛みが走る。
「そうだよ!!!! 男子!!! 危ないでしょ!!!」
クラスメイトたちも、次々と集まってくる。
「透、腕……怪我してる!!!」
蒼真は思わず、そっと触れた。
その瞬間だった。
透の血が、ほんのわずかに蒼真の傷に触れる。
蒼真の目の前で、指先の傷口が――ゆっくりと、塞がっていった。
誰にも気づかれないほど、小さな出来事。
「わ、悪い!!! 箒が壊れてた!!! まじごめん!!!!」
蒼真は言葉を失ったまま、自分の指を見つめる。
確かに、さっきまで痛みがあったはずなのに――
指先をなぞっても、もう傷はない。
周囲のざわめきが、遠くなる。
そして、蒼真は透を見た。
少し前に見た、透の指先の怪我。
――やっぱり、見間違いじゃなかった。
その確信が、胸に重くのしかかる。
透は我に返り、周囲へ声を張り上げた。
「みんな、近付いちゃ危ない!!! 誰か先生呼んで来て!!!」
その言葉に、黒瀬が眉をひそめる。
冷たい視線で透を見下ろし、呆れたように言った。
「お前が怪我してるのに……他人の心配かよ」
透は苦笑し、手を振る。
「平気平気!! かすり傷だよ〜」
蒼真は口を開きかけた。
「でも……」
言葉は続かない。
透を見ては、何かを言いかけて、結局飲み込む。
その様子を、黒瀬は静かに観察していた。
蒼真の反応、血の接触、微かな驚き。
――やはり、透の血には普通じゃない力がある。
そう、確信する。
黒瀬は蒼真に向き直り、小さく問いかけた。
「……何か見たか?」
蒼真は一瞬だけ目を見開き、すぐに視線を逸らす。
「いや……ん〜……んん……あ〜……」
「……何も見ていないなら、それでいい――」
黒瀬は淡々と告げた。
心の奥にある葛藤を、押し殺しながら。
日常で、他人と血が混ざることなど、そう頻繁に起こるものではない。
そう、自分に言い聞かせる。
蒼真もまた、胸の内で葛藤していた。
「気の所為」なんかじゃない、と確信している。
それでも、言葉にできない。
その迷いは、次の日も、また次の日も消えなかった。
透を見るたび、何かを言いかけては、口をつぐむ。
どうするべきか、どう伝えるべきか――答えは出ない。
やがて蒼真は、唯一の親友である黒瀬に打ち明けた。
だが、返ってきたのは、たった一言。
「気の所為だろ?――忘れろ」
蒼真の胸が、ざわつく。
黒瀬なら、わかってくれると思った。
それなのに。
――忘れろ?
忘れられるはずがない。
あれは事実だ。
それとも……黒瀬は、何か知っている?
冬の大掃除は、二人の葛藤をよそに無事に終了した。
教室には笑い声が戻り、先生の説教が飛び、日常は何事もなかったかのように続いていく。
だが――
蒼真と黒瀬の間には、透の血をめぐる新たな違和感と伏線が、静かに積み重なっていた。
透は、まだ何も知らない。
それでも日常の中で、少しずつ、確実に変化は始まっている──。




