第39話:約束の意味
夜風が頬を打つ。
息が白くなるほど冷たくはないのに、胸の奥が妙に冷える。
走りながら、透は考えていた。
嫌でも分かる。
これは——
私か、アリアを狙った犯行。
偶然じゃない。
分断。
電波妨害。
タイミング。
ここ最近、続きすぎている。
学習しないほど、馬鹿じゃない。
そうまでして欲しいモノって、何?
狙いはどっち?
「言っとくけど、今回は私達じゃないから」
横でアリアが不服そうに言う。
透は一瞬、目を瞬かせた。
「そもそも私達組織ならこんな襲撃しない……」
以前、自分を攫った事など棚に上げて、アリアは唇を尖らせる。
「いや、私達も同じ事したけどさ! こんなあからさまに堂々と!じゃなくて!私ならサクッと能力使ってやるって言いたいわけ!」
息が上がっているのに、やけに元気だ。
「だから……今回は私達じゃなくて」
最後の言葉。
言いたかった本音。
透は思わず小さく笑った。
「ふふ……大丈夫。ちゃんと分かってるから」
もしアリア達の犯行なら、こんな回りくどい事はしない。
今頃、私はここにいない。
じゃあ、どこ?
狙いは私達二人のどちらか。
でも黒瀬と蒼真も巻き込まれた。
凄い音がしてた。
「黒瀬と蒼真は大丈夫かな……」
「……あの二人なら大丈夫だと思うよ」
黒瀬功一。
あの人がいる限り、簡単にはやられない。
私達は、自分達の心配をするべき。
アリアは、そう言おうとした。
だけど口から出たのは全く違う言葉だった。
「私が能力使って蹴散らそうかな」
無意識の提案。
アリア自身も驚いた顔をしている。
透は即座に言った。
「それはダメ」
ピシャリ。
迷いなく。
アリアが少しだけ嬉しそうに笑う。
「え〜ダメなの〜? でもなぁ、私の能力使えば早いよ?」
「……アリア」
向けた感情は明確な怒り。
だけど怒鳴らない。
ただ強く、止める。
アリアはそれを、なぜか嬉しいと思ってしまう。
「代償気にしてるなら心配ないよ? 払うのは私なんだから」
口が勝手に動く。
止まらない。
「……それ以上言ったら本当に怒るよ?」
透の声が震える。
「最初に約束したでしょ? 能力は使わないって」
悲しそうな目。
それを見て、アリアは俯く。
本当は。
許可なんていらない。
使いたい時に使えばいい。
今は危機的状況。
捕まったら何されるか分からない。
「チラッと使うのは?」
「ダメ」
「1ミリ」
「怒るよ」
「0.01ミリ」
「......」
ギロッと睨み付け透はスマホを取り出す。
もう、それ以上は聞かないと行動が示す。
「……圏外」
そして眉を寄せる。
アリアもすかさず確認する。
「私も圏外……」
正直、面倒くさい。
明らかな電波妨害
早く終わらせて、目的地に急ごう
夜はすぐそこまで来てる。
だから能力を——
そう思った瞬間。
「アリアっ!」
強い衝撃。
視界が横に流れる。
透に押された。
地面に倒れる。
掌を擦りむく。
痛い。
でも、それより——
「……っ」
透の肩から、赤が溢れていた。
どく、どく、と。
温かい血が地面に落ちる。
世界が、黒く塗り潰される。
「あ〜あ……もったいねぇな」
気だるい声。
黒いスーツの男。
片手に拳銃。
携帯を肩と頬で挟みながら、こちらを見下ろしている。
「……もしもし? ターゲット打っちまったんだけど? ……あのババア怒るよな?」
アリアの呼吸が止まる。
「え?……あ〜」
男がこちらを見る。
「いや、最初狙ったのはブロンドのガキ……」
心臓が凍る。
「だから違うって! ターゲットがいきなり飛び出して来て……俺は......」
透。
私を庇って。
「あ、クソ!切りやがった」
通話が切れる。
男が舌打ちする。
その顔を見て、アリアは思い出す。
あの日本人女性。
黒瀬当主と交渉していた女。
その隣にいた護衛。
「……なるほど」
静かに呟く。
手を翳す。
震えない。
「透……ごめん」
泣きそうな顔で、笑う。
約束。
能力は使わない。
代償は払わない。
でも——
目の前で血を流してる。
それでも守る?
それでも我慢する?
そんなの。
「……無理」
顔を上げる。
瞳が赤く染まる。
男が眉をひそめる。
「なんだ? その目」
アリアは言った。
静かに。
感情を全部削いで。
「……お前、今すぐ死ね」
空気が歪む。
次の瞬間。
男の視界が赤に塗り潰される。
悲鳴は、最後まで形にならなかった。
血が噴き上がる。
骨が砕ける音。
肉が弾ける音。
一分も、かからない。
銃声の余韻が消える。
黒スーツの男は、原形を留めない肉塊になって地面に崩れ落ちた。
静寂。
夜風だけが、二人の間を通り抜ける。
アリアは、男を一瞥もせず駆け出した。
「透っ!」
膝をつく。
血の匂いが濃い。
「……透、透、聞こえる?」
肩を押さえる透の指の隙間から、まだ赤が滲んでいる。
アリアは両手をかざした。
震える声で。
「治れ……治れ……今すぐ傷、塞がれ」
何度も。
命令するように。
祈るように。
——何も起きない。
傷は閉じない。
血も止まらない。
「……なんで」
喉が詰まる。
「……アリア……だい、じょう、ぶだから」
透が笑う。
全然大丈夫じゃない顔で。
その声が、逆にアリアの心を掻きむしる。
「そうだ、血……透の血で……治る」
自分の手のひらを見る。
べったりと付着した透の血。
視線がぐらぐら揺れる。
「どうやったら良い? どうやって血使う? 塗る? 飲む? あぁ、祈る?……私……」
言葉が暴走する。
思考が追いつかない。
能力は“言葉”。
だから言えばいい。
でも、どう言えば?
どう命じれば?
そのとき。
透の手が、きゅっとアリアの指を握った。
弱い力。
でも、確かに止める力。
「……アリア……無駄なの」
首を、ゆっくり横に振る。
「分かってるでしょ」
そう。
分かってる。
治癒も再生も——
自身には効かない。
動転してるだけ。頭では分かってる。
アリアの瞳が揺れる。
透はゆっくりと息を整え、立ち上がる。
少しふらつきながら。
苦笑い。
「それより……ほら、着いたよ?」
アリアがはっとして周囲を見る。
いつの間にか。
走って、走って、逃げて。
気付けば辿り着いていた。
街灯もまばらな、静かな場所。
鉄の門。
錆びた柵。
冷たい石の並ぶ影。
「……ここ」
アリアの目的地。
夜が、完全に降りる。
透の血が、ぽたりと石畳に落ちる。
そして——




