第36話:嘘つきたち
「……代償ってなんだ?」
低く、腹の奥から絞り出すような黒瀬の声だった。
透はすぐに顔を上げられなかった。
視線を落としたまま、アスファルトの小さなひび割れを見つめる。夕暮れが近い。空は赤く滲み、影が長く伸びていた。
残された時間は、思っているより少ない。
「……とりあえず歩きながら話す」
先を歩き出したのは黒瀬だった。振り返らない。
蒼真は何も言わず、その隣に並ぶ。
透は一歩遅れて歩き出した。
アリアは何も言わず透の横を静かに歩く。
透は、どう話せばいいのか分からなかった。
ずっと、いつか言おうと思っていた。
でも“いつか”は、いつも先延ばしにされてきた。
「いつか……言おうと思ってた」
自分でも驚くほど、声が小さかった。
「透の“いつか”は、いつだ?」
黒瀬は振り返らないまま言う。
「それは……」
言葉が詰まる。
ちょうどバスが到着し、ドアが開いた。
無機質な機械音。
吸い込まれるように4人は乗り込む。
車内は不自然なほど静まり返っていた。放課後の時間帯だというのに、人が少ない。エンジン音だけが低く唸っている。
とても続きを話せる空気じゃなかった。
二つ先の停留所までの距離が、ひどく長く感じる。
窓に映る自分の顔は、知らない誰かみたいだった。
バスを降りる。
冷えた風が頬を撫でる。
黒瀬がゆっくり振り返った。
その瞳は、どこか揺れていた。怒りなのか、不安なのか、分からない揺らぎ。
蒼真がため息を吐き出す。
「……どんな代償?」
逃げ道は、もうない。
透は一瞬だけ躊躇い、唇を噛む。
「私の代償は……」
視線を逸らす。
言いづらい。
2人が何を思い何を感じるか考えるだけで.....
酷く怖い。
「代償って人それぞれ違うんだよ……ちなみに私の代償はね、思考の退化よ?」
横から、軽い声。
アリアだった。
「これは今までの研究結果を元に言ってるんだけど、能力の強さと代償の強さは比例する。私の能力が強いように代償も大きい。思考の退化なんて笑っちゃう〜」
淡々としている。
まるで他人事のように。
「だから……透の代償は……」
「アリア、それ以上言わなくていいよ」
透は小さく首を振った。
自分の口で言わなきゃいけない。
深く息を吸う。
そして。
「私の代償は――味覚の喪失よ」
空気が止まった。
遠くで車の走る音だけが響く。
「……味覚?」
黒瀬の拳がぎゅっと握られる。関節が白くなる。
「くそっ!」
吐き捨てるように言う。
蒼真は目を強く閉じ、胸元を押さえた。
「なんで……何でだよ……」
その声は怒りというより、悲鳴に近かった。
「……ごめん……」
透の口から、反射のように出る。
「……謝るな」
低い声。
「……ごめ」
「だから!謝るなって!」
蒼真が頭を押さえる。
行き場のない怒り。
何も出来ない自分への苛立ち。
黒瀬が静かになったのが逆に怖かった。
透は真っ直ぐ見ることが出来ない。
「俺らは……」
やっと黒瀬が口を開く。
「……黒瀬」
蒼真が止めようとする。
でも黒瀬は止まらない。
「俺らは……お前のなんだ?」
静かな怒りだった。
声を張り上げているわけじゃない。
それなのに、胸を締め付ける。
「……っ……ごめ」
「謝れって言ってるんじゃないっ!」
珍しく、黒瀬が声を荒げた。
透の心臓が跳ねる。
言葉が出てこない。
私は、何を隠していた?
代償?
それだけ?
違う。
怖かった。
二人がどんな顔するのか
私以上に自分を責めるのではないか?
その後は更に過保護になるのが目に見えてる。
私は守られるだけになるのが酷く怖い。
2人が私を大切なように、私も2人が大切だ。
だから黙ってた。
味が薄くなっていることも、ずっと気づいていた。
さっき食べたチーズケーキも、正直よく分からなかった。
甘いはずなのに。
記憶の中の甘さより、ずっと遠かった。
それが怖くて、言えなかった。
その時。
「く……くくく……」
場違いな笑い声が響いた。
「くふ……ふふ」
アリアだった。
腹を抱えるように笑っている。
三人が一斉に彼女を見る。
「アンタら……ウケるんだけど」
涙が滲むほど笑いながら言う。
「嘘つきばっか」
空気が凍る。
「何? アンタら透を責める資格あるわけ?」
誰も言い返せない。
「透だけが隠してたみたいな顔してさ」
一歩、前に出る。
その瞳が冷える。
「アンタらも隠してんだろ」
黒瀬の指先が僅かに震えた。
蒼真の喉が鳴る。
「ホント、馬鹿みたい」
笑いは止まっている。
でも、口元は歪んだままだ。
「正直に言うとさ、今日はすごく面白かったし、アンタら嫌いじゃない
「今日はホント、楽しかった」
一瞬だけ、柔らぐ。
でも次の瞬間。
「だから優しく教えてあげる」
視線が鋭くなる。
「嘘つきのアンタらに怒る資格はねぇんだよ?」
沈黙。
夕暮れの風が吹き抜ける。
「……私の言ってる意味、分かる?」
誰も答えられなかった。
その時――
遠くで、何かが爆ぜた。
地面が揺れる。
遅れて、重い足音。
空気が変わる。
アリアが小さく呟いた。
「……お客さんの登場」
次の瞬間、黒い影が視界を横切った。
黒瀬がハッとして大きな声を吐き出す。
「散れ!」
黒瀬の声はどこか切羽詰まってた。
四人は反射的に動く。
それぞれ別方向へ。
伸ばした黒瀬の手は、届かなかった。
透はアリアの腕を掴み、走り出す。
背後で蒼真の怒鳴り声。
「透ッ!」
振り返る余裕はない。
夕暮れが、一気に夜へと沈み込んでいった。




