第9話:手のひらの熱
左手の包帯はまだ湿っていた。
じんわりと、手のひらに熱が伝わる。
「……なんだろう……」
透は思わず、指先をそっと見つめる。
血が乾きかけているのに、温かさだけが、指先から腕にかけて広がっていく。
痛みは変わらないのに、熱だけが滲んでいる――そんな不思議な感覚。
ーー
その横で、黒瀬は窓の外をぼんやりと見ていた。
思い出すのは、事故の瞬間。
透の傷ついた指先に、顔を寄せる犬。
そして立ち上がり、ゆっくりと去っていった小さな身体。
「……偶然じゃないな」
胸の奥で、ざわめく感覚を覚える。
ーー
透は少し落ち着き、へへっと笑った。
涙はまだ目に残っているけれど、口元は和らいでいる。
「荒川に謝らなくちゃ」
「だな……俺も一緒に謝るか〜。俺もムキになったし」
蒼真も微笑みながら頷く。
それを聞いた黒瀬は、冷静に指先を見ると、淡々と声をかける。
「その前に消毒のやり直しな」
透が「え……」と一瞬目を丸くした次の瞬間、黒瀬は彼女の開いた指先を手に持ち、わざとグリグリと消毒を始めた。
「ひぃ〜痛い痛いっ!!! 黒瀬!!! もう少し優しく!!!」
「ったく、自業自得だろ? 力いっぱい傷握り締めたらこうなるだろ普通」
グリグリ、グリグリ。
透は顔をしかめ、思わず笑い声と泣き声が入り混じる。
ーー
「……あっ、蒼真も指切ってる!!!」
透は手元の小さな傷に気づき、慌てて蒼真の手に触れる。
その瞬間、ほんの少し透の血が蒼真の指に付いた。
「ノートか何かで切ったか?」
黒瀬は呆れたように眉をひそめる。
「まぁ、あんだけ勢い良く飛びかかれば怪我するわな」
「お前ら2人とも、自業自得!!!」
黒瀬は苦笑混じりに、今度は蒼真の指を手に取り、わざとグリグリと消毒し始める。
「いっ〜痛っ!!! 黒瀬!!! 明らかにわざと力入れてしてるだろ!!!」
「ったく……優しくしたら反省しないだろ」
グリグリ、グリグリ。
蒼真も思わず顔をしかめつつ笑い声を漏らす。
ーー
その指先を押さえながら、黒瀬の頭にあの事故の光景が蘇る。
透の血に触れた犬が、立ち上がり、傷が癒えたように見えた瞬間――
「あの時も……こんな反応だったか……」
そして、今。
透の血と蒼真の血が混ざった瞬間、指先にじんわりと温かさが広がり、蒼真の小さな切り傷は、まるで気のせいのように消えてしまった。
「あれ……? 怪我してるって思ったけど……気のせい……だったか?」
蒼真は不思議そうに指を見つめる。
黒瀬も一瞬息を飲んだが、顔には出さず、淡々と消毒を続ける。
心の奥では、やっぱり見間違いじゃなかった――確信がじわりと芽生えていた。
ーー
少し落ち着いた透は、涙の跡を拭いながら笑顔を作る。
蒼真も肩をすくめ、黒瀬も黙って消毒を続ける。
だけど、透の手の中でじんわりと残る熱。
そして黒瀬の胸に、事故の記憶と違和感が静かに重なる。
何かが、確かに変わった――そんな予感が、教室の空気に溶け込んでいた。




