7話 静かな闘争
職員室の空気は、黒板消しの埃と、コーヒーの匂いに満ちていた。
中年教師たちがいくつかの島に分かれ、無言のままパソコンに向かっている。
会話はない。あるのは、時計の針が刻む沈黙の規律だけ。
──ここは戦場じゃない。
でも、誰かが死んだ後のように静かだ。
屍の山を眼前に臆することなく深くお辞儀をする。
「おはようございます」
ヴァンプは慎ましく、けれどどこか“艶”のある声を投げた。
無関心を装っていた男たちのうち、ひとりが顔を上げた。
「……ああ、九条先生。心理カウンセラーの方ですか。教頭の樫木です。」
樫木。
60前後の、背筋だけは無駄に伸びた男。
整髪料の古くさい権威の象徴のみたいな香りが鼻をつく。
その目は九条を見つめているようだが目線が合わない。
いや、
──見ていないんだ。
この人、何かを見ないようにしてる。
誰かじゃない。この学校にいる何かを。
「ええ。今日から短期間お世話になります。できれば生徒たちと、少し話を……」
ヴァンプが柔らかく続けると、樫村はわずかに眉をしかめた。そして、一拍遅れて笑った。
「もちろん。生徒の心のケアは重要ですからね。ただ……あまり深入りはしない方がいい。最近は厄介な親が多いですから。」
その言い回しは、上品に包まれた“警告”だった。
深入りするな、か……。それが通じるなら、夜の街なんてとうに潰れてる。
「ええ、心得ています。生徒の“声”を、ただ聴かせていただければ。」
ヴァンプは笑って言った。
けれどその目の奥では、情報を探していた。
九条が周囲を見渡していると、教頭が咳払いをした。
「九条先生。資料室はご覧になりましたか? 生徒の記録もありますし、ご覧になるといいかと。」
唐突な話題転換。
用意されていた“無難な誘導”。だが、それが“逃げ道”であると同時に“罠”でもあることを、ヴァンプは経験で知っていた。恐らく何かされる。
「ありがとうございます。ええ、あとで拝見します。先生方の"おすすめ"の生徒とかいらっしゃいます?」
「……?」
「誰か、悩んでいそうな子。あるいは、元気そうに見えて実は……とか。」
沈黙。
ふと、若い教師の手が止まった。
だが、それを見逃したのはヴァンプだけではなかった。
教頭が咳払いをしながら言う。
「……生徒の選別は、こちらで。九条先生にはお任せできません。生徒のことは我々教師が一番知っていますから。」
“信用していない”の一言を、最大限オブラートに包んだ一文。
だがそれは同時に──
何かに“触れられた”ことを証明する反応だった。
ヴァンプは心の中で煙草に火を点けた。
ここから先の情報は、漂ってくる匂いを嗅ぐだけじゃダメみたいね。
「わかりました。ではカウンセリング室に行きますね。」
彼女は再び笑った。
そしてゆっくりと、職員室を後にする。
この部屋は静かだった。
でも、それは秘密が多すぎて何を言ってもボロが出てしまう沈黙だった。