6話 潜入、天野原小学校
朝露が木々を濡らす中、天野原小学校の正門はすでに多くの生徒で行列ができていた。
黒のセーラーに学生服、機械のような足取り、挨拶も目線もなく、ただ吸い寄せられるように校舎へと歩く。
子どもたちの瞳は乾いていた。
覇気がない、というより、何かを見ないようにしている。
この学校には、死体の代わりに静寂が転がっている。
無数の屍が辺りに散らばっている。
そこへ、ヒールの音が場違いに響いた。
コツ。コツ。コツ。
女がひとり、タイルを鳴らしながら正門へと向かう。
夜の町仕込みの仕草に、ピンと張られた黒のパンツスーツ。胸元を緩く開け、まるで“商談”にでも向かうような艶のある笑みが男を惹きつける。
九条──そう名乗る彼女は、書類上は心理カウンセラー。だがその中身は、裏組織CAINの情報収集担当エージェント。コードネームは、ヴァンプ。
学ぶ場所って言うのは、もっと汗臭い方がいい。
……笑い声がない学校なんて、カーテン開けて日光浴びて干からびるだけの夜の女たちと一緒。
退屈でしかない。
門の前で立ち止まり、ヴァンプはひとつ溜め息を吐いた。
この匂い……消毒液と旧式のワックス、そして何かを"隠している”奴らの香り。
構内へ一歩踏み込むと、受付の職員が神経質そうな目で彼女を見た。彼女は小首をかしげ、夜な夜な女を連れ込む男のディフューザーのように微笑む。
「おはようございます。今日からお世話になります、九条です。カウンセリングを通じて、生徒さんと“心の対話”を……って言うと胡散臭いですよね?」
教員は戸惑いながら首を縦に振った。
やはり胡散臭いのか。
その手元では名簿がカタカタと震えていた。
――この学校、何かが起きてる。
彼女からひどく怯えている匂いがする。
だが表面はきれいに磨き上げられている。
まるで、サスペンスドラマのガラスの灰皿ね。
階段を上がる途中、彼女は小さな女の子とすれ違う。
少年は一瞬、彼女の目をじっと見た。
その瞳は、硝子玉のように感情を映さなかった。
“ああ、いるわね。壊れてないフリしてる子供。”
ヴァンプは口の中で飴を転がしながら、思考を切り替える。
このキャンディ、とてもじゃないけど舐めてられない。
この中に“あの影”がいる。
子供が消えたその場所に、自分が入る。
高級クラブの嘘より、こっちの方がよっぽど息が詰まる。
そのとき──
耳元の通信機から、小さな声が流れた。
「こちらグリッチだね。ヴァンプの潜入を確認したね。今のところ異常ないね。無理しないでね。」
ヴァンプは小さく笑った。
「了解。……でも、心配しないで。うっかり惚れられてファンクラブでも作られちゃうかも」
通信機の奥で呆れているグリッチの匂いがした。
階段を上りきると、目の前には重く閉じた職員室の扉があった。
彼女はノックする。3回。まるで礼儀という名のピストルの引き金のように。
(ガチャ)
扉の向こう。
戦場よりも静かな場所に、彼女は足を踏み入れた。




