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4話 黒い影


 夜のネオン煌めく街から離れた裏通り。

 いろんな色の名前のシャンパンを入れたせいで駄菓子屋の財布は限界を迎えそうになっていた。赤やら黒やらイエローやら。


 ただ唯一の救いは彼が酒に強いことだろう。

 しっかりとした足取りで目的地へ向かう。

 いくつかのビルの影にひっそりと佇むピアノ工房。

 店名にはノクターン工房と書かれていた。


 一見普通のピアノ工房だが、日付を跨ごうかというこんな時間にもポツンと灯りがついていた。


 ドアベルが控えめに音を鳴らす。

 駄菓子屋は無言のまま店内に入る。

 柔らかなランプの光が辺りを包む。

 いくつか並んだグランドピアノ光沢が美しい。

 

「遅かったな、駄菓子屋」


 奥からは低く鋭い声がした。


「その匂い、ずいぶん楽しんできたようだな」

「ピアノ屋、楽しんだというかヴァンプの店だよ」


 何かを察したかのように微笑んだ後、姿を現すピアノ屋。真っ暗な夜だというのにサングラスをかけている。


「この店はいつも静かだ」

「静寂と狂気は紙一重だ。天才やバカと同じ。

 静けさは武器だが行き過ぎると狂気になる」


 ピアノ屋はハンマーを握り、調律を始めた。


「何か事件か?」

「赤の目だ」


 ノクターンの指先が止まり、ハンマーが震える。


「あの件との関係は?」

「まだわからない、これから向かう」


 ピアノ屋は何も言わなかったが何かを決心したようで、瞳は見えないが、駄菓子屋をじっと見つめる。

 駄菓子屋は口の中に残ったウイスキーの香りをグッと飲み込み口を開く。

 

「今夜はずいぶんと静かで辺りが暗い。

 お前の耳が必要なんだ」


 ピアノ屋は広げていた道具をしまい、白杖を手に取り立ち上がった。


「久々だな2人で戦うのは、なあ駄菓子屋」

「まあな、昔はその目で俺の前をお前が歩いていた」

「……安心しろ、お前が見落としても、耳で拾うさ」


 2人は静寂の中を後にし、夜の学校へと向かう。


 夜の暗がりが2人を包む。

 月は薄く雲が広がる。


「子供たちが七不思議を見たのは天野原小学校だ」

「壁を登るんだろう?闇で影を見つけるより、静寂にコンクリートを叩く音を聞く方が簡単さ」


 どこかの公園で古いブランコが軋む。

 住宅街の中を風が吹き抜ける。

 少し肌寒い。

 だが夜のこの寒さは心地がいい。

 不思議と心が洗われていく。

 

 ピアノ屋の持つ白杖がコツコツとアスファルトを鳴らす。


「なあ、駄菓子屋聞いていいか?」

「なんだ」

「目が見えない俺を連れて夜の町を歩くのはいいが、タクシーじゃダメだったのか?かなり歩くだろ学校まで」


 駄菓子屋は何も言わずに歩みを進める。


「え、嘘だろ何も考えてなかったの?」


 3馬身ぐらい差がつく。

 呆然とするピアノ屋。


「ついたぞピアノ屋」

「そりゃ20分も歩いたからな」


 目が見えない中杖を頼りに必死に歩くピアノ屋。

 頬を撫でる風が少しかいた汗を流してくれる。


「この風、音が違うな」


 コンクリートをコツコツと鳴らす音が下から上へと流れていく。駄菓子屋には見えている。

 黒い影に赤い二つの閃光が輝くのが。


「気づいたかピアノ屋。どうやら歓迎してくれているらしい」

「じゃあ俺のショーを始めるとしよう。奴らは黒鍵。一音ずつ奏でてやろう」

「俺の耳が潰れないようにしてくれよ」


 2人は門を乗り越え校舎の中に入っていく。

 しかしとあることに気づく。


 正門は乗り越えたからいいとして建物の中に入る扉が開かない。ピアノ屋は鍵の周りに静かに指を滑らせる。

 古びた装飾、少し錆びた鍵穴。

 その一つ一つが静かに語っていた。


「どうやら歓迎していないようだ」

「なんだ?俺のさっきのハードでボイルドなセリフをバカにしてんのかテメェ!?」

「うるさい!お前の音はよく響くんだよ!」


 怒られた駄菓子屋は静かに拳を下ろす。

 ピアノ屋には皮膚と骨がぎりぎりとなる音が聞こえていた。

 駄菓子屋は振り下ろした拳を広げて首を傾げる。


「笑えるよな、俺たち2人が深夜の学校に負けるとは」


 駄菓子屋は肩をすくめてため息を吐いた。


「鍵を駄菓子の景品としてうちの店で売っておくんだった」

 その言葉を止めるようにピアノ屋は口の前に人差し指を刺した。


「……っ!」


 ピアノ屋は息を潜め、静寂の声に耳を傾ける。

 呼吸と心臓の音も鬱陶しいほどの静かさ。

 まさに狂気の一歩手前。

 

「……北側2階、窓の鍵が空いている。

 風が抜ける音がする」

「お前が犯罪にその力を使わなくて助かってるよ。

 盗聴器よりもよく聞こえそうだな」


 2人はなんとか2階の窓を上がり校舎の中へ侵入することに成功した。


 日中はは子供の笑い声で満ちているであろう廊下を静けさが包んでいた。

 靴の足音が廊下に響く。

 ほのかに漂う埃の匂い。

 黒板消しの独特な匂い。

 開けた窓から吹き込む夜風の冷たさが刺さる。


「……来るぞ」

「ああ、俺にも聞こえてる」


 駄菓子屋はピンを抜き廊下の曲がり角に黒い球を投げる。それは爆発してパラパラとコンクリートが砕け落ちる。

 

 刹那、空気の裂ける音がした。

 〈それ〉は天井を突き破り堕ちてきた。

 人の形をしている。たが、怪しく輝くその赤い目が人であることを否定していた。

 黒い影。赤い目。かつて見た異形の姿と再び対峙する。


 伸びきっている爪に人とは思えない長い手足。

 口からは泡混じりの唾液が垂れる。

 獲物を狙う狩人の息遣い。


「心音が早い……周りを流れる風……子供だ」

「あの時と同じ……か……」


 殺してはいけない。

 まだ子供だ。

 2人はそう思っているが本能が否定している。

 狂気だ。

 殺さなくては。

 殺される前に殺さなくてはという人としての根源的恐怖が2人の心を支配しそうになる。


 躊躇いは、死を招く。

 2人のかつての戦友の言葉だが、命乞いをする兵士を撃つか迷った瞬間に自爆に巻き込まれて死んだ。


 ここは戦場なのだ。

 かつての戦友のように死ぬかもしれない。

 冷えた風で乾いた額に、再び汗が流れだす。


 〈それ〉が吠えた。

 人ではない、生き物だが生き物ではないモノの声だ。


 床を砕き跳躍、天井を蹴り、一瞬で目前に迫る。

 駄菓子屋は後ろに跳躍し回避。

 ピアノ屋は動かない。

 耳で〈それ〉の軌道を〈視て〉いるのだ。


 ピアノ屋は小さく身を翻し影を交わす。

 白杖を分解して現れたのは特殊な形状のスナイパーライフルだ。

 〈それ〉に向かって構える。

 だが、理性がその引き金を止めたのだ。


「撃てねえ……どこもかしこも……小さすぎて全てが致命傷だッ……!」


 黒い影は長い腕と爪を振りピアノ屋に迫る。


「駄菓子屋ッ!なんとかしろ!」

「できたらしてるよッ!」


 大きく後方に跳躍したピアノ屋を諦め、影は駄菓子屋を狙う。

 床をわずかに蹴り、少しかわしたところに追撃をかけてくる。

 その速度に対応できない。


 普通の人間であれば。


 影がどこに向かってくるのか。

 駄菓子屋は予測していたのだ。

 壁に仕込んだ煙幕を起動させ影の姿が見えなくなる。


 ピアノ屋の持つ才能が超聴力だとするならば、駄菓子屋は超直感を持っていた。

 普通の人間が感じることのできないであろう空気の流れや些細な事柄を直感で感じ戦況に反映する。

 ピアノ屋が襲われている最中、自身に牙が向いた場合に備えて煙幕を仕込んでいたのだった。


「ハアッ……ガハッ……」


 影が煙幕の向こうで咳き込む声が聞こえる。

 煙幕に隠された影を狙うのは至難の業。

 しかしこれをチャンスだと捉える人間がいた。


 ピアノ屋は躊躇うことなく一瞬で踏み込み影に迫る。

 まるで1発の弾丸のように。

 人差し指を影の首筋のツボに突き刺す。


 ……。


 …………。



 だが、まだ倒れない。

 影の荒い息遣いが聞こえる。

 次第に煙幕は払われ、その異形と再び対峙する。

 怒りに満ちた影は先ほどより凶暴だ。

 両脇に挟み込むように対峙するピアノ屋と駄菓子屋を交互に睨みつける。頭を振るたびに赤い閃光が走る。


「……やるしかねえか」


 駄菓子屋は一本のキャンディを取り出した。

 包み紙を開けると包まれていた部分には謎の球体と側面にスイッチが。持ち手の部分は針になっているようだった。


 ピアノ屋はそれを察する。

 2人はワルツを踊るように同時に踏み込んだ。


 影がピアノ屋に向かって走り、空間が裂ける音がする。


 その瞬間2人は完全に同調した。

 ピアノ屋が影の足を払いバランスを崩させる。

 背後から首筋に針を刺す。

 球体横のスイッチを押すとバチッという音と共に一瞬青白い光が瞬いた。


 勝機はその一点を狙うことだけだった。

 首筋に存在する電撃を流すのに的確な急所。

 影を止めるために全身に電撃を回す必要があるが、殺さない程度に威力を抑えなくてはいけない。

 そのためには針の先端ほどの小さな急所を的確に突く必要があったのだ。


 崩れ落ちる影。

 気がつけば〈それ〉は子供の姿となり、今にも廊下に頭をぶつけそうになっていたが、ピアノ屋は首を支え、倒れないようにした。


「呼吸が弱い、だが生きている」


 しばらくの間、2人の間に荒い呼吸の音だけが流れた。

 先に口を開いたのはピアノ屋だった。


「怯えている音だった、影の奥に息を殺して泣き叫ぶ少年がいた」


 駄菓子屋は影の顔を見てみるが、探している少年ではない。安堵ともに不安が過ぎる。


 あの少年は何者かに今も襲われているのではないか。

 どこかの施設で影となった少年のように今も怯えて泣き叫んでいるのではないか。

 

 駄菓子屋はポケットに仕舞い込んだキャンディの包み紙を眺める。


「苦い仕事だ、せめて後味ぐらいスッキリさせろよ」


 2人は再び廊下を歩き出す。

 

 2人が校舎を出ると正門にタクシーが止まっていた。



 そこにいたのは駄菓子屋から銀行まで送ってくれたタクシーの運転手だった。


「ご苦労、シルエット、ノクターン」


 タクシーの運転手は無精髭を蓄えているが謎のオーラにより清潔感があるように見える。


「……今夜は長くなるぞ」


 子供と2人を乗せたタクシーは夜の街を駆ける。

 

 この事件が巨大な陰謀を持つ奥に潜む者たちの指先にもならない小さな影だということを知らずに。

 

 これが始まりを告げる鐘の音だということを知らずに。





 

 この先、2人の間に悲しみの音が響くことを知らずに。

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