42話 終わりとこれから
夜明け前の空は、濁った藍色に沈んでいた。
焼け落ちた施設跡の瓦礫の中を、二つの影がゆっくりと歩いていく。
先を行くのは男。
黒のスーツに、血の滲んだシャツ、だが背筋は伸びている。
その後ろを歩く女は、ロングドレスを羽織り、大きな胸元に幼い少女を抱いていた。
――ユウナ。
彼女はようやく眠りについた。
あの地獄のような戦場を抜けたあと、初めての安らぎに包まれて。
「……随分と静かね」
ヴァンプが口を開いた。口元には、どこか寂しげな笑みがある。
「笑っちゃうわ。施設が崩れて、仲間が死んで、それでも夜はちゃんと明けるんだもの」
「世の中は、悲しみに配慮してくれねぇ」
シルエットはぼそりと返す。
その目は真っ直ぐ前を向いていたが、どこか焦点を結んでいなかった。
瓦礫の上に立ち、二人は足を止めた。
風が吹く。焼け焦げた鉄の匂いと、血の匂い。
だがその中に、駄菓子のような甘い香りが混じっているのは、ヴァンプの香水のようだった。
「……全部、終わったのかしら」
「いや、まだ始まっちゃいねぇ」
シルエットは静かに呟く。
「グリッチは死んだ。パッチワークは確認できてねぇ。ヘッドライトは……」
言葉を続けられなかった。
その名を口にするたび、胸の奥が焼けるようだった。
ヴァンプも黙った。
代わりに、ユウナの髪を撫でてやる。
「でも、生きてる子もいる。……この子も、あたしも、そしてあんたも」
「生き残ったってだけだ。意味があるかどうかは、わからねぇ」
「バカね、生き残ることが意味なのよ」
ヴァンプが、しれっと言った。
「男ってのはほんとに、背負いすぎると口が重くなる。肩、貸しなさいよ」
「重くて潰れんぞ」
「だったら、ふたりで支えればいいでしょ」
二人はまた歩き出す。
かつての仲間たちがいた日々が、ふと頭をよぎる。
――CAIN本部。あの狭い診療所に、ピアノの音が響いた午後。
――学校への潜入。
――地下闘技場での死闘。
――ラプス、ベヒモス、ヘッドライトの最期。
すべてが昨日のことのようで、すべてが遠い。
「ねぇ、」
ヴァンプが不意に言った。
「ん」
「もし……もし、もっと早く出会ってたら、いいえ、なんでもないわ」
「そうか」
「そう、そうね」
ヴァンプの頬に、ひと筋の涙が流れた。
それを拭うこともせず、彼女は笑った。
「話は後でいくらでもできるわ。あたしたちは、まだ死んでない」
「……そうだな」
朝日が差し込む。
廃ビルの上から、ほんのわずかに、紅い光が届く。
その先にあるのは、かつての駄菓子屋――まるふく。崩れかけたシャッターの奥に、あの懐かしい駄菓子棚が、まだ残っているかもしれない。
「帰るぞ」
シルエットが言った。
「ええ。帰りましょ」
ヴァンプが応える。
二人と一人。
未来の希望と、過去の亡霊を抱えながら。
戦いは、まだ終わっていない。
だが、彼らは帰る場所を持っている。
それが、たとえ――
焼けた鉄と煙の中でも。
まるふくへ帰ろう。
もう一度、始めるために。
第一部 完




