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駄菓子屋まるふくより  作者: ゆめのあと
3章 決戦!地下研究所!編
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40話 影の記憶

施設全体が呻くような音を立てた。深層の研究棟、その床が、壁が、天井が不気味に軋む。


 ──《施設崩壊まで、あと十五分──全職員は直ちに退避してください──》


 警報と共に、冷たく機械的な女の声が響いた。


 「……チッ」


 シルエットは血で湿った頬を拭い、口の中の鉄臭さを吐き捨てるように唾を吐いた。背には重い痛み。脇腹には裂傷、利き腕は痺れたままだ。

 それでも奴を倒した。あの異形、ベヒモスを、影で貫いた。


 だが、その代償は、あまりに大きい。

 仲間が死んだ。あの場には、もう何も残っていない。


 「……戻るぞ、こんな地獄、もう十分だ」


 研究室の扉を開け、通路へと出ようとしたその瞬間だった。


 ――ッ!!


 背後に気配を感じた。だがそこには誰もいない。

 いるはずがなかった。振り返った先には、自分の影があるだけだ。床に落ちた、黒い輪郭。


 だがその“影”が、不意に立ち上がった。


 「……は?」


 影が、立体となり、まるで人の形をなぞるようにして起き上がる。目も鼻もない、黒いシルエット。だがその立ち居振る舞いには、妙な懐かしさがあった。


 「お前……誰だ」


 影は口のない顔で笑った気がした。


 《俺はお前だよ》


 その声は、心の内に直接届いた。


 《影の中でずっと見てきた。お前の怒りも、後悔も、ため息も……全部、俺が受け取ってきた》


 「ふざけんな……俺は知らねえ……!」


 影は首を傾げた。


 《知らない?“お前が”影の力を使ったんだ。だから俺が生まれた。》


 《お前があの薬で引き出したのは、“力”だけじゃねえ。心の奥底にある、もう一つのお前だ》


 影が、ゆっくりと手を伸ばしてきた。歪んで、捻れて、だが確かに意思を持っている。


 《お前は知ってるだろ?誰が死んで、誰が待っているのか。俺に、全部預けろよ。》


 シルエットは、拳を握った。喉の奥が熱くなり、呼吸が浅くなる。


 「ふざけるな……俺は、お前に乗っ取られるためにここまで来たんじゃねぇ……!」


 崩壊する研究所の中、しゃがみ込む。

 周りは瓦礫がパラパラと降り注ぐ。

 

 《乗っ取る? 違うな。俺はお前の“影”だ。お前が殺意を抱いたときに生まれた、もうひとりの“お前"なんだよ》


 影が、床を這うように拡がる。そして足元からゆっくりとシルエットの体に絡みつき、背に昇る。心音が高まる。血液が熱く脈打つ。


 《グリッチが死んだ。パッチワークも。ヘッドライトも。お前は全員の“死”を見た》


 《お前の拳で、影で、それを無意味にさせる気か?》


 「……」


 《俺に全てを預けろ。お前が恨む全てを、俺が壊してやる。》


 その声は、甘美だった。かつて聴いた子守唄のように、静かで、優しくて──残酷だった。


 「黙れ……黙れ……!」


 シルエットは頭を抱えた。だが影は止まらない。


 《お前は、もう“自分”なんかじゃいられない。影を使ったんだ。影に踏み込んだんだ》


 《だったらさ──堕ちてこいよ。ここまで》


 影が翼になった。肩甲骨のあたりから伸びるように、それは生えていた。


 「やめろ……勝手に動くな……!」


 《無駄だよ、俺。お前が願ったんじゃないか。“誰かに代わってほしい”って》


 次の瞬間だった。


 爆風。天井が崩れ、落石と瓦礫が降り注ぐ。施設が崩れ始めていた。


 「……クソが……!」


 シルエットの体が浮いた。


 自らの意志ではない。翼が大きく広がり、天井の隙間へと無理やり飛翔していく。


 《そうだ、行こう。すべてを壊す旅へ──》


 叫びも、拒絶も届かない。


 ただ、空へ──黒い影が、羽ばたいていった。


  空を裂くように、影が飛ぶ。

 黒く濁った翼が宙を裂き、崩壊する研究所の天井を突き破って、夜の帳へと抜けた。


 だがその飛翔は、自由ではなかった。

 意思などなく、ただ影の本能が羽ばたかせるその軌道は、獣のような怒りと憎悪に染まっていた。


 「――ぐっ……!」


 頭が割れそうだった。

 こめかみを内側から何かが殴ってくるような痛み。

 視界がぶれる。空が二重に見えた。


 夜空の中に、光のない部屋。

 乾いた音。笑い声。ピアノの旋律。


 「……スコア?」


 目の前に現れたのは、あの音楽室でスコアがピアノを弾いていた記憶だった。

 

 その隣には、グリッチがいた。ノートPCを抱えて、いつものように騒いでいる。


 「おいおい、しけた顔してるね。影の力?」

「いいじゃないか。中二っぽくて。……あ、いや、三十路か。君は」


 「やかましいよ……なんで、お前ら……」


 声が震えた。胸が熱くなる。

 その奥から、さらに2人。


 「……無事だったら、また診療所に来てくださいよ。縫合ならいくらでもやりますから」


 パッチワーク。

 アロハシャツに白衣のまま、笑っていた。


「いつでも乗せて送ってやるよ、古い付き合いだし今回はタダでもいいぜ」


 ヘッドライト……。

 

 だが、その笑顔は次の瞬間、黒く染まった。

 彼らは口々に囁く。


 「あたしらの仇、とってくれるんでしょ?」

 「ヘリオスの連中、許せないよね。」

 「君の影で、全部、潰してくれよ」

 「影の力……もっと使えよ。力が欲しいんだろ?」


 暗黒が、心を締めつけてくる。

 胸の奥から沸き上がる復讐心が、黒い鎖となって脳を締め上げる。


「違う……違う……」


 頭が激しく痛む。

 本物じゃないとわかっている。


 《否定ばかりするなよ、これが本当、これが現実。お前の弱さが招いた真実だ》

 

 ああ本物なんだ。これが現実なんだ。

 

 彼らはそう望んでる。

 俺が、復讐するのを望んでるんだ。

 じゃあ行くことにしよう。


 ヘリオス製薬とやらをぶっ潰そう。

 

 そのとき、耳にノイズが走った。


 《……シルエット……応答して……聞こえる……?》


 ヴァンプの声だった。


 「……!」


 《そんな声に耳を貸すな、死んだ奴の復讐をしよう、生きてる奴はその次だ》


 うるせぇ、黙ってろよ。

 

 幻覚が崩れる。空が戻る。風が頬を打つ。


 《あたし、生きてる。今、逃げてるとこ。……あんたも、生きててよかった》


 「……ヴァンプ……!」


 シルエットは、心の中で叫んだ。

 生きてる……まだ、生きてる奴がいる。


 そうだ。仲間は、こんなこと言わない。

 スコアも、グリッチも、パッチワークも……ヘッドライトも誰かに復讐してくれなんて、絶対に言わない。


 ――あの人たちは、そんなくだらない怒りのために、命を懸けていたんじゃない。


 「……クソが……! てめぇらは、俺の仲間の顔したただの影だ……!」


 黒い幻影が消えていく。歪んだ影の声が、風に溶けていく。


 《ああ、そうさ。お前の怒りと絶望で、俺たちは生まれたんだ。だが忘れるな──影はいつでも、お前のそばにいる》


 その言葉を最後に、意識が戻った。

 重力を掴み直し、翼が正しい軌道を描いた。


 「……ヴァンプ。今、そっちに向かう」


 生きて帰る。

 それが、あいつらの死を無駄にしない唯一の方法だ。


 「ユウナが、待ってる……」


 風を切って、飛翔する。


 《シルエット》は、かつて影を恐れていた男が、影と共に空を駆けた夜だった。

 

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